- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087441383
感想・レビュー・書評
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ブグログでは、自分の登録した書籍について検索がかけられるようになっている。その検索で調べてみると、本書で私が読む内田洋子さんの本は、10冊目ということになる。最初に読んだのが、「ジーノの家」で、これを2020年の7月に読んでいる。それから約8ヶ月で10冊。すっかりお気に入りの作家となった。
これまでの9冊に対して私が書いた感想も目を通してみた。色々なことを書いたつもりであるが、結局は、「内田洋子はうまい」という事だけが、殆ど唯一の感想として書かれている。本書に対しても、同じことしか書けない。内田洋子さんは、本当に上手い。
本書は、内田さんが移り住んだヴェネツィア、正確には、その対岸のジュデッカ島での生活で経験したことのあれやこれやをエッセイにしたものである。最初のいくつかのエッセイには、内田さんがヴェネツィアに移ろうとしたことの理由や、ヴェネツィアそのものがどういう場所であるのかの説明が、結構、書かれている。ヴェネツィアを知らなければ、内田さんが、ヴェネツィアに、ある意味で憧れている理由もピンと来ない。だから、最初のうちは、本書は、ヴェネツィアを知らなければ楽しめないかな、と感じながら読んでいた。
が、実際には、そんなことはなかった。
ヴェネツィアでの日常のあれやこれやが、主役であり、ヴェネツィアという場所が主役ではない。それは、これまでの内田洋子さんのエッセイと同じであり、徐々にそういったテイストにエッセイが戻っていき、ある意味で、安心しながら楽しむことが出来た。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「もはや自分の故郷は特定の場所にではなく、同類の気配の中に漂っているのかもしれない。」
私には遠い遠いベネツィアも、神戸生まれの内田洋子さんには故郷と通ずるものがあるらしい。
この「同類の気配」に、なぜかゆかりのない街並みにふと親しみを感じる理由ががわかった気がした。
「読むために生まれてきた」にしびれる。
「本に出てきた人や動物たちに手紙を届け」てくれる配達人さん、なんて素敵なのだろう。
こちらとあちらを結ぶもの。
対岸はいつだっていいように思える。
日本から見たヴェネツィアが美しく思えるように。
けれどやはりあちらにも苦しみはあって、
最後の章で「女だから」ゴンドリエーレになれないアレックスと、冒頭で内田さんにメールを送っていた日本の友人の悩みは同じものだと感じる。
わたしにとってイタリアという「あちら」と「こちら」の日本を結んでくれるゴンドリエーレは内田さんである。
「豊かな言葉が世界を広げるのなら、貧しい言葉は囲いを築く」
対岸に壁を作らず、自由な魂でいたいと思う。
そして、美しいばかりでないどこかダークな、だからこそ幻想的なヴェネチアの描写には、自分も街の深みに迷い込んでいくよう。
フラーリ教会の寒の底に浮かぶ宗教画。
日暮れの中で黒く縁取られる顔の影や、迫り来る赤煉瓦の壁。
赤ワインやアーティチョークの舌触り。
「エデンの園」インゲの庭の青い草いきれ。
闇夜の沈丁花の香り。
そして全てを包む灰緑色の海。
はっと本から顔を上げて、自分が陸にいることを、足元を確かめてしまう。
「<病みながら生き、死ぬときは健康>というのは止めたほうがいいな。」
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美しい物語を読んでいるかのような満足感を得るエッセイ。ヴェネツィアの表面ではない、日常に沈んだ内面を見せてくれるかのような魅力がある。そこに生きる人々に交わり、声を聞くことで、昔から連綿と続く、今のヴェネツィアの息吹を感じる。
いつか、観光客としてではなく、滞在者として訪れたい。 -
内田洋子(1959年~)氏は、神戸生まれ、東京外語大イタリア語学科を卒業後、40年来イタリアに在住するジャーナリスト、エッセイスト。2011年に『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞をダブル受賞。現在、通信社ウーノ・アソシエイツ代表を務め、イタリアに関するニュースを配信するとともに、イタリアの風土、社会、人々、食をテーマに、年1~2作のペースでエッセイ集などを発表している。2019年には、日伊両国間の相互知識や情報をより深めることに貢献したジャーナリストに対して伊日財団より贈られる、「ウンベルト・アニエッリ記念ジャーナリスト賞」を受賞している
私は、『ジーノの家』にはじまり、『ミラノの太陽、シチリアの月』、『カテリーナの旅支度』、『皿の中に、イタリア』、『どうしようもないのに、好き』。。。と、著者の数々のエッセイ集を読んできたが、毎回、登場する著者の友人・知人たちの人間模様の複雑さ・多様さに驚き、また、それらを紡ぎ出すことのできる著者の、類稀な感受性、誠実さ、面倒見の良さ、人への興味、柔軟性、忍耐強さ、フットワークと、イタリアに対する愛情に、ただただ脱帽するのである。
著者は、活動の拠点とするミラノのほか、これまでも、(渡伊直後の)ナポリの大邸宅、リグリアとピエモンテの州境の海からほど近い山間の村、リグリアの海の木造帆船、サルディーニャ島。。。と様々な場所に住んできたが、本書では、遂にヴェネツィアに移り住んだのだ。(私は1990年代の大半をヨーロッパに駐在し、数十の国を訪れたが、最も魅力的な国をひとつ挙げろと言われれば、迷うことなくイタリアを挙げるし、その中でも最も惹かれた街は、やはりヴェネツィアである)
著者は、「目覚めて雨戸を開けると、窓の中に運河とサン・マルコ寺院が見える」という、対岸に本島を望むジュデッカ島に住んで、幻都・ヴェネツィアの「無尽蔵の魅力」に挑戦し、「住み始めると、焦燥感はなおさら強まった。足が路地を覚え、風向きや潮の匂いで空模様を当て、運河の水の色で時刻がわかるようになると、町はますます遠のいていった。」と語るのだが、地元の人びととの出会いを通して得たヴェネツィアの日常は驚くほど発見に満ちていて、著者でなければ描き得ないものである。
魅惑の街・ヴェネツィアと、そこに生きる人びとの人間模様を描いた、出色のエッセイ集である。
(2020年9月了) -
旅行者ではなく、居住者から見たヴェネツィアに関する随筆。
また、場所というよりかはそこに住む人々にフォーカスが当てられている点が印象的でした。
キラキラした観光地ばかりではなく、その地その地の生活や日常があぶり出されており、それらを通じて、その街の雰囲気を味わう事が出来ました。
個人的には『女であるということ』『陸に上がった船乗り』が好きだったなあ。
初めてヴェネツィアに行ったのは大学2年生の頃、また何度だって来たいな〜と思っていたら、こんな事態が来るとは、、、、、。 -
短編集
印象に残った作品は『陸に上がった船乗り』 -
知らなかったヴェネツィアを少し知ることができた