人新世の「資本論」 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087211351

感想・レビュー・書評

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  • 元々、資本主義による格差社会に疑問を感じていたこともあり、難しい内容だがすんなり入ってきた。
    これまで色々な専門家や、国家の単位で社会主義・共産主義が掲げられては崩れ落ちて来たけれど、
    一方で経済成長を促してきた資本主義もいまでは格差という大きな問題に突き当たっている。
    共産主義も失敗し、見た目上上手く回ってみえる資本主義も崩壊寸前。ではどうすれば良いのか、考えなければいけないこの時代で、一つの案を提案してくれた重要な経済学者の一人だと思う。

    ただ、その理論には(これまでの共産主義がそうであったように)穴が沢山あるように見える。斉藤さんの脱成長を促進するという考えも一つの案として考えながら、より現実的で実現可能と思われる政策をこれからも国民一丸となって考える必要がある。個人的には、成田さんの提唱するデータ資本主義のほうがファンタジーすぎる案ではあるが、AI社会の中で実現可能性があるようにも思える。

  • 日本企業で働くサラリーマンという立場から書評を書きます。これまでマルクス主義者が書いた本は何冊か読んだことがあったのですが、その中ではかなり読みやすく説得力もある本だとは感じました。ただ一貫して大きな違和感を持ち続ける本でもありました。まず本書の主題でもある「脱成長コミュニズム」という言葉。著者が言わんとしている「脱成長」とは、資本主義の否定だと言うことですが、はたして「成長」は資本主義の専売特許なのでしょうか。何の成長なのかがより大事なのではないでしょうか。著者が批判する成長とは資本の増殖(成長)であって、それはGDPなどの経済指標が18世紀から指数関数的に増加していることから見て取れます。そしてこれを追求するのはもうやめよ(つまり端的にはGDPの極大化、永遠の成長を目指すな)ということで、これはそうだろうなと思う一方、著者が本書で主張しているのは別のモノの成長を追求せよというメッセージではないでしょうか。それは「使用価値」の追求であり、連帯感、環境意識、コモンズが成長する社会を構築しようということでしょう。そうであれば、著者は「成長」という概念をマルクスで鍛え直そうと言うべきであって、「脱成長コミュニズム」という言葉は、申し訳ありませんが私には響きませんでした。つまり脱成長ではなく、「資本では無い別のモノ」を成長させようというふうに主張すべきなわけです。

    2番目に違和感を持ち続けたのは、著者が描く企業観です。著者は一貫して株主がいる会社の存在を否定していますが、たとえば日本企業に目を向けると、そこまでひどい企業ばかりとは思えません。企業経営者の中には、本気で利潤獲得と社会正義の両立を目指して事業をしているところもあり、協同組合型ではない企業はすべてダメだと一刀両断する姿勢はあまりに幼稚でしょう。こういう企業経営者こそが大いなる矛盾に日々悩んでいるのです。もし著者が、企業で働いた経験があったり、NPOを立ちあげるなど何らかの「行動」を起こしているのであればまだ説得力はあるのですが、本書を通じて「それであなたは何か行動しているのですか?」という問いかけが常に頭に浮かびました。また本書には、銀行や保険、コンサルティングなど高給取りほど使用価値のない仕事(ブルシット・ジョブ)だから無くして大丈夫だという話も出てきますが、それなら経済学者のなかには害をもたらしている人もいるんだから(全員ではありませんよ)、そういう人々は使用価値がないどころか、マイナスだろう、とは思いました。つまり「この職業はブルシットだ」というような「イチかゼロか」論ではないのです。本書を通じて感じたのは、著者はイチゼロ論を進めるクセがあるようですが、それこそが危険思想なのです。大企業イコール悪、というような思考様式で、このような思考様式はある意味で思考停止状態を生み出してもいるからです。私は企業人ですからバイアスがかかってしまうのですが、利潤獲得という命題に従いながらも、気候変動や格差問題に本気で取り組む企業は(少なくとも日本には)存在していて、日々多くの矛盾に直面しながら苦闘している企業人がいる、ということは主張したいと思います。

  • 著者の主張を要約すると、気候変動を引き起こす資本主義による成長はだめで、生産を使用価値重視のものに切り替え、無駄な価値の創出につながる生産を減らして労働時間を短縮し、労働者の創造を奪う分業も減らして、生産過程にまつわる意思決定を民主的に行い、社会にとって有用で環境負荷の低いエッセンシャルワークの社会的評価を高めていくことで、脱成長で気候正義を実践しようというものである。その萌芽がバルセロナのフィアレスシティ宣言や南アのサソール社に対する抗議活動で見られる。欧州地方自治体のミュニシバリズムは全世界に広がってきており、今こそ日本でも行動を起こすときだと。
    マルクスは晩年こう考えていただろうという著者の研究成果は判った。しかし マルクスが考えたから正しいわけではない。論旨は理解でき、ブルシットジョブをやめようとう意見には賛成だが、だから資本主義を全否定する方策がうまくいく気がしないのは私だけだろうか。コミュニティ内には、善人で頭の良い人だけがいるわけではない。金持ちが自分に都合のよいようにルールを変えてしまうのは資本主義が悪いのではなく民主主義の脆さだと思う。

  • 新たな発見、考え方を認識する事が出来た。
    SDGSはアヘン。このキーワードは確かに実感する。
    とても勉強になった。また、この手の本を読んで視野を広げたい。

  • 偏りはあるが、読み手の考えを喚起してくれるという点で優れた本だと思った。


    斎藤先生は気候変動に対し強く危機感を煽っている。
    人が周囲を扇動するのはどんな時だろうか。思うに自分の利益を得たい時、あるいは義憤に駆られた時ではなかろうか。
    前者では、例えば「このままではAIや海外の廉価な労働力に仕事を奪われる。非正規雇用で苦しむ人間がいたとしても生産性を上げるためだ。仕方がない。」と云ったりする。
    先生はおそらく後者であろう。

    先生の危機意識にはジブリっぽい終末観が見える気がする。(『風の谷のナウシカ』や『On Your Mark』)こんな生活が続けられるはずがない。地球が持たないと。そしてこの危機に対する唯一の処方箋が「脱成長コミュニズム」であると主張している。
    この点ワンピースのルフィの自然観が糸口になりそうな気がしている。(原作は読めてないですが)ワノ国ではカイドウが武器の生産を囲い込み、希少性を産み出して利益を得ている。そして周囲の環境を汚染して外部に矛盾を押しつけている。飢えるお玉を目の当たりにしてルフィは、自然があればなんとでもなるのに的なことを叫ぶ。


    資本主義下における我々の生活は外部に矛盾を押しつけることで成り立っている。これは環境に優しい資本主義にシフトしたところで変わらない。経済成長は温室効果ガスの排出と切り離す(デカップリング)ことはできない。

    ここで先生が援用するのはマルクスの思想だ。
    ソ連的な独裁政治の失敗により、共産主義の信用は地に落ちたが、新たな研究によれば、晩年のマルクスは資本論の時点で展開していた「ヨーロッパ、生産力至上主義」を乗り越えていた。この研究は著作以外で書かれた手紙や手記も対象としている。マルクスは現代の気候変動をもその射程におさめていた。多様性と脱成長の視座を得ていたのだ。


    少し脇道。昔、柄谷行人の思想にかぶれたことがある。
    何の著書かは忘れたが、なぜ後進国ロシアで革命が成ったのか、その後強権的な政府になったのはなぜか。それを鮮やかに解き明かしていた。曰く、ロシアの生産力から見れば、専制君主の代わりを共産党が行っていたに過ぎないと。これは自分にとっていまだに説得的であるが、生産力至上主義にとらわれたきらいもあるかもしれない。
    また柄谷氏はカントを通してマルクスを読み直す試みを行ったことがある。そこではカントの道徳律が引用されている。「他者を手段としてではなく、目的として扱え」と。そしてこの他者には、かつて生きていた者、まだ生まれていない者も含む。
    さらに柄谷氏はMAMという実践を行っていた。地域通貨を発行し、富の流出を防ぐ試みのよう。

    両者に差異はあるものの、資本主義に対する危機感を共有しており、理論的な共通項も散見される。
    例えば、自由な生産者による協同体(アソシエーション)の構想だ。生産手段をコモンとして共同管理していくことで、地球のレジリエンスを超えた過剰な物質代謝を抑えて行くということだろう。


    世界に変革をもたらす為に競争から降りるというのは、行く行くは自分のメリットになるとしても怖いものかも知れない。その隙に誰かに儲けの機会を奪われてしまうかもしれないからだ。しかし、世界を変える3.5%に入るための道具は色んな所に転がっているかもしれない。

    まとまりないが、読んで思ったことはほぼ書いた。
    長くなったが、改めてその位の熱量を持たせてくれる本だったと思う。

  • 少し難しかったがなんとか読み切った、一度諦めて積読してた本。気候変動と資本主義の関係について理解を深めることができた。いまのままじゃだめなんですねそれはそうですよね。

  • 一気に読めた。コミニズムの必要性はなんとなくわかるが、それがうまく機能するとは到底思えない。
    何故ソ連が独裁的になってしまったかを考えるべき。空想的かも知れないが、現状のシステムの中で、環境への配慮を重視すべき。ただ、使用価値のない仕事は無くして、エッセンシャルワークを重視するのは大賛成。早く、高給のブルシットジョブとはおさらばして、意味のある仕事に就きたい。

  • 非常に面白かった。今の世の中なんかおかしい、理不尽な事が増えた、と感じていたが、それが何故か明らかに説明された気がする。人間の力、資本主義が、もう地球を壊そうとしている時代まで来てしまった事を深く理解した。これからの世の中或いは生き方がこれまでの延長には無い事を覚悟しなくてはならないと思った。また、資本主義の悪い点にNOを言い、対抗する行動の大切さを理解した。

  • 今の時代に読んでおくべき1冊だと思います。

    「緊縮は成長を生み出すために希少性を求める一方で、脱成長は成長を不要にするために潤沢さを求める」という一文が資本主義、特に現代の新自由主義との決別の必要性を端的に表していると感じました。

    希少性とはエンクロージャー(囲い込み)によって富を生み出す源泉なので、資本主義の下で緊縮政策を取ると企業が富を生み出すために、より「コモン」の略奪をし始めるため、貧富の差が結局増大する。
    脱成長は潤沢さを求めるとは、経済の成長を追い求めるのか、求めないのか矛盾しているように感じますが、それは我々が資本主義でしか『富』を考えられない呪縛に縛られているからで、実態は、資本主義では脱成長を求めても十分な潤沢さを得ることは不可能なので資本主義は破棄する、潤沢さは「コモン」を取り戻すことで(生活に必要な共有材を資本から切り離せば)、自然は人間が生きていくだけの豊かな資源を提供してくれる、ということを指します。

    SDGsを始め、現代の社会変革論は資本主義の上でその欠点を是正する修正主義でしかないのでどうやってもうまくいかない、矛盾が生まれ破綻する。
    なので「価値」に縛られる資本主義は破棄し、資源が本来持つ「使用価値」こそが豊かさの源泉であるという社会の転換を進めなくてはいけないという主張がなされています。

    そして、それを唱えることは斎藤先生にとっては大きなリスクを負うことになりますが、それを承知で「3.5%」になってくれる人を少しでも増やしたいという啓蒙の本でした。
    ※世界各国で独裁政権などを打ち倒す社会革命は、たった「3.5%」の人が本気で立ち上がることで成し遂げられてきたという研究結果があるそうです。

  • 脱成長!

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著者プロフィール

1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marxʼs Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。著書に『人新世の「資本論」 』(集英社新書)などがある。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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