- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087457483
作品紹介・あらすじ
太平洋を望む美しい景観の港町・鼻崎町。事故が原因で車椅子生活を送る小学生・久美香と、彼女を広告塔に支援団体を立ち上げる大人たち。善意が人間関係を歪める緊迫の心理ミステリ。(解説/原田ひ香)
感想・レビュー・書評
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1度では全て理解出来ていない感覚。
3人の女性視点でお話が進んでいくため
途中は混乱する。
読み進めれば進めるほどハマっていき
この人間関係のリアルさが個人的には好みだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本作解説に記されていた通り、女性3人それぞれの視点で描かれた”主観と主観の殴り合い“の作品。
この著者は、なんて卑しく妬ましい心理表現を放つのだろう。喜怒哀楽の隙間にある湿った本意を、遠慮なく突き付けてくるところに、どうやら私は惹かれたようだ。
理想郷と現在地のギャップを、皆それぞれが【自我】で満たそうとするさまが、逞しくて見苦しくて人間らしくて、頷ける作品だった。 -
おもしろかった。
湊かなえさん、人間の微妙な裏側というかダークな部分を描くのが上手すぎる!悪人というわけではなく、ちょっと自分より幸せな人がが妬ましいとか、誰かより自分が上手くいくと気持ちがいいとか、どこにでもいる普通の人たちが持っている負の感情がリアルに描かれているから、思わず『わかる~』と頷くことばかりだった。
大人になってからの友達付き合いの、心を完全には許しあえていない関係性にも納得。相手に怒っていても、子どものこと、旦那の仕事のこと、自治会などのコミュニティでのお付き合いのこと……色々考えると素直にケンカすることもできないよね…。
話の内容は、美しい岬のある田舎町を舞台に、そこに生まれ育った人と移住して来た人、芸術家を名乗り町を変えようとする人との心の微妙なすれ違いを描きながら、後半はその町で数年前に起きた殺人事件も絡んでくる。
最期の終わり方は、湊かなえさんらしく、どよーんと嫌な感情にさせてくれるが、不思議と読後感は悪くなかった。他の作品よりは結末にすっきり感というか納得ができたかな。 -
湊かなえ 著
う〜む。最後まで読むと、いつも流石だなぁと唸ってしまう。とても良かったです。
「イヤミス」とかって、よく称される作家さんだが、私の場合は…そんなふうに感じた事はあまり無い。かなり辛辣に人間の(特に女性心理に対しては嫌なほど辛辣でありながら、思わず、まさにその通りだと頷ける)心理描写に長けており…怖いと思う部分は随所に垣間見られるが、後味が悪いといった感覚とはまた違う。
しかし、最初読み始めた時は 何処か田舎の住民や風景を彩った淡々とした、その土地での人々の様子を描いていて、いつもの湊さんの感じとは違うイメージで少しダラダラと読んでいたのだけど…
途中から一気に本来の湊かなえさんの世界観に引き込まれてゆく。
恐ろしいほどに、ドロドロした関係を巧く調和させてゆく でも、絶対調和なんて出来ないんだって事を前提において…いやはや、お見事としか言いようがない。
原田ひ香さんの解説の言葉を借りれば、
湊かなえさんの作品は、「人称が一人称であれ、三人称であれ 細やかで少し神経質で、でも誰にも流されない自我を持った人たちが登場する
私は正しい、私は間違っていない、私が正しいとあなただけは知ってほしい。登場人物は心の底からそう叫び続けている(中略)
表面上、謙遜したり、譲り合ったりしながら、本当は心の中で自分が正しいと思っている。」
全く、耳に痛くなるような、原田さんの解説だが
湊かなえさんの「主観」や「自我」の描き方は辛辣で…でも誰しも持っている個々の感情を丁寧に描いていて、こちらに伝わってくる
他人を許せる、大きな「主観」を受け止めたいような気持ち そして他人を思いやる寛容な気持ち。
この作品は大人の思いと子どもの思いも巧く棲み分けられていて…親子であれど したたかに気を遣っている様子も、とてもよく伝わった。
私自身、東京のような大都市とは言えないまでも、どちらかと言えば、都会生まれ都会育ちなので
この作品の中の海の見える 花が咲きほこる温暖な土地には、住みたいというよりそんな場所に旅したいと思うだけだ 「故郷は遠きにありて思うもの」なんて…実際に旅した土地は故郷でもなんでもないのだが…。
作中にも書いてある
「生まれた時から住んでる場所を、花が咲いて美しいところだとか、青い海を見渡せて最高だとか……
特別な場所だと思ったことなど一度もない。
そういうのは外から来た人が感じることだ
だからといって、その人たちに町の良さを教えてもらう必要などまったくない。」
「地に足をつけた大半の人たちは、ユートピアなどどこにも存在しないことを知っている。
ユートピアを求める人は、自分の不運を土地のせいにして、ここではないどこかを探しているだけだ。」
人と生きてゆく地が、とても絡みあった中で
「ユートピア」とは…?なかなか味わいの深い物語りだったって落ち着いた。
「ママは久美ちゃんのお母さんとすみれさんと、
また会いましょうねと言って別れたそうです。
でも、わたしはママたちはもう会わないんじゃな
いんじゃないかと思います。
三人は仲良しだったけど、それぞれに少しずつ
もんくがありそうで、親友には見えませんでした。」 最後の子どもの手紙には笑えた
なるほど…よく見てるわ 子どもの目線の先の本物も、湊かなえさんの目線も。
第29回 山本周五郎賞受賞作】
善意は、悪意より恐ろしい。 -
3人の女性の中に自分がいるような気がして読み終えた。都会に暮らしても、田舎に暮らしても、例え海外で暮らしても人間関係はついて回る。現在はYouTubeで、生き生き暮らす生活の様子、可愛い我が子の動画を配信している親御さんもいて楽しませてもらえる一方、他人ながら心配にもなる。自分の心にあるやっかみ心を知っているから。
行動派も、慎重派もまた自分に同居しているから、様々な登場人物に自分を見る思いだった。それにしても子供は侮れない。大人は、隠しているつもりでも意外に見透かされている。 -
湊かなえさんはイヤミスの女王で、毎回読後にはどっしりと重い空気が漂うのに、ついつい定期的に手に取ってしまう。そこが魅力なのだが、何とも癖になる作家さんだと思う。
今回の舞台は太平洋を望む美しい港町・鼻崎町
3人の女性と2人の子供を中心に物語は進む。
鼻崎町出身で地元に戻って仏具店に嫁いだ菜々子
事故の後遺症で車椅子生活の菜々子の娘 久美香
岬タウンの芸術村に移住してきた陶芸家のすみれ
夫の転勤で鼻崎町に移住してきた光稀
光稀の一人娘で友達おもいの彩也子
登場人物それぞれの利己的な胸の内が見事に表現されていて、妬みや僻みや卑しさに溢れているので、読み進める程に不快な感覚が押し寄せてきて胸がザワザワした。
特に女性陣が、みな如何なる場面でも自分が優位に立つことに注力し、相手の出方ばかり窺って本音を言わない様子は、読んでいて強烈にストレスを感じた。更に自我がとことん強いので、真の友情も絆も築ける筈がない。
その一方で、この人間の醜い心理描写をここまで巧みに表現出来るのは、やはり湊かなえさんの凄さだと思う。
最後には誰も信じられなくなる中、私の中では、可愛らしくて優等生で唯一信じていた人物さえも・・・
ラスト一頁で見事に裏切られて呆然となってしまった笑
まぁ親の背を見て子は育つかな。
イヤミス好きには是非お勧めしたい一冊。
『ユートピア』
現実には決して存在しない理想的な社会
読後に改めてみると、タイトルと内容が怖いくらいぴったりだと思った。装丁のタイトル文字もユートピアの「幻想」を象徴しているかのようなズレが入っていて、芸が細かいなぁと感心した。
沢山のお店と人物が出て来るので「鼻崎町の地図」があるともっと面白かったかなぁと感じた。 -
久しぶりに湊かなえさんの作品を読んだ。
ユートピアは出版された頃、大きな話題となっていたがほとぼりが冷めてから図書館で借りよ〜、と思っていたのだ。
さてさて、本作も湊かなえさんの持ち味が存分に味わえる。普通の善人の心の底に溜まる澱…。
一つの事がらも、それを受けとる人間によって微妙に違って見えることはある。
ある人には気にならないことも、別の人の心にはささくれを作ってしまうこともある。
そういった些細なズレが引き起こす、人間関係のさざなみ。
外から見たら、似たような雰囲気の仲良さそうに見える三人なのに、ちょっとずつちょっとずつの自分本位がもたらす結果。
いや、湊かなえさんの人物描写は、本当にすごいというか空恐ろしいというか…。
こういう女子社会のチクチク感は、30代40代、子供が大学生や社会人になるくらいまであるのだろうか。
母親というものは、なかなか子どもを切り離すことのできない生き物なのである。
2020.2.13 -
いつもの湊さんの作品と比べて、イヤミス感が少なかった感じがします。
でも。最初は、いつもよりもパンチが少ないな、という感じで読み進めましたが、「折れた翼」あたりからはすごかった!ラストにゾクッとさせて、湊さんが得意とする一人称でしめるところがまた秀逸です。
本作品でも、女性が抱いている、絶妙な心理状態を、丁寧に描いてくれています。そして、ある心理状態を描いている時の主人公の立て方というんでしょうか、視点というんでしょうか、それがとても上手だなあって。まさにこの時のすみれの気持ちが知りたかったんだよ!というところですみれが主人公の流れになったりするのは読んでいて心地よいもの(´▽`)
映像化しても楽しめそうな作品です。
解説のここ、うまく伝えてくれてると思うんです。
「人称が一人称であれ、三人称であれ、細やかで少し神経質で、でも、誰にも流されない自我を持った人たちが登場する。そして、その複数の『主観』や『自我』が絡み合いながら物語が構築され、進んでいく。
私はこれを『主観と主観の殴り合い』と呼びたい。普通なら、すれ違い、くらいの言葉を使うのだろうが、湊さんの作品にはそれではちょっと弱いのだ。
いったい彼らがなんのために殴り合うか、戦うか、と言えば、『おのれの正しさ』を勝ち取るため、自分の正当性を主張するためだ。
私は正しい、私は間違っていない、私が正しいとあなたにだけは知ってほしい。登場人物は心の底からそう叫び続けている。それはつまり、あの人は間違っている、あの人はおかしい、あの人は嘘をついている、ということである。
読者はそれに時に反発したり、その強さにおののいたりしながら、本を手放すことはできない。なぜなら、人は誰しもがそうだからだ。表面上、謙遜したり、譲り合ったりしながら、本当は心の中で自分が一番正しいと思っている。だから、共感せずにはいられない。」