- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087211573
作品紹介・あらすじ
日本は「核兵器のない世界」を望んでいるだろうか。
原発などの「核エネルギーのない社会」を本当に目指していると言えるだろうか。
本書は広島への原爆投下から3・11以後の現在に至るまでを歴史的・思想史的にたどりながら、安全保障の前提としてアメリカの核兵器に依存し、政治・経済上の要請から原発と核燃料サイクルを維持するという、核エネルギーを利用するシステムがいかに日本社会に根を下ろしているかを明らかにする。
そこから浮かび上がる〈核〉と日本の現在地とは?
◆目次◆
○第1章 核時代を批判的に考察する六つの論点
近代の病と巨大科学技術/第一の論点:開発主義と構造的差別/第二の論点:廃棄物と未来責任/第三の論点:民主主義と管理社会/第四の論点、確率的リスク/第五の論点:男性性と女性性/第六の論点:メディア文化の蓄積/論点が集約された核燃料サイクル計画
○第2章 被爆国が原発大国になるまで
敗戦から原子炉の導入まで/原発大国への助走/問題噴出の時代/チェルノブイリの衝撃/相次ぐ事故の時代
○第3章 日本と核の現在地――3・11以後
民主党政権時代/自民党政権下の再稼働/フクシマを語るということ/国民統合と差別
◆著者略歴◆
山本昭宏(やまもと あきひろ)
1984年奈良県生まれ。神戸市外国語大学准教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。専門は日本近現代文化史。
主著に『核と日本人――ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』『戦後民主主義――現代日本を創った思想と文化』(ともに中公新書)、『核エネルギー言説の戦後史 1945-1960――「被爆の記憶」と「原子力の夢」』『大江健三郎とその時代――「戦後」に選ばれた小説家』(ともに人文書院)、『教養としての戦後』(イースト・プレス)などがある。
感想・レビュー・書評
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存在の抹消。量子力学と精神医学の観点からデリケートな話が続いておった。天秤。
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30年ほど前に高木仁三郎を読んだ段階で原子力発電所は人間には手に負えない技術を扱っているということを確信していた。だから、地球温暖化の話などをしているときも、原子力はクリーンエネルギーなんかじゃないと言ってきた。けれど、3.11の現実を突きつけられて、多くの人が全く違う認識をしているということに気付いた。一時、原発反対のデモも盛り上がっていたが、また忘れられてきているのだろうか。そして、本書最終章によると、福島の現状はなんら改善されているように見えない。古くは朝永振一郎、坂田昌一などの著作やオッペンハイマー、シラードなどの伝記を読み、科学者の原子力エネルギーに対する後悔と期待をかいま見てきた。最近は、「広島平和記念資料館は問いかける」を、そして今はフォン・ノイマンの伝記を読んでいる。いや、何をどう読んでも、やはり、原発は即刻すべてやめるべきである。それ以外に道はない、そう思う。本書の著者は私より20歳ほど若い。そのせいもあるのか、歴史的な背景をていねいに書かれてはいるが、自身の考えがほとんど見えてこなかった。どうすべきだと考えているのか、具体的にどういう動きをしようとしているのか、などの記述があればもっと引き込まれたのかもしれない。齋藤幸平さんの本があれだけ売れているのは、皆を3.5%に入るよう「やる気」にさせたからだろうから。