- Amazon.co.jp ・マンガ (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065329658
感想・レビュー・書評
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きみは素敵な男性なんだから、素敵な女性にもなれるんだ。
カバー裏のあらすじでも触れられているのですから、この場合は隠し立てすることなんてないのでしょうね。
本作『彼氏時々彼女』は超ド級の「TSF(後天的性転換をテーマとした創作作品)」です。
この場合は男の子が特定の女の子からキスを受けることで女の子になっちゃうという王道のスタイルです。
ついでにいえば舞台は現代日本、ヒロインたちの特殊な事情を抜きにすれば現実と変わりない学園モノです。
ところで男性から女性、もしくは女子から男性に性別が変わってしまう「TS(性転換)」は物語を織り成す上では大きめのギミックであり、それそのものがひとつのジャンルとして成立して久しかったりします。
性転換といえば古くはギリシャ神話のエピソードに登場しますし、かの『オズの魔法使い』の続編などでも取り上げられ、一昔前では『らんま1/2』。以降も『君の名は。』など数々の作品が送り出されてきました。
近年に入ってからはジャンルとして愛好する層の後押しを受けて、物語を構成する上でなくてはならない一要素として市民権を得つつあるようです。私が思うに最近の漫画雑誌の中には一作は必ずTSFがある印象です。
かくいう私もこのジャンルを愛する者のひとりですので、昨今の風潮は歓迎すべきといえるでしょう。
そんなわけで前置きはともかくとして、本作『彼氏時々彼女』について触れていきますね。
開幕ということもあってネタバレをされて困る要素はさほどないとは思われますが、私としてはその辺に配慮するつもりはありません。ゆえにまっさらな立場から本作のはじまりに挑んでいきたい方はご注意ください。
はっきり言ってしまうと、同ジャンルの中では目立って真新しい設定を持ち込んでいるわけではありません。
ただ、当たり前のことをやっているだけでも漫画として、ストーリ―として、なにより見せゴマの完成度が高いわけです。「TS(性転換)」を取り扱っているあまたの作品の中でさっそく頭角を現したと感じました。
まずは表紙に等分に配置された主人公とヒロインについて。
主人公「秋月穂高(以下:穂高)」は真面目でちょっと頑固なためにズレてるようだけれど、素敵な男の子。
そんな穂高くんが学園のマドンナである素敵な女の子「獅子崎千颯(以下:獅子崎)」さんに恋をします。
そんな素敵なふたりが素敵な出会いからのお付き合いをはじめ、ファースト・キスに至るまでが第一話です。
82Pの大ボリュームでお送りしたこの時点からしてクオリティが高く、このままゴールインしても許されるんじゃないかと錯覚しました。つまりはTS抜きでも最上級のラブコメディ、もしくはロマンスなのです。
主人公とヒロインの双方が、内心で葛藤しながら交際を進めていく情景がほほえましい。
それにまじめなおふたりさん同士だからこそ、ちょっぴり虚を突いたユーモアが要所で光ります。
どちらも気取らないからこそ、ストレートに愛の言葉を吐き出してお互いがお互いの顔を赤く染めるのです。
よって、そんなふたりだけだからこそ描き出せるロマンチックな瞬間がありました。ふたりはお互い紳士淑女としての分をはみ出さない清い交際を意識しているようですが、それ以上に情熱的です。
すれ違ってもいい感じに尾を引かずに切り替え、思いの丈を吐き出してからっとした関係に戻していきます。
要するに、第一話時点からして穂高くんは獅子崎さんと釣り合うし、その逆も然りってことをすべての読者に向けて納得させるのです。これ以上に素敵なカップルがあろうか、いやない(反語)
けれど、物語がここで終わることはありえません。恋愛をより強く輝かせるため波乱が欲しい、障害が欲しい、それを乗り越えた先のドラマが欲しい! というオーダーに、きっと誰かさんが応えてくれたようです。
そう。冒頭で述べた通り、獅子崎さんとのキスによって穂高くんの肉体は女性に変わってしまいました。
原理としては獅子崎家の女子に伝わる「呪い」という形で説明されているファンタジー現象です。
それらしきビジョン(獅子? それとも狛犬?)は(読者目線だと?)見えるものの、正体は不明ですね。
一応、キスだけでは一過性の性転換に留まるとされており、可逆、リバーシブルです。
他方、肉体関係にまで至った場合は遅かれ早かれ女性の体に転じたまま戻れなくなるともいわれています。
真新しい設定はないと先ほどは述べましたが、パターンとしては複合的なので面白い試みともいえますか。
そして衝撃の開幕に続く第二話ではこれら物語最大の前提設定が説明されます。
同時に穂高くんが呪いのリスクを背負うことも覚悟に入れた素敵な男性であることを再確認するわけですね。
なお、その辺を説明してくれた獅子崎さんの両親は仲睦まじいながらも、今は同性同士になってどこか影を落とした関係です。朗らかですけど、旧家の秘密を隠すためなら厳しい判断だって下せましょうし。
そのことを考えれば、できる限りは避けた方がいい性転換の呪いであることは自明でしょうね。
名家に伝わる呪いを温存したまま、現代日本を生きていくのはなかなかにつらい生き方でしょうからね……。
たぶん穂高くんが獅子崎家の呪いに殉じる形で物語を閉じても、第一級の作品は仕上がるのだと思います。
ただ、それでは一世代前の後追いになるだけとも示唆されているようです。私としては今後の展開はまったくわかりません! と放言しながら予期せぬ終わり方――、ただしハッピーエンドを期待したいところですね。
王道を期すなら呪いを解いて仕舞いになりそうですが、今のご時世変化を入れてくる可能性はあります。
さて。そんなこんなでわかっていたとしても度肝を抜かれた一話二話でした。
続き一巻収録では最後となる第三話にも軽く触れてみます。「TSF」ジャンルとしてはおなじみのイベントとしてブラジャーを買いに行くわけですが、この辺はさすがは女性の筆によるというべきか圧巻でしたね。
女性体の穂高くんは男性時と比べてさすがに落ちるとはいえ、長身でボリューミさが映える女性なのですが、彼女の魅力を獅子崎さんの下着レクチャーを軸として見事に引き出しています。
上品で合理的なんですけど、同時に背徳的な色気たっぷりなパートも用意されていてドギマギしました。
以上。
『恋と嘘』全十二巻を描き上げた気鋭のラブコメの旗手「ムサヲ」先生の作なだけあってハイクオリティは約束されていようものですが、王道の強さを改めて思い知らされました。
なんなら長期連載に至ってTSFとして新時代の牽引役になってくれればなあなんて私が願ってしまうのは、誤魔化しが効かない分難しいともいえる王道ラブコメを前面に出す実力と「華」があるから――?
と。過重な期待は今はまだ置いておきましょうか。
とまれ、記号性とリアリティを両立させたキャラクターデザインと肉体の質感、零れ落ちんばかりの艶めいた瞳に象徴される愛らしさ。ともすれば純文学的ともいえる内心での言葉の運び、かと思えば茶目っ気。
個々の要素を連ねるだけでも一級品の漫画なのですが、一巻の引きからして、さっそく波乱を持ち込んで激動の渦中に恋人たち(+巻き込まれた人)を投げ込んでくれているようです。さっそく目が離せません。
早々に作品を牽引する「謎」、獅子崎家の呪いに踏み込んでくれる辺り、出し惜しみはなしですね。
女性の世界に飛び込んでいくことになる穂高くんの葛藤や新発見も合間に描いてくれることを期待したいですが、前述した通りにいい意味で先が読めない話になってくれそうです。結末はなおのこと、読めない!
ただ、タイトルを裏切ってくれることはなさそうなので安心して読めます。
すなわち穂高くんと獅子崎さんの恋物語の基盤工事は完了しているってことですよ、きっと。
これも一話の完成度の高さありきと考えれば、改めて作者の技量の高さにほれ込んでしまうようです。
時に、もっとも男らしい行為とは「女装」。
なぜなら女性にはできない、男性にしかできない行為だからという名言(迷言)があるようです。
この場合、人は女に生まれるのではない~のボーヴォワール流は忘れてください。
それに則れば好きな人を安心させるため、女性にはできない男性にしかできない女性になるという行為に身を染めた穂高くんに私は喝采を送りたい。その上から応援を重ねたい。
なぜならば、秋月穂高という彼は、彼女になっても素敵な人間であることに変わりありませんでしたから。詳細をみるコメント0件をすべて表示