日本の古代語を探る ―詩学への道 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087202847

作品紹介・あらすじ

神話学や人類学などの成果を踏まえた広い視野で、『古事記』をはじめとする古代文学研究史に巨大な足跡を残してきた西郷信綱氏。本書には、今なお先鋭でありつづける著者による最新の論考が、数多く収められている。豊葦原水穂国、木と毛、旅、石、東西南北…、片々たる言葉を手がかりに飛翔した想像力は、字義を辞書的に明らかにするだけでは決して辿りつくことのできない豊饒なる古代世界へと、いつしか読み手を誘ってくれる。遙か遠い時代、文字以前のその場所に、私たちはいかに降り立つことができるのか。

感想・レビュー・書評

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  • 『古事記』のなかの石といえばイザナキが黄泉の国から逃げ出してくるとき「黄泉比良坂に引き塞へ」た「千引の石」のことを、すっぽかすわけにはゆくまい。「石」をここでイシと訓まずイハと訓むのは、千人力で引っぱるような岩石であったからだが、これがあの世とこの世、村と村の境に立つ石体のサヘの神つまり石神を神話のレヴェルでかたったものであるのは、すでに承知の通りである。この石神は外からやってくる悪霊を防ぎ止める力をもつとされていたし、それが道祖神へ変身すると、こんどは旅人を守り導く神になる。サヘの神や道祖神の後身である石体地蔵の意味するところを考えてもいい。あるいは、いわゆる磨崖仏で石の中から仏がの姿が湧出する過程はどうか。
    130頁
    儒教的な帝国または一神教的な帝国が組織されるにつれ、地上の霊たちは零落を余儀なくされるか、天上に吸いとられ滅んでゆくかする。そのような帝国の制覇することのなかった古代・中世の日本には、さまざまな古い霊たちが、むろん姿をやつしながらもなお根強く生息し続けてきていたように思う。石の霊もその最たるものの一つである。(…)作庭はむろん大陸伝来の新芸術で、蓬莱山を象るといった伝統と結びついており、かくして貴族の邸宅や寺院の景観にめでたさと権威を添えようとするものでそれはあったわけだが、(…)その根底に潜むのは〈石の魂〉への信、それと芸術との古代的・中世的な連帯または結合である。
    133頁

  • 再読中なう。

  •  11の論文のうち半数が書き下ろし,他は86年から02年の間,雑誌や本に執筆したものを集めてある。
     それぞれの文章は、古代語のさまざまな有様を、綿密に仔細に検討して行くなかで、古代の人々の暮らしと歴史が立ち上がって来る。

     目次を並べると、木は大地の毛であった/「タビ」(旅)という語の由来/筑波山三題/キトラ古墳の「キトラ」について/方位のことば(東・西・南・北)/芭蕉の一句/ヲコとヲカシと/禅師内供の鼻の話/石の魂/「シコ」という語をめぐって/「豊葦原水穂国」とは何か/等々。

     それぞれに興趣つきないものがあるが、モ「豊葦原水穂国」とは何かモもその一つ。
    戦時中「トヨアシハラチイホアキノミズホノクニ」という言葉を何度も聞かされた記憶があるが,要するにそれは神国日本の美称だろうとしか感じなかった。
    著者によれば辞書にもそのような説明が多いとして「肝心なのは、この語が神話的な語彙であり」「それが権力のどのような次元に呼応し,政治上・文化上どのような意味をもっているかという点に存するはずである」と、先ず「葦原中国(あしはらのなかつくに)」は何かという問題をときほぐしていく。

    著者はこれを、高天原という天上の世界,黄泉の国という地下の世界の中間にある国であり,ここは大国主が国ゆずりする以前の、ここの国王であった時代の国土を指すものとする。つまり天孫降臨と国ゆずりはワンセットの物語で、ここにいう大国主とは、この国土の先住民の国王・土豪たちのシンボルだった、と記す。

     そして先住民の王たちを屈服させた新しい王が、単に葦がざわめく「葦原中国」から瑞々しく稲穂の実る「豊葦原瑞穂国」へ変貌させたことを、高天原の予祝である神話的用語だとする。そして天武朝の段階では,この世襲王制も第二段階に入りつつあった、と。

     天上界・この世・下界という区分は,多分ヨーロッパの天国・現世・地獄という区分にも照応するのではないかと思え,洋の東西を問わず似たような神話が生まれることも面白かった。(赤道あたりの民族では,極楽は地底にあると考えられた由。確かに地底は涼しく凌ぎ易いと想像出来る)
     またこの<葦原>の葦と稲とは同種で,多年草と一年草の差しかないということも、生態系の変化を緩やかなものとした、農耕の起源を想像させる。

     拾い出せばこの章だけでも実にきりがなく、全体に古代のささやかな言葉から様々の想像力を刺激する世界へ広がって行く一冊だが、この本のサブタイトルに<詩学への道>とある。
    そういえば半世紀ほど以前,この著者の『詩の発生/文学における原始・古代の意味』を読んだことがあった。もう手許に本は残っていないが、ここでも<詩>がタイトルに掲げられていた。
    著者は云う「今日では,文化の構造にかかわる視座ともいうべきものを詩学と呼ぶことが広く行われているが,わたしの云う詩学はあくまで、詩ム叙事詩である平家物語や近松の悲劇ものなどをふくむーの言語表現の問題である」と。
     
    ◆著者(1916年1月3日 - 08年9月25日)は、日本の国文学者。古代文学専攻。
    大分県生まれ。東京帝国大学英文科に進学したが、斎藤茂吉の短歌に傾倒して国文科に転じ、卒業。丸山静とともに「アララギ」派の短歌に傾倒する。

    戦後、鎌倉アカデミアの創設に参加し教授、その後横浜市立大学教授を長く務め、定年後法政大学教授、この間ロンドン大学教授も務めた。

    最初の著作『貴族文学としての万葉集』では、防人歌、東歌など庶民の歌とされていたものが、貴族歌人の仮託でしかないと論じた。その後国文学の世界では常識となるが、国語教育の世界では、今なお常識ではないらしい。

    日本文学協会に所属し、歴史社会学派の立場で研究を多数発表した。
    1990年、『古事記注釈』で角川源義賞受賞。1995年、文化功労者。
    2008年9月25日午後10時35分、急性心不全のため川崎市内の病院で逝去。享年92歳。

  • [ 内容 ]
    神話学や人類学などの成果を踏まえた広い視野で、『古事記』をはじめとする古代文学研究史に巨大な足跡を残してきた西郷信綱氏。
    本書には、今なお先鋭でありつづける著者による最新の論考が、数多く収められている。豊葦原水穂国、木と毛、旅、石、東西南北…、片々たる言葉を手がかりに飛翔した想像力は、字義を辞書的に明らかにするだけでは決して辿りつくことのできない豊饒なる古代世界へと、いつしか読み手を誘ってくれる。
    遥か遠い時代、文字以前のその場所に、私たちはいかに降り立つことができるのか。

    [ 目次 ]
    木は大地の毛であった
    「タビ」(旅)という語の由来
    筑波山三題
    キトラ古墳の「キトラ」について
    方位のことば(東・西・南・北)
    芭蕉の一句―「シト」か「バリ」か
    ヲコとヲカシと
    禅智内供の鼻の話―説話を読む
    石の魂―『作庭記』を読んで
    「シコ」という語をめぐって―一つの迷走
    「豊葦原水穂国」とは何か―その政治的・文化的な意味を問う

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著者プロフィール

1916年、大分県生まれ。東京大学文学部卒。日本の古代文学研究の泰斗。歴史学、人類学、神話学など新たな視野を国文学研究に取り入れ、古典の読みを深化させた。横浜市立大学、ロンドン大学、法政大学などで教授を歴任。2008年没。著書に『古事記注釈』(角川源義賞)、『古代人と夢』『詩の発生』『古事記の世界』ほか多数。

「2017年 『梁塵秘抄』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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