寡黙なる巨人 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087465921

感想・レビュー・書評

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  • 著者の脳梗塞との闘病記が半分と、その病を得てからのエッセイ集が半分の文庫本。


    昨日は長嶋茂雄がスピーチの前にひとりぶつぶつと口を動かして、懸命にこれからしゃべることの練習をしていたかのように見えた。

    スピーチに感動できる理由は、言葉の内容よりも、「話す」というプロセスそのものが懸命に「生きている」姿をうつしているからじゃないだろうか。

    病を得た長嶋茂雄が「歩く」「話す」「手を振る」。
    もうそれだけで人々を感動させることができるのです。

  • 本の冒頭部分を表紙に印字する紀伊国屋のフェアで購入。恐らくこのような企画がなければ手にとることはなかったと思う。フェア企画者に感謝。突然の病魔に襲われた著者の闘病記。著者が医療の専門家であるためか記述は淡々と時にはユーモラスな表現も。それが逆に著者の病魔への衝撃と生への思考することへの執着を感じさせる。何度も読み返すことになると思う。

  • 知性とは言葉に裏打ちされたものである。
    では言葉を失った者に知性はないのか?

    多田富雄の「寡黙なる巨人」は、そのことを考えさせてくれる本だ。


     2010年4月に亡くなった世界的免疫学者の多田富雄は、2001年に脳梗塞に倒れて半身不随となり、声を失いながらも懸命のリハビリで文筆活動を再開させた。その闘病記と半身不随になって後につづられたエッセイを集めた本。
     第7回小林秀雄賞を受賞している。

     この本を読みながら、多田が恐ろしいまでの冷静な目で、自分の混乱や絶望を凝視している姿勢の根源になにがあるのかという疑問だった。
     とにかく、冷静なのだ。たとえば本書の冒頭の一文、「はじめに」は、こんなことが書かれている。

    「一時は死をかくごしていたのに、今私を覆っているのは、確実な生の感覚である。自信はないが私は生き続ける。なぜ? それは生きてしまったから、助かったからには、としかいいようはない。
     その中で私は生きる理由を見出そうとしている。もっとよく生きることを考えている。
     これは絶望の淵から這い上がった私の約一年間の記録である。」

     「自信はないが私は生き続ける。なぜ? それは生きてしまったから、助かったからには、としかいいようはない」という部分。これは死にかけた人だけの感覚ではないはずだ。私たちは、すべて自分の意思にかかわらず「生きてしまった」=生まれてしまった存在だ。ただそれだけで、「自信はないが生き続け」なくてはならないのだ。
     一度、死の淵を経験した者は、その根源的な人間の在りよう、存在の根拠にいやでも自覚的にならざるを得ない。たぶんそれは、病であったり事故であったり、あるいは戦争などの局面で生じる。

     その生きてしまった自覚を持った者に強靭な知性があるとどうなるか?

    「それより私が心配したのは、脳に重大な損傷を受けているなら、もう自分ではなくなっているのではないかということであった。そうなったら生きる意味がなくなる。頭が駄目になっていたらどうしようかと心配した。それを手っ取り早く検証できるのは、記憶が保たれているかどうかということだった。」

     なんという冷静さ。多田はこのあと、掛け算九九を試し、さらに趣味である能の謡「羽衣」を歌ってみるのだ。
     知性が保たれていることに安心したのもつかの間、多田は自分が言葉(発声)を失ったことや、体が不自由になったことへの孤独感にさいなまれていく。

     そんなある日、あるひらめきが多田に訪れる。それは神経細胞は一旦死んだら再生しないという医学的知識から得た推論だ。

    「もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。もし私が声を取り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の声だろうか。そうではあるまい。私が一歩踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを掴んだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ」

     多田はそうして自分の中で生まれようとしている新しい存在に期待し、その目覚めを待望する。

     こんな強さを、自分も持てるだろうか。

     果たして、病を得て、弱っていく自分を、このように冷静に観察できるだろうか。

     そんな自問自答をしながら読み進んだ。

     まぎれもない名著。

     最近、父が体調を崩した。それまで健康体で、毎日家の外に出ていた父が、24時間酸素を吸入しなくてはならなくなった。

     最初にこの本を読んだのは6月。今、この文章を書くためにあらためて読み返して、父の胸中を想像しながら、胸に迫る物があった。
     この本を読んだきっかけは、2011年7月に沖縄で上演された新作能「沖縄残月記」の作者の多田を知りたいと思ったからだ。

     ちなみに、この新作能は1945年の沖縄戦を素材に、戦争がもたらす悲しみや、人の心に残される傷を描いた作品。7月の上演では、不覚にも涙してしまった。
     もともとは文学青年で、大学生のころには評論家の江藤淳らと「位置」という同人誌を出していたという多田。
     「寡黙なる巨人」には、中原中也についての文章などもある。
     「沖縄残月記」に流れる「生」への思いは、その文学的素養から来ているのかもしれない。

  • (欲しい!)/文庫

  • 『私は昨日までは健康だった。定期健診を受けても何もひっかかるところは無かった。それが一夜にして重度の障害者となり、一転して自力では立ち上がることもできない身となった。何をするにも他人の哀れみを乞い、情けにすがって生きなければならぬ。』

    死の淵をさまよい、目覚めると重度の障害者になっていた。
    毎日自死しようとするが、それすら叶わぬ。

    その心情をありありと綴る。読むのがつらいページもあった。

    障害者にとっての最悪の法改正についても記述している。
    発症後180日以上たったあとはリハビリを受けることができないというものである。
    リハビリすることを毎日の糧としている人がいること。
    構音障害については、1年リハビリしてもやっと少し効果が出るくらいのものであること。

    これらを考えると、このような法改正はありえないはずである。
    あるいは正しく例外を定義しておくべきである。
    そのようなことが蔑ろにされた法改正がなされてしまう現実についても記述している。

    またそのような法改正に対して、44万人の署名を集めて政府に立ち向かうなど、すさまじいまでの行動力も見せている。

    『重度の障害を持ち、声も発せず、社会の中では再弱者となったおかげで、私は強い発言力を持つ「巨人」となったのだ。
    言葉は喋れないが、皮肉にも言葉の力を使って生きるのだ。』

    もし突然障害者になったら僕はこのように行動できるだろうか。

  • とても読みやすい文章。描写されるからだの機能的な部分と、語られる言葉、それ自体がもつ端正さのバランスが、身体と心、あるいは脳のあり様を考えさせる

  • 遠慮を省いて穿った言い方をすると、じじいのたわごと、なのだけれども、ただのじじいではないし、ただの病気だったわけでもない。ひとは、死の淵に立って、帰ってきて、そしたら体も動かなくなっていて、それで、なにを考えるのか。
    不幸にしてその状況に立ってしまった人だけが知りえたことを、この人は書いた。その類まれなる強靭な精神と知性をもって書き、みなが読めるようにした。知ることができるようにした。これはほんとうに大きい。この人しかなし得ない仕事なのでは、とすら考える。

  • 「脳梗塞になる前の私は,安易な生活に慣れ,単に習慣的に過ごしていたにすぎなかったのではないか。元気だというだけで,生命そのものは衰弱していたのではないか。それが死線を越えた今では生きることに精いっぱいだ」
    「リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが,私には生命力の回復,生きる実感の回復だと思う」

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著者プロフィール

多田富雄(ただ・とみお、1934-2010) 
1934年、茨城県結城市生まれ。東京大学名誉教授。専攻・免疫学。元・国際免疫学会連合会長。1959年千葉大学医学部卒業。同大学医学部教授、東京大学医学部教授を歴任。71年、免疫応答を調整するサプレッサー(抑制)T細胞を発見、野口英世記念医学賞、エミール・フォン・ベーリング賞、朝日賞など多数受賞。84年文化功労者。
2001年5月2日、出張先の金沢で脳梗塞に倒れ、右半身麻痺と仮性球麻痺の後遺症で構音障害、嚥下障害となる。2010年4月21日死去。
著書に『免疫の意味論』(大佛次郎賞)『生命へのまなざし』『落葉隻語 ことばのかたみ』(以上、青土社)『生命の意味論』『脳の中の能舞台』『残夢整理』(以上、新潮社)『独酌余滴』(日本エッセイストクラブ賞)『懐かしい日々の想い』(以上、朝日新聞出版)『全詩集 歌占』『能の見える風景』『花供養』『詩集 寛容』『多田富雄 新作能全集』(以上、藤原書店)『寡黙なる巨人』(小林秀雄賞)『春楡の木陰で』(以上、集英社)など多数。


「2016年 『多田富雄のコスモロジー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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