- Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087473193
感想・レビュー・書評
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読みながら、仕事と結婚は似ているかもしれない、と思った。
エッセイの中で彼女はこう述べる。「私はほんとうに臆病だなあと思うのだけれど、もうやめよう、と思うとほっとする。どんなことでも、幻だった、と思うのも一緒だ。いっそさっぱりする。」
いっそ過去にしたい、と思うのだろうか。全部過ぎ去ったことにして、忘れ去りたいと。
仕事を辞めて今の生活を過去にできたら、と思う。特に仕事をしていない時に強く思う。
こっちが本来の自分だ、と思うのだ。仕事中の自分は無理をしたもので、こっちがあるべき姿だと。
仕事がない生活を夢見るけれど、私は自分が仕事を辞めないことを知っている。ここらへんが江國さんの描く結婚生活と似ている。
きっと仕事を辞めたら驚くほどすっきりするだろう。踊り出したくなるような軽い足取りで家に帰る。辞めた日の帰路はいつもそうだった。そして同時に不安はひたひたと迫ってくる。どうせ働かずに生きていくことなんて出来やしないから。
将来への不安。勤めることの数少ないメリットはそれを忘れられることだ。
錯覚でも、このまま同じような生活が続いていくと信じられる。
未来を確約されたような錯覚に度々うんざりするけれど、でも私は知っている。それが勤めることの長所であることを。
学生の頃ずっと抱いていた専業主婦になりたいという憧れはもう薄れてしまった。ずっと家の中にいることを確約された未来だと思えるような時代ではないのだ。
1日の大半をマンションの高層階の静かな部屋で過ごす。儚い泡のようなそれが、私の逃避する夢の世界である。
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「雨」が印象的で雨が降ると思い出します。今まで雨は嫌な現象として捉えていましたが、このエッセイを読んで衝撃を受けました。江國さん、雨が好きだなんて…!でも、その後から静かに降る雨を窓から眺めるようになり、自然と心が落ち着くようになりました。適度な温度と湿度。心と身体に染み込む感じで雨が好きになりました。
時々読み返してしまいます。 -
結婚して2〜3年目の夫婦生活を綴ったエッセイ。
恋人以上家族未満という感じの距離感がとてもいい。
特に『よその女』が好き。
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読み始めてすぐ、とにかくびっくりした。
自分が書いたのかと思った。(笑)
でも私には、こんなに素敵な文章を作りだすことは出来ない。
「夫とは感性が合わない」なんていう、陳腐で簡単な言葉しか思い浮かばない。
でも、その「合わない」部分が、結婚の醍醐味だということもなんとなく分かってはいた。
そんな、結婚してから私も常になんとなく感じていたことを、江國さんらしい文章と行間で綴られた作品。
果たして未婚の方がこの作品を読んだら、結婚に憧れるのか、失望するのか。
ぜひ聞いてみたいと思った。 -
ふと読みたくなって再読。多分三回目なのに、エピソードはほとんど忘れていた。それも「あったかもな…」というのでなく、初読みな新鮮さで、この緻密で繊細な妻の記憶をおっかなびっくり読んだ。不穏、という言葉がしっくりくる。エッセイというのか、もういっそ私小説なのか。記録というより記憶であり、夫婦の、というより妻の、と感じるあとがき好きな私は、この本のあとがきが井上荒野さんだと三読目のしてやっと気づいた。
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江國香織を読んでみようと思って、フラフラ探している。「不穏、という言葉がしっくりくる。」が気になったのでコレを候補に。。。江國香織を読んでみようと思って、フラフラ探している。「不穏、という言葉がしっくりくる。」が気になったのでコレを候補に。。。2012/03/14
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江國さんは、瑞々しい表現と文体の作家さんですが、それと同じ分量“不穏”な作家さんだと思うので、他も色々読まれても面白いと思います。江國さんは、瑞々しい表現と文体の作家さんですが、それと同じ分量“不穏”な作家さんだと思うので、他も色々読まれても面白いと思います。2012/03/23
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結婚生活が綴られたエッセイ。
著者の感性が嫌みなく豊かすぎて、ただの日常がアートな外国映画みたいに見えてくる。アートの何たるかもよく分かっていないけど、なんとなくそんなイメージ。 -
えええ…めっちゃいいじゃん……
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すーと体に溶け込んでくるようなみずみずしいエッセイ。
いつでも、どこでも読める感じがよいです。 -
「たとえ理想のかたちではなくとも、”夫婦”はここにあるから大丈夫」と、自分の味方でいてくれるようなエッセイだった。熱すぎず、冷たすぎず、ちょうどお風呂くらいの温度でのびやかに語られる結婚生活は、読んでいてとても居心地がよかった。
床に服を脱ぎっぱなしにし、飲み物は自分で用意しないという旦那さん。このエッセイを読む前からなんとなくそんな気がしていたけれど、やはり『赤い長靴』の逍三は、江國さんの旦那さんの”一部”なのだなと思った。全部ではなくて、一部。きっと逍三は、妻を花見ドライブに連れて行ったり、妻の好みを把握してチョコレートを贈るようなことはしないだろう。結局のところ、良い面も悪い面もその人を構成する一部に過ぎなくて、「愛している」と「憎たらしい」を行ったり来たりしながら、みな折り合いをつけて暮らしているのだと思った。