紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.76
  • (6)
  • (20)
  • (10)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 271
感想 : 32
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065332542

作品紹介・あらすじ

『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった! 無官で貧しい学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか?後宮で、道長が紫式部に期待したこととは? 古記録で読み解く、平安時代のリアル・紫式部は早くに生母と死別、父は後妻のもとに通う日々・道長の権力獲得に欠かせなかった姉・詮子・道長最大の政敵が失脚した「長徳の変」・紫式部と夫宣孝の「痴話喧嘩」・一条天皇は『源氏物語』の愛読者・華やかな定子サロンと地味な彰子サロン・「御物怪が……」彰子出産の記録『紫式部日記』・三条天皇と道長の確執・彰子と実資の間を取り次ぐ紫式部・「この世をば……」が詠まれたとき24年大河ドラマ「光る君へ」時代考証担当の第一人者が描く、平安宮廷の世界と、交差した二人の生涯!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「紫式部なくして藤原道長なし」「藤原道長なくして紫式部なし」…平安宮廷の世界と交差した2人の生涯(倉本 一宏) | 現代新書 | 講談社
    https://gendai.media/articles/-/115891

    『紫式部と藤原道長』(倉本 一宏):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000381209

  • 前に読んだ「千年の読書」にもあった「史料が千年後まで大量に残っているこの国に生まれた幸せ」の一文が320ページにあって 「こういうことか〜」と納得できました。御堂関白記や紫式部日記を 読んでみたくなりました(もちろん現代語訳で…笑)忘れちゃいけない 小右記も。平安時代の皆さん、結構 クセが強く嫌いじゃない!

  • 道長の権力への道程と、紫式部の年譜および源氏物語の見立てを並置しながら、摂関政治と、天皇、関係殿上人の関係を説明。豊富な内容。

  • 「光る君へ」時代考証担当の第一人者が、道長と紫式部と平安時代を第一次資料から読み解く。
    あとがきに、「道長を大河ドラマで取り上げてほしい」といった書き込みがあるが、日本人は合戦があって人が死なないと喜ばない。皇子が生まれたり、宴会で月を読んだりするのがクライマックスではドラマにならないでしょう。と答えていたが、なんと、大河に!二人の像が、実像からかけ離れてしまうことを危惧しているが、ドラマはドラマで楽しんでほしい。リアルな平安時代の様子や、紫式部、道長の人生も学んでほしい。」←はい。気をつけます。
    ◯紫式部と清少納言は、会う可能性はほとんどない。おそらく、紫式部は、枕草子を読んで式部日記に悪口を書いていた。
    ◯関白と摂政は、大違い。関白は、補佐するのが成人した帝だから、権限が限られている。摂政は、幼い天皇をお支えしながらも、事実上権力を握る。道長が、関白につかなかったのは、そういうわけ。道長を関白として取り込みたい三条天皇と、あくまで左大臣内覧として太政官をも掌握したい道長の政治抗争。
    ◯実資は、ロバートが演じているけど、折目正しい、曲がったことが嫌いなやり手だったようだ。
    ◯道隆が、円融の中宮を遵子を皇后に、定子を一条の中宮に立てた。本来、中宮は、皇后の別称(三后 太皇太后、皇太后、皇后)だったのに。後に道長がこの手を一人の天皇の后に対して使う。

  • 大河ドラマ予習本。
    「光る君へ」の監修者でもある倉木一宏さんのXでのつぶやきやぼやきが面白い。あくまでドラマですから、フィクションとして楽しんでねが漏れ出ている。監修者の苦労がしのばれる。この本の中でも、道長と紫式部が幼少期に出会うことはありませんと。

    それはそれとして、残された文書から読み解かれる藤原道長と紫式部の生涯は、非常に興味深い。源氏物語が広まるには背景があったのだなあ。今も昔もいい作品を作れば売れるというわけではないようだ。
    研究でわかっていること、わかっていないことがきちんと書かれているので、大河ドラマで史実に基づくところ、膨らませたところがよくわかる。
    しかし紫式部が実在することすら、証明するのは大変なんだなあ。筆まめの実資様に感謝。

  • 先日読んだ同著者の『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』に続き、今年の大河ドラマの「副読本」として読んだ。『御堂関白記』『小右記』などの古記録や『紫式部日記』をもとに、事実関係を年代順に解説している。不明な点の多い紫式部の生涯や『源氏物語』の成立についても、説得力のある主張を展開している。
    余談だが、著者の独特な言い回し(〜であるが。)を見るにつけ、クスッと笑ってしまう。

  • 平安時代初心者の方向けかな、という感じ。
    平安時代モノが好きで、色々読まれてる方には知ってる情報ばかりかもしれないが、倉本先生の一次資料で確認できる事柄のみ!というプライドが感じられる。

  • 今年の大河ドラマ『光る君へ』のおかげで紫式部と藤原道長、平安文学や平安時代に注目が集まっていて、今、書店では関連書籍が沢山平積みされています。
    源氏物語や平安時代が大好きなのでこのチャンスを逃す手はない!と書店巡りが特に楽しい今日この頃です。

    さて、本書はそんなドラマの時代考証を担当されている方が書かれた研究本です。
    いろいろ勉強になって、フセンを貼った箇所が多すぎてこちらには書ききれないほどですが、特に印象に残ったところだけでも書いときます。。

    式部の父である為時の話。
    10年ぶりに官位を得、淡路守に任命されるも、それを嘆いた為時の詩を読んだ一条天皇が涙を流し、その姿を見た道長が最上国の越前守に変更したという有名な説話に対しての解説が面白かったです。
    変更があったのは事実だけど、実際には、前年から宋の国の人が交易を求めていて、漢詩文に堪能な為時を折衝に当たらせるために淡路守から越前守に変更されたものだそう。
    こちらは、一条天皇が詩文を好んだこと、文人を出世させるという聖代感から後世に作られた説話だということです。

    「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思へば」
    この有名な望月の和歌は、一般的には驕り高ぶった道長の心情をあらわしていると言われているがそうではなく、たんなる座興の歌であって、深い意味はなかったんじゃないかって。
    道長みずから栄華の陰り(十六夜の月夜だったから)を予測したという説も却下されていました。
    座興の歌だったのに、私でも暗記してるくらい有名になってしまって、そのせいで後世に生きる私たちは、道長をイヤな奴扱いをしてしまって申し訳ない気持ちに(笑)
    なんて思ったりもしたけれど、
    道長は、相手の意向が自分の意に沿わない場合に、自分の主催する行事を後からダブルブッキングさせ、それぞれの出席者を確認するという政治手法を何度も使っていたそうで、やっぱりイヤな奴でした。
    他人を追い落としたり圧力をかけたりしながら最高権力を手に入れたけど、お陰でほとんどの人に不信感を持ち、常に怨霊におびえてる彼は、現代の私の感覚からすると全然楽しそうじゃなさそうでした。
    怨霊って結局は後ろめたさに呪われていたってことでしょう。

    そんな道長ですが、彼がずっと信用して好きだったのは身内の他は意外にも実資でした(笑)。
    小右記(実資の日記)には陰口もあるけど、御堂関白記(道長の日記)には実資への信頼感で溢れていた。。とても意外でした。

    あとは、倫子は90歳まで生きたというのにも驚きました!

    そして最後に。。
    (引退した)無位無官の臣下が退位後も政治に関与しつづけるなんて今まではありえなかったのに、道長‐頼道、道長-彰子、道長-後一条の関係を通じて、それが無理なく世の中に浸透し、この前例がのちの院政につながったというのは、なんだかとても複雑な気持ちになると同時に得心しました。いやー面白かった!

    あ。倉本先生、本書では道長と紫式部の恋愛関係は否定していたのに、大河ではそれ前提ですからね。。複雑な心境をお察しします。

  • 著者は、10年程前に「藤原道長の権力と欲望」という本を著しているが、2024年の大河ドラマ「光る君へ」の放映を機に、上記の本の増補版を作るのと同時に、新たに紫式部と藤原道長を絡めて書き下ろしたのが本書である。

    全体の流れは、タイトルの通り、歴史的な流れに沿って書かれているので、ここでは省略し、歴史的事実という定義について、面白かったので、以下に書いてゆきます。

    平安時代の藤原道長の時代でいえば、「紫式部」「泉式部」と称される女性は、確実に存在したが、「清少納言」は100%存在したとは言えないと・・・
    何故かというと、歴史学者は、歴史的な一次資料しか信用していないということなので、そういう結論になるそうです。

    この時代の一次資料というのは、藤原道長が書いた「御堂関白記」、藤原実資の「小右記」、藤原行成の「権紀」を指します。
    紫式部は、実資の「小右記」に「藤原為時の女(むすめ)」と、記載されているので問題なし。和泉式部は、道長の「御堂関白記」に「紅(こう)式部」として登場している。
    清少納言については、交流があったとされる行成の「権紀」にはまったく記載がなく、他の一次資料にも名前が全くないので、100%確実とは言えないという。
    本人が書いたと称する「枕草子」に登場するから、実在したなどというのは、歴史学では通用しないそうだ。
    但し、確実に実在した紫式部が書いた「紫式部日記」に“散々悪口を”書かれているから、恐らく実在したであろうという程度のものだそうだ。

    歴史学というのも因果な仕事のように思えます。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/1326720

全32件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1958年、三重県津市生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大学大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。博士(文学、東京大学)。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。主著に『平安朝 皇位継承の闇』『皇子たちの悲劇』(角川選書)、『一条天皇』(吉川弘文館)、『蘇我氏』『藤原氏』『公家源氏』(中公新書)、『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(講談社学術文庫)、『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書)などがある。

「2023年 『小右記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

倉本一宏の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
米澤 穂信
今村 翔吾
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×