日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087210811

作品紹介・あらすじ

2018年6月、「多くのひとは辞める練習が足りてない」というツイートが
数万回もリツイートされ話題になった。その反響が浮き彫りにしたのは、
「日本にはやめられなくて苦しんでいる人がたくさんいる」ということ。いじめ、自殺、ハラスメント…
日本のこれらの問題は「やめられない」「逃げ場がない」ことが深刻化の原因だ。
一方、このツイートをした著者の住むマレーシアは「仕事や学校が嫌ならすぐやめる」人も多く、
それでも社会は回っている。多様性にあふれ、怒る人が少ない寛容な“ゆるい"国に今、日本から移住・留学する人が
増えている。そのマレーシア人の考え方、驚きの教育制度など、日本とは別の世界を紹介する。

●ハッピーじゃなければ学校を簡単に転校する人がいる
●クラスメートの年齢がまちまち。5歳と8歳が1年生ということも
●試験は厳しく落第あり。逆に飛び級できる学校もある
●学校に行かずホームスクールで好きなことだけ勉強する子がいる
●学校行事に出るか出ないか、子供が自分で決める
●自分で決めるから、その結果を引き受ける訓練ができる
●同じクラブ活動を続けてはいけない学校がある
●先生が子供の才能・適性を穴が開くほど見て探す
●信号が壊れていたら、譲り合ってテキトーに行く
●飛行機が何時間遅れても怒らず、近くの人と名刺交換&談笑
●社会システムが不十分なところは自分の頭で考えて動く
●小学生が政治について議論する
──本書より要約して抜粋


【著者略歴】
野本響子(のもと きょうこ)
東京都生まれ。早稲田大学卒業後、安田火災海上保険(現・損保ジャパン)に入社し、アスキーへ転職。
その後、フリーとなり「ASAhIパソコン」「アサヒカメラ」編集部を経てマレーシアへ。
著書に『いいね!フェイスブック』(朝日新書)、『マレーシアの学校の○と× アジア子連れ教育移住の第一歩』(kindle版)など。
現在、現地のオンライン「マレーシアマガジン」編集長の他、PRや教育事業、旅行事業などに従事。

感想・レビュー・書評

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  • Voicyで聴いている、文筆家、編集家のもきょうさんこと、野本響子さんの本。タイトルの話をツイートしたら、数万回もリツイートされて話題になった。
    現在もマレーシアに移住しつつ、Voicy、note等で活躍されている。
    タイトル通り、日本人はやめる練習が足りてないと思う。というか、やめない練習をずっとしてきたせいで我慢することが当たり前になっている。
    だから自分の我慢の限界がわからずに壊れてしまう人が多いのではないか。
    マレーシアのすべてがいいとは思わないし、日本の教育の全てが遅れているとまでは思わないけど、合わなかったら別の選択肢もあるんだよと思ってほしい。
    マレーシアまで行くことはなくても、この選択肢が自分に合っていなかっただけ、次へ行くことは普通のことだと思えたら、痛みは軽くなる気がした。

  • とても面白かった。
    見える世界が、すこし変わった気がする。

    『正しさには意味がない。というより正しさは、人種や地域、時代によって動く曖昧なもの。』
    多様性を持った文化ではこういった価値観が根付いていて、それが他人に対する寛容さにつながるんだろうな。素敵な社会だと思う。

    日本も好きだけど、マレーシアに留学するという選択肢も持っておこうと思った。



  • 「そうそう、これが言いたかった!」が詰まった一冊だった。私はマレーシアではなくアメリカに住んでいたけど、本著に書かれていることの多くにかなり似た思いがある。他の国の方の意見もぜひ聞いてみたいと思った。

    日本にいると失敗ができない、多数派から外れることができない、20点を取っても150点を取っても100点でいることを求められる…それは、いくら本人が望まなくても周りが望むから。
    だけどその考えが基盤にあると挫折は悪になって、挫折しそうな芽は始めから摘まれてしまう。するとなにかの拍子に誤って実際にエラーや挫折を経験したとき、本人も周りも対処できなくなってしまう。仮に本人が平気でも周りが過剰に反応する。受け皿を増やす必要があると思う。

    日本がダメで外国が優れているというわけじゃない。日本のモノとサービスはやはり完璧。だけど今の社会は、あまりにもみんな完璧であろうと頑張りすぎているから(無理矢理に努力させられているという表現の方が正しいかもしれないけど)。
    少し肩の力を抜いてもいいんじゃない?と提案してくれる本作、頑張りすぎて少し疲れてしまった方に読んでもらいたい。

  • マレーシア人の即辞める&ポジティブ思考にものすごく救われた。

    日本の小学校に馴染めなかった息子さん。保育園では元気いっぱいだったのに、泣いて登校を渋るほど。そんな息子さんがマレーシアのインターナショナルスクールでどんどん元気になって、「先生はなんでもほめてくれる!」と嬉々としてお母さん(筆者)に話す様子に全私が泣いた。

    やめる練習、挑戦する練習、失敗する練習も足りてないんだと思った。特に私。なんとなく大学に進んでなんとなく就職して、、、そして路頭に迷う。筆者の話はまるで私みたいだった。(私の方が年齢もいってるぶんタチが悪いかも笑)
    でも、年齢なんて!と思った。まだいっぱい挑戦したといえるほど行動してないのに、将来を悲観的に見すぎていたと思う。たくさん挑戦しよう。挑戦した分失敗も受け入れよう。ひとつでも、成功すればいいかな。

    語学留学を検討してたけど、この本を読んでマレーシアが第1候補になった!この国に行ってみたい。住んでみたい。皆が皆グローバルにならなくていい、と筆者は言うけど、私がどっち方面なのかはまだわからない。行って失敗だったらそれもまた勉強だし収穫になる。希望がもてる本だった。あと、私も人に寛容でいようと思う。考え方が合わない人は、宗教が違うと思って線引きしよう。そして立ち入らない!←ココ大事!

  • ・付き合う人によって、自分の考えが影響されると言うのは大いに納得。
    だんだん周りの人と考えがずれていくのは決して悪いことではない。

    ・日本の社会は
    途中でやめることを想定していない
    やめたら受け皿がないから

    ・マレーシアのクレームの書き方
    まず感謝を伝える
    怒っている事は伝えない。事実だけを伝える


    ・日本は完全を目指す、
     不信が存在しているので、
     そこを拭うコストが非常にかかる。
     スピードや意思決定が遅い。

     マレーシアはラフで早い。
     用件だけで、絵文字入りのチャットも多い。


    ・子育てをしていても子どもの良さを見つけようとする先生が多い。
    「〇〇に才能があるわ、この子」と
    よく聞かれるのは、そのため。


    ・ヒンドゥ、イスラムなど多宗教であるマレーシア。
    だから「あなたはどうしたい?」が聞かれ、
    それに答えると「わかったわ」と文化尊重される国


    ・日本は自分で判断するという経験が少ない
    だから、他人の顔色を伺い、
    それが違うと人を責める


    ・多言語で育つと、見える世界が増えていく


    ・学校行事(遠足など)ですら、参加するかしないかの選択を迫られる。
    個人で選ぶことができる。
    家族の予定を優先するのも
    マレーシアでは当然と言う感じ。

  • タイトルと中身がまったくもって違う、ということはないのですが、この本の中身は、著者から見た、日本とマレーシアの文化比較、といえると思います。

    その比較のうちの一つが、「日本人はやめる練習がたりていない」であり、その背景には、マレーシアが多民族国家であることや、イギリスからの独立といった歴史的な経緯があることや、仕事や家庭に対する考え方の違い、といったことがある、というのが著者の見方といえると思います。

    また、マレーシアは、多民族国家であるがゆえに、他者に寛容であり、その結果、子どもにも寛容で、子育てがしやすい国、と書かれていまして、この点も、マレーシアで子育てをすることを選んだ著者にとっては、重要な主張だと思います。

    全体的に、「マレーシア万歳!」な論調ではありますが、日本には日本のよさがある点への配慮も見られ、また、本書については、今後、日本がよくなっていくためのヒントになることを望んで書かれていると思われるので、そのように受け止め、今後に活かしていきたいと思います。

  • 大事なことは、
    自分で決めて、自分で選択すること。
    最も重要なのは、
    その選択が間違っていた時に誰かのせいにせずに、自分で軌道修正し、選択し直すこと。
    そうしないとずっとある場所にとどまってしまい、愚痴を言い続ける人生になってしまう。
    自分を知る作業。
    人それぞれ自分がハッピーになる道をいく

    すごいためになって、心に響いた本でした。

  • 幼い頃、なんか違うかも嫌かもと思いつつ続けていた人間関係があった。この本を読んで、あの時の自分は、違和感を感じつつ我慢し、その関係をやめることができなかった(他の人間関係の選択肢もある=人間関係もトライアンドエラーができることを知らなかった)とようやく自分の小さな頃の心情を整理できた。0歳の子供がいるが、自分の感情に素直になること、嫌なら嫌であってよいこと、それを表現することの大切さを知って成長してほしいと思った。
    マレーシアの教育を受けてみたかったが、大人になった今できるのは、自分の人生を自分ね選択することや複数選択肢をもっておくこと。まずは、仕事の中身を分解して、自分の好きや得意を伸ばせるなど、キャリア形成を自分でできるようにしたいと思う。

  • 自分も海外で何度か暮らすなかで、肩の力が抜けた経験があるので、共感を持ちながら読んだ。

    日本の息苦しさと、それがない世界でそこから解放される気づきが、はっきりとわかりやすく書かれている。
    日本の「普通はこうするはず」という「正しさ」、そこから生まれるマニュアルや丁寧さに、疲れるなぁと思っていたので、その言語化がしっくりきた。


    そして、子育てはこれからという段階なので、そのあたりの具体的なエピソードは、とても興味深く読んだ。

    教育はそんなにこだわりがない気でいたけど、こだわりなく日本の教育の流れに任せたら、子供に窮屈を強いることになるのではという気がしてくる(思えば私自身、日本以外の学校に行ったことはとてもよかったことを、思い出す)。

    転校いつでもok、褒めるところを一人ひとり見つけてもらえ、たくさんのトライアンドエラーをして、子供自身が「自分で決める」経験をできる、マレーシアのインターナショナルスクール、めちゃくちゃいいなぁとも。

    以下、印象に残ったところ引用↓

    ——

    お互いに友達のように接するので、欠点を追及したり、間違いに怒ったりする人の数が極端に少ない。それでも社会は普通に回っている。

    全体にラフなので、そのぶん、仕事の中身に集中できる

    お互いに期待が大きい割には、「察すること」が苦手な人があまりに多いから、「こうするべきだよ」と書いた細かい礼儀作法やマナーがどんどんできたり、失礼だと怒る人が発生したり、応対が完全なマニュアル通りになってしまったりするのだろう。

    「相手の気持ちは想像できるはず」という幻想があるから、「常識をわきまえていない」「普通はこうするはずだ!」と揉めたりする。

    編集者になりたくても、他人との関わりが苦手で、原稿を依頼するのに過度に緊張するようでは仕事に支障をきたすだろう。

    夢が「ある」のが正解、運動会が「楽しかった」が正解、としている限り、本人オリジナルの複雑な思考が閉じられてしまい、「力を合わせて頑張った」風の思考停止に陥ってしまう。

    動物的なカンというのは案外バカにできない。他人は理由を求めるかもしれないが、理由なんて別に何でも良いし、なくても良い。
    自分で責任を取るなら「こっちの方が何となく良さそうだな」「なんか、気になるな」程度で動いてもいいのではないか。他人に理解してもらおうとしなくていいのだ。

    日本の情報の中には「こんな女性は嫌われる」「こういうマナーはダメ」など、「世間(周囲の人は)はこんなことに苛立っていますよ」というメッセージが込められていることがある。

    女性たちを見ていても、日本流に育児や家事を完璧にこなそうとする人が多い。
    マレーシアに来てお金があるのに、「まわりの目があるから」「専業主婦なのに楽していると思われる」とお手伝いさんを頼めないでいる人すらいる。
    狭い世界で「他人の目を判断基準にする」ことをやめない限り、自由になるのは難しい。

    「正しさ」には大した意味はない

  • もっとシンプルに自分が幸せかどうかが判断基準でいいと言うこと。
    学校も仕事も人間関係も結婚生活もハッピーじゃないからやめる。それでいいのだ。

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