- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087208481
作品紹介・あらすじ
著者は近代主義建築に限界を見出だす一方、地方にこそ人と人をつなぎ、自然と調和した建築の可能性があると考える。本書では自身の地方での建築プロジェクトを通し、新たな建築のあり方を提案する。
感想・レビュー・書評
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岐阜メディアコスモスを作った人の本。
東京の魅力がなくなってきている。なぜなら、自然や土地に何も配慮しない建築をしているから。今こそ、自然や土地に合わせた建築をするべき。それを実現させた4つのプロジェクトがあり、その一つがメディアコスモスである。空気の流れや光の入り方などに配慮して設計してあり、地域密着型の建築ができた。
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伊東豊雄さんの建築への眼差しが強い言葉で表現されている一冊。
地方からコミュニティを通じて建築を考える。近代主義建築の言語ではない新たな言語の再構築。
これからの建築家に求められる職能が明言されている。 -
近代主義、資本主義の象徴となる都市は均質な空間を提供する一方で人同士の繋がりを断ち切ってしまった一面もあるという。
自然と向き合う、地域を見直す、繋がりを作り直す。
建築を皆で関わることで新たな人としての豊かさを考えましょう、と諭すようなやさしい表現で綴られています。
そんな伊東さんと近代、都市、コミュニティーなどの解釈について、現在活躍される様々な建築家やクリエイターの方々との議論を聞いてみたくなりました。 -
釜石のプランもすごく良さそうだったのに、結局全然取り入れられなかったのですね。ただ、地方に可能性を求める伊東さんのこれからが楽しみです。
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ぎふメディアコスモスに行った。
岐阜駅から北に2km。
大きく広がる柳ヶ瀬のアーケードの向こう、寒い日で人の姿もまばらな街を抜けて一歩中に入り
「みんな、ここにいたのね!」と思った。
すごく賑わっていた。
年配女性のグループ、バイオリンの講習、外国語のサークル、家族連れ、中高生、ガラスの向こうには書庫、その隣の部屋では本を修理する職員さん、
いろーんな人が、いろーんなことをしていた。
2階に上がると、歓声をあげたくなるような図書館!
これ、全部、オリジナル家具?
大きな傘の下や、周囲に作られた学習席は自然光を取り入れて明るく、季節がよければ外でもゆったり座れるようになっている。
こんな素敵な図書館、どうしてできたのか?
こんなに人が集まるのはどうしてなのか?
職員さんに、ここについての本はありますか?ときいたら、建築雑誌にはよく出てますが ... というお返事。
うーん、もうちょっと知りたい ....と、ここを設計した伊東豊雄氏の新書に行き着いた。
近代建築が、経済合理性を追求するあまり、都市は没個性でエネルギー効率の非常に悪い建物ばかりになった。
建築とは、地域の要求に応え 人々をつなぎ 街に贈り物をするものではないのか?
それが叶うのは、もう大都市ではなく、地方にある。
ぎふメディアコスモスを作るときのコンセプト。
屋内にある屋外という発想、訪れやすい場所、居心地のいい場所。 あの活気、私が感じた素晴らしさは どれも狙ってそう設計されたものだとわかった。
省エネルギーも兼ねての 光と空気の扱いについても書かれていた。
とくに触れられてはいなかったけれども、音にも感心した。
息の詰まるような静寂は無く、小さい子などのびのびと遊んでいるのだけれども、それが柔らかな生活音になっていた。
あの天井や傘や、オリジナル家具のおかげだろうか?
とても心地よかった。
他にも、震災のあとの「みんなの家」のこと、国立競技場のコンペ、松本の信濃毎日新聞本社、などなど なるほど 建築は どんな街が望ましいかという哲学の具現化、と伊藤さんが考えておられることが伝わってくるようだった。
それで .... スタバだったんだ。
ぎふメディアコスモス。
私が中学生だったら、やっぱりスタバに行きたいだろうから。 -
誰が見ても素晴らしいと思うモノを追求する必要はない。
それよりも今近くにいる人たちと、幸せを感じられるほうが大切である。
その幸せを形にし、積み上げていくことが、
建築が担ってくれる一つの役割なのかもしれないと思いました。
(以下抜粋。○:完全抜粋、●:簡略抜粋)
●「経済の豊かさより心の豊かさへ」
一、自然との関係を回復する
二、地域性を取り戻す
三、土地に固有の歴史や文化を継承する
四、人々の繋がりやコミュニティの場をつくり直す(P.56-57)
○一方、設備環境はというと、構造や空間が固まってから検討を始めます。つまり設備は後づけだったのです。けれども最近はテクノロジーが発達して、初期の段階から、構造と並行して光や空気の流れもシミュレーションできるようになりました。(P.66)
○まるで空間のなかにいるような感覚でリアルに想像することができました。今では構造と設備を同時に進めていくことによって、より自然に近くて快適な空間ができると確信しています。(P.67)
○建築というのは、このよに目指していることを共有できるたくさんの人たち、みんなでつくりあげるものなのです。(P.87)
●フランク・ゲーリー、菊竹清訓、ル・ゴルビジェのカップ・マルタン(P.142)
●コミュニティデザイナーの山崎亮(P.148)
●丹下健三さんの香川県庁舎、倉敷市庁舎、広島ピースセンター、前川國男さんの岡山文化センター、大高正人さんの坂出人工土地(P.158)
●カーテンウォール、プレキャスト工法、ブリーズ・ソレイユ(P.168)
●コンスタンティン・プランクーシの無限柱、磯崎新の水戸芸術館(P.171)
●アルヴァ・アールト(P.178)
○そして少しずつわかってきたことは、私たちが日常的に使っている建築言語では、建築の専門家ではない普通の人たちと同じ目線で対話ができないということでした。(P.183)
●村野藤吾、白井晟一(P.196)
○プロジェクトは単なる調査研究ではなく、より実践的に、「大三島を日本でいちばん住みたい島にする」に近づくために、自分たちも楽しみながら行動してみようということです。そのため、プロジェクトの運営方法やゴールはあえて決めていません。効率的に進める近代主義的な発想ではなく(P.114)
○私たちのように、島とはもともと関係のない人間がゼロから何かを始めようとするときには、まず島の方々かに受け入れられることが重要です。信頼を得なければならないのです。その一歩は、誤解を恐れずに言ってしまうのならば、「この人たちもいいやつなんだ」と認めてもらうことだと思うのです。(P.119)
○最近、ハーバード大学に限らず、世界中の大学から建築を学ぶ学生がワークショップや短期プログラムで日本に来ています。日本の建築は国内ではあまり話題にもなりませんが、世界からは注目されているという何とも皮肉な状況です。(P.131)
○興奮状態の現場と静かな病室のギャップもあって、このような「芸術的」とも言える建築をつくるのはこれで最後にしようか、と考え込んでいました。これほどの時間とエネルギーを注ぐ仕事は、自分の建築人生で、もはやあり得ないだろうと思ったからです。(P.198)
○東日本大震災の復興と新国立とが共通しているのは、相手が公共の場合には誰も個人としての顔を見せてコメントしないこと、オープンな討論は一切しないことです。(P.202) -
日本を変えるのではなく、社会を変えていこうとする姿勢にみえます。こんな仕事をしてみたいですね。
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伊東建築論