ラテンアメリカの文学 砂の本 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087606249

作品紹介・あらすじ

ある日、ひとりの男がわたしの家を訪れた。聖書売りだという男はわたしに一冊の本を差し出す。ひとたびページを開けば同じページに戻ることは二度とない、本からページが湧き出しているかのような、それは無限の本だった…。表題作「砂の本」をはじめとする十三話。また、独自の解釈に基づき、世界各国の歴史上の悪役の一生の盛衰を綴った「汚辱の世界史」ほか、短篇を収録する。

感想・レビュー・書評

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  •  ラテンアメリカ文学の巨匠、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる短編集「砂の本」及び「汚辱の世界史」を収めた一冊。後者は淡々と世界各国の所謂悪人を述べた記録というよりも記憶のようなもので、日本の忠臣蔵も(他と並行して扱い得る内容かどうかはさておき)その一つとして挙げられている。読者に情景を沸々と思い起こさせるような体言止めの多い平易な文体で書かれている。
     「砂の本」の方はずっと難解で、正直一度読んだだけでは内容が頭に入って来ない。しかし後書きに作者の短い解説があり、読むことである程度分かった気にはなれる。ボルヘスとしても実験的な要素が高かったようで、自然に語られた文ではなく、熟考と技巧の末に組まれた一冊であることを感じさせる。個人的に「他者」「円盤」「砂の本」の三編は特に完成度が高く、彼の持つ独特な世界観が分かり易い形で提示されていると思う。無色というよりは単色で、月の無い夜のように色彩を感じさせず、しかし真っ暗というわけでもない。宮沢賢治の宇宙的な神秘から煌びやかさを除いて泥臭さを加えたような、夢か現実か、はたまた創作か実話か、幻想的で奇怪な世界観である。

  • かなり前から読みたいと思っていながら、のびのびになっていた本。

    『砂の本』『汚辱の世界史』という、2つの短篇集から構成されている。前半の『砂の本』は、雲をつかむような話であったり、時間を越えた話、地位をめぐる世俗の話であったりと、題材は幅広い。SFや幻想譚めいたものが多いものの、ボルヘスがその博覧強記さを存分に発揮して、実在する(と思われる)あらゆる書物の名前と内容を作品にちりばめているので、それが物語を現実離れさせすぎずに、ぎりぎりのところでつなぎとめているように感じる。『他者』は、ドッペルゲンガーものとしては最高レベルに巧みだと思うし、『贈賄』では、ある立場をめぐって緊迫した空気に包まれた対話劇にしびれる。『アベリーノ・アレドンド』の抑えた劇的さも捨てがたい。それに、全編を通じてラストの数行が見事。気の利いた切り返しや、どん底へ叩きこむ陰鬱さですぱんと終わるのではなく、砂のオブジェを風がさあっと吹き飛ばすのを見ているように、読み終わってもその先を目線で追ってしまうような気がする。

    これに対して『汚辱の世界史』は、エピソード集に近い短篇集。表題作の『汚辱の世界史』は、史実のダーティーヒーロー列伝。ほかのかたも書いていらっしゃるように、澁澤龍彦の歴史エッセイに近いので、新しい事実を探すというよりは、ボルヘスバージョンの歴史エッセイとして楽しい。これとは別に、『ばら色の街角の男』が面白かった。ラテンアメリカのある街のならず者と彼をとりまく状況が、『デスペラード』のように劇的に展開していくのだけれど、終盤はビアス『妖物』を思わせる劇的さで、意表を突かれた。

    2作の短篇集をまとめたものなので、トータルで見ると散漫な作品集だと思う。でも、収められている1編1編は本当に短いものの濃密で、読んでいるうちにぐっとその世界に引き込まれてしまって、なかなか抜け出せない。仕事の昼休みに、食事をとりながらぽつぽつ読んでいたら、あまりに面白くて必死に読んでしまい、食事がほとんど進んでいなかったということが何回かあったので、食事をとりながら読むには、決しておすすめいたしません(笑)。

  • 「砂の本」を読むのはこれが初めてではなくて、
    前は英訳で読んで、そのときの印象が
    強かった。
    今回は、「砂の本」よりも、
    「他者」「疲れた男のユートピア」のほうが、
    よく感じました。

    新幹線、品川・新大阪間の行き帰りで読みました。
    (2014年10月26日)

  • 未踏の地アルゼンチンからの綴りの為、
    実話、であると想像し読む楽しみが持てた。
    南米を訪れれば、このような摩訶不思議が日常の側にあるのだと。

    でも、自分の分身との会話で起こる齟齬、世界会議についての追究心、
    あの薄暗い家にはどんな魔物が住んでいるのかとのぼんやりとした疑問、は
    時代と場所を越えて通ずる感覚。

    ひとつまみのぞくぞくする感覚が、耽美な迷宮を彩っています。

  • 本の頁というのは、そのまま時間を可視化した束であるといえるでしょう。頁の一枚一枚はとても薄いのに、気づけばしっかりとした手応えが右手側に積み重なっている。書き手の時間。読み手の時間。物語に流れる時間。そして、この本が成立するために必要だったあらゆる本のための時間。書物はそれ自体が時間の立体構造的な迷宮です。
    表題の「砂の本」は時にアラビックな情緒ただよう魔術的短編集ですが、これを書いたとき著者はほぼ盲目だったといいます。真っ黒ではなくもやに覆われているという盲目の世界は、まさに夢現の境のようなのでしょう。そこから編み出された物語は、幻想譚でありながら異様なほどの説得力を持っていて、なおさら奇怪。
    各話は時間軸さえ跳躍・交差しつつ、しかしキーワードやアイテムによってどこか繋がり、共鳴している。出典として紹介される多彩な文献も、もはやどこまでが本当なのやら。有史以来人間がなさずにいられなかった「知の蓄積」=書物の圧倒的な歴史さえ感じてため息が出ます。知の砂地獄へようこそ。

  • ①文体★★★☆☆
    ②読後余韻★★★★☆

  • 初ボルヘス。短編ばかり残したアルゼンチンの作家/詩人です。本作は捉え所のない話が13篇。どれも浮遊感があり幻想的で白昼夢のような話。掴みづらく消化しきれてないので感想はまだ出てこないです。鎌倉の古書店で購入。再読すると印象がかわりそうな本。
    「伝奇集」も積読にあったような気が…

  • 前半の砂の本は話としては幻想小説ジャンル。日本で言うなら安部公房みたいな。
    でもちょっと退屈だったかな~。
    タイトルの砂の本が教訓話めいていてちょっと好き。
    後半の『汚辱の世界史』にまさかの忠臣蔵が出てくるとは。
    あと女海賊のメアリ・リードとアン・ボニーは絞首刑にはなってない説もあるようです。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%83%BC

  • (416)

  • ボルヘスの短編集『砂の本』、『汚辱の世界史』を収録。
    
    久しぶりに病院に定期検診に行ったら2時間待ちで、10ページほどの短編をひとつ読んでは自分の番号が表示されていないか確認し、スマホをチェックし、次の短編を読む、を繰り返していたら2時間のうちに『砂の本』部分を読み終わってしまいました。
    
    そんな感じで読んでしまったので正直、ひとつひとつがあまり頭に残っていない。なんか漠然とした、夢の中で聞いた物語のような。それもまたボルヘス的なのでしょうか。
    
    (ちなみに、専用アプリがあればスマホでも自分の番号を確認できること、病院にはカフェも併設されていることを後から知る。この今さら感もちょっとボルヘス。)
    
    悪役列伝である『汚辱の世界史』には女海賊やビリー・ザ・キッドと並んで吉良上野介が登場。ラテンアメリカで『忠臣蔵』がどのくらい知られているのか不明ですが、討ち入り前に隣近所に断りを入れた話とか、大石内蔵助をなじった人物が墓に詫びにくるエピソードなんかが嬉々として書かれている。
    
    以下、引用。
    
    「お前の最初の女は、なにをくれた?」と彼はきいた。
    「なにもかも」と答える。
    「わしにも、人生はすべてをくれた。生はすべての者にすべてを与える。だが、多くの者がそれに気づかぬ。」
    
    彼はそれを「ユートピア」と名づけた。「そんな場所は存在しない」という意味のギリシア語である。 ケベード
    
    「二千冊もの本を読める者はいません。わたしも、今まで生きてきた四世紀のあいだに、半ダースの本も読んではいません。それに、大事なのは、ただ読むことではなく、繰り返し読むことです。今ではもうなくなったが、印刷は、人間の最大の悪のひとつでした。なぜなら、それは、いりもしない本をどんどん増やし、あげくのはてに、目をくらませるだけだからです」
    
    画や活字の方が、それらが写しだす物よりもリアルでしたね。発表されたものだけが真実だった。『存在スルトハ、認識サレルコト』つまり、『存在することは、写真にとられることだ』というのが、われわれ独自の世界認識の、はじめであり、真中であり、終りだった。
    
    朦朧とした冒頭は、カフカの小説を真似ようとしたもので、終結部は、チェスタトンかジョン・バニヤンの法悦境に到ることをめざしたが、あきらかに失敗した。
    
    読むことは、さしあたり、書くことの後に来る行為である。それは、より慎み深く、より洗練された、より知的な行為なのである。
    

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