- Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087601404
感想・レビュー・書評
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2010/1/10図書館で借りる
2010/1/16返却
372夜
すばらしい本です。でも、私がこの本を読むにはまだ海外の文学的素養が足りません。二章くらいまで読んで中断中・・・。
「アウトサイダー」の特徴をまったくそなえていない大芸術家も少なくない。シェイクスピア、ダンテ、キーツは社会に適応した正常人で、病気や神経障害とみなされうる点は明らかに一つもなかったのである。
キェルケゴールの矛先は、特に、ドイツの形而上学者ヘーゲルに向けられた。ヘーゲルは、(ウェルズにかなり似て)歴史の終着点や、空間と時間における人間の位置について語ることによって、「人間にたいし神の道を正当化する」べく骨を折った哲学者である。が、深い宗教心につらぬかれたキルケゴールの魂には、かような哲学者は鼻もちならぬほど浅薄であった。彼は宣言した―体系のなかにわたしを押しこめば、とたんにわたしは否定される。が、わたしは単なる数学記号なるものではない、わたしは存在するものなのである。
カミュとフランツ・カフカとを読んで、両者の共通点に驚かぬものはあるまい。カフカにおいては、意識的に夢の手法を用いることによって非現実感が伝えられる。『変身』の主人公は、ある朝、目覚めてみると、巨大な甲虫
と化している。
『死者の自然史』はヘミングウェイが自己の実存的立場をもっとも明確に示したものであり、その鍵をとなる一文「大部分の人間は、人間らしくなく、動物のように死ぬ」こそ、人間が完璧たりうることを信じるヒューマニストへの彼の解答に他ならない。十八世紀イギリスの神学者パトラー司教や、ペーリ司教の主張する神を、彼が信じえないのは、ぎりぎりの実存に対して観念というものがいかにも薄っぺらに見えるからである。彼の作品において宗教的な理想に最も近づいた文章は、「失うことのできぬものを見つけるべきだ」であるが、この考えは発展されぬままに終る―というより、失うことの出来ぬものは皆無だという主張が、このあと長々と証明される。だから人生は無価値だ、というのではない。逆に、人生こそ唯一の価値であり、無価値なのは観念にほかならぬ。
自由は、その前提として自由意思を要求する。これは自明の理である。が、「意思」が働きうるためには、まず動機がなければならぬ。動機のないところに意思はない。しかし、動機とは信念の問題に他ならない。何事にせよ、それが可能で意味のあることだと信じぬ限り、それをなそうという気は起らぬものだ。そして、信念とは、何ものかの存在を信じることでなくてはならない。つまり、信念は現実なるものとかかわりあう。それゆえ自由は結局、現実なるものに依存する。ところが、「アウトサイダー」は、その非現実感ゆえに、根源から自由と遮断されている。非現実の世界で自由を行使することは、降下しながら跳躍することと同様に不可能なのだ。
ヘミングウェイの初期の作品、つまり妻に死なれた少佐を主題にした短篇までの作品は、人間のもろさに関する永い一貫した瞑想と言えるが、人間の脆弱さに深く思いをいたせば、最後にはかならず「宗教的な考え」、ヘミングウェイのいわゆる「失うことのできぬものを見つけなければならぬ」という立場に到着する。すなわち、断念と規律の倫理を発展せずにはいられなくなるのだ、人間は不変で一貫した存在ではなく、前日と翌日とでは同じ人物でないことに思いいたるのだ。人間は容易にもの忘れをし、刹那かぎりの生活を営み、めったに意思の力をふるわない。たまに意思を働かせても、すぐにその努力をあきらめるか、当初の目標を忘れて、何かほかに注意を転じるかしてしまう。ある強烈な意識の状態を垣間見たと思いながら、自分にはなんとしてもその状態をとどめておくことができぬのを、ぬきさしならぬ事実として自覚した詩人が、非常な絶望を感じるのも不思議ではあるまい。サルトルやカミュやヘミングウェイによって暗黙裡に語られ、T・S・エリオットや、オルダス・ハックスレーといった作家によってあからさまに示されているこの主題は、「いかにして人間は強くなりうるか? 環境の奴隷であることから、少しでも逃れるにはいかにすべきか?」という疑問に導く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
哲学書は読むのが大変だ、と言うわけで、猿でもわかるニーチェ!みたいのもあったりなかったりだけど、そこまで短絡化すると頑張った感もなくてイマイチ。
と言うわけで今回は、まぁけっこう大変だけど、それなりに有名人(ニーチェ、ゲーテ、ブレイク、ショーペンハウエル、果ては荘子まで)、読書する人なら聞いたことあるような、という人を、リーズナブルな苦労で分かったた気になれる、気がするのである。
というのも、けっこう例が分かりやすいのが多くて、いやもちろん哲学書にしては、ってレベルだけど、なんか分かった気になるには例が良いかどうかじゃん、やっぱり。「わたしたちを縛りつけ、盲目にさせるのはわたしたちの両親の血よりも、むしろ両親の生活なのである」、なんてもう、小難しい言い方だけど、育児書レベルじゃね?
最終的には流されずにがんばって生きようよ、みたいな啓蒙本的な結論を受け取ったわけだけど、結論よりも悟りに至るまでの艱難辛苦が大事なんであって、そういう意味でも頑張って読んだ甲斐があったわー、ってなる本。
理解は1割かもだけどね。 -
保留
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── ウィルソン/中村 保男・訳《アウトサイダー 19880219 集英社文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4087601404
Wilson, Colin H. 哲学 19310626 England 20131205 82 /
── 《The Outsider 1956 London》
── 《Encyclopedia of Modern Murder 1962-1983》
http://q.hatena.ne.jp/1389255358#a1221766(No.2 20140111 06:52:00)
オン・ザ・エッジ → 崖っぷち → 塀際(へいぎわ)。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19541210
いそいそ ~ something wrong ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031128
寝そべる人々
https://twilog.org/awalibrary/search?word=Wilson%2C&ao=a
Wilson,
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=19310626
(20140111)(20190715)
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ビートたけし「間抜けの構造」 からリファレンス。原書は1956年、日本版は1988年。
ドストエフスキー、ニーチェ、ヘミングウェイなど、自分と向き合った結果、体系に取り入れられることを自ら絶ったアウトサイダーの内面に迫る。
なかでも強烈なのがヴァン・ゴッホのもので、これは自身をして「わたしの仕事だが、わたしはそのために生涯を賭けた。そしてわたしの理性はなかばまで瓦解した」としており、人と暮らすことがままならぬ状態にまで自身を追い込んでしまっている。
著者自身も16歳で学校をやめ、兵役と肉体労働に従事する一方、大英図書館に通いつめて25歳で本書を書き上げている点をすればアウトサイダーに分類されるだろう。
アウトサイダーを理解することは、秩序や体系というものを理解する最も正確な方法かもしれないと感じました。 -
コリン・ウィルソンは、本好きの人だね。オレにとっては、ヒマつぶしによむのがちょうどいいカンジ。
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読みたい本が増える本
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未来授業で紹介