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- / ISBN・EAN: 9784087529210
感想・レビュー・書評
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なんでこんなものを読もうと思ったのか、今となっては思い出せない。ある意味舐めていたのかもしれない、この作品を。アカデミズムからも市井の読書人からも20世紀最高の長編小説と言われているけど、ストーリーやプロットを楽しもうとする読書人にとっては煩わしい小説であることに間違いない。なんと言ってもこれまで数多くの研究者や文学者たちがいろいろな資料を渉猟して様々な語彙や表現や背景などを解読し解釈してきたことを楽しんできたのだい。これは素人が軽々しく手を出す作品じゃない。ジョイス流の言葉遊びもシェイクスピアや聖書などのイルージョンやパロディも詳細で膨大な、先人たちが積み重ねてきた注釈でどうにかこうにかついていける。stream of consciousness その手法自体は日本語世界住人の慣れ親しむ私小説のおかげでなんとかついていける。でも、作品の骨格をなすといわれている『オデュッセイア』との対応は注釈読んでもついていけない。たとえば、あのキュクプロスがどうして一登場人物「市民」に神話的対応するの?とか。そしてなによりも、最もイライラさせるのは間接話法と直接話法がごちゃまぜになっているところにさらにstream of consciousness がどこからともなく始まり、さらにさらに体言止めや人名の挿入が唐突のように加わり、それもいずれも改行なしなので、その関係性が何度読んでもつかめきれないし、会話がどう成り立っているのかもわからない。これで読むことが嫌になる。とくに「プロメテウス」と「スキュレとカリュプディス」の章。いい加減にしてくれ、だ。これはおそらく翻訳の巧拙によるものではなく、原典でも同じなのだろう。とはいえ、各章の冒頭にある概要説明や膨大な注釈によって何となくながらも読み進めてはいける。注釈のために読書の流れが分断されることに興が削がれてしまうことは読み進めるにあたっての重大な落とし穴だが。まさにそれらは溺れている人間がすがるワラのようなものなのでこの工程を飛ばすわけにはいかない。そして、そのような頭の苦行をのたうち回りながら続けていくことが読書の醍醐味であると洗脳されてどうにかこうにか読了するに至る。すると、なぜかもう一度読んでみたいという気にさせるから不思議だ。ということで、この作品の再読はいつになることか今から非常に楽しみ。
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近代文芸社 中林孝雄訳版 1997.11.20第一刷 第一挿話〜第八挿話 ブクログ検索で出てこなかったので、ココに