E・A・ポー ポケットマスターピース 09 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (832ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087610420

作品紹介・あらすじ

ミステリ、ゴシック、冒険小説……全ての原点にポーがある。『アッシャー家の崩壊』『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』等の代表作に、桜庭一樹の翻案2作も加えた、唯一のポー作品集。(解説/鴻巣友季子)

感想・レビュー・書評

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  • まるでレンガのような分厚い本。そこには「モルグ街の殺人」や「アッシャー家の崩壊」、「ウィリアム・ウィルソン」といったポーの楽しい短編16作にくわえ、有名な「大鴉(大がらす)」や「アナベルリィ」の詩篇もある(ただ詩集ではないので、本格的に読みたい方には岩波他の対訳本をお薦め)。

    そんな宝箱のような中から、今回私のねらう獲物、もとい、注目する作品はポーの長編、
    『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』
    (『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket 1838年)

    ***
    ピムは海洋冒険にあこがれ、親友のオーガスタスとともに彼の父親が船長をしている捕鯨船グランパス号に潜入する。船倉の暗闇に身をひそめ、うまうまと海洋に繰りだしたピムだが、船上では一部の乗組員が暴動を起こして船は乗っ取られた。ひそかに船倉から浮上したピムは、オーガスタスとともに過酷なサバイバルに挑む。

    ポーはシェイクスピアのような格調高い、怒涛の筆致で作品を生みだす作家で、どれもわくわくさせるおもしろさ。ただその作品のほとんどが短編なので往生している。どうやら私の頭は短編向きではないらしく、読んだはしから忘れてしまい、むなしい喪失感に悲しくなる。これが中編になると活気を取り戻し、長編ともなれば喜び勇んで続けざま2度、3度と読むこともあるのだが……。

    嬉しいことに、本作はポーの唯一の長編ともいわれる300頁ほどのもの。私の敬愛するイタロ・カルヴィーノやウンベルト・エーコ、ボルヘスやポール・オースターといった面々が、口をそろえて話題にするだけのことはあって、次々に頁を繰って読ませる力強さと躍動感に感激するのだ。
    ピムの冒険は二部構成のようになっていて、前半は既知のものの残虐性と恐怖、後半は未知のものの憧憬と畏怖、それらが息もつかせぬ迫力で進む。

    ふとポーをながめるたびに不思議なのは、なぜ詩人の彼がこれほど魅力的な散文をものすのか? 人間の内奥にある混沌には、抗えない野生、不安、素朴な祈りを孕んでいて、ポーはあやまたずこれらをとらえ、ある種の求道性を醸すのだろうな~。その筆致はリアリズムに貫かれていて、決してぼやけたファンタジーや幻想譚にはならない。

    本作の「白」の描写、「白」に対する畏怖の念を隠さないツァラル島民の描写には目をみはる。たしかに美しく高貴なイメージがありながら、ときに超自然的な姿をみせる。それがうす気味悪く、一抹の不安をかきたてるのだ。白のもつ両義性や相反する心象をうまくとらえている。
    ……そう、雪山の銀世界をスキーで滑走するのは、この世のものとは思えない美しい体験なのだが、ひょんなことからホワイトアウトになれば、まわりは真っ白、白、白……右も左も空間も、地表もその起伏も、しまいには天地さえわからなくなってしまい、あっというまに宮沢賢治の受難のわらべのようになって、その恐怖たるや筆舌に尽くせない。
    そうだ! ポーの話だった。

    もちろん「白」には、当時の陰惨な歴史的背景や白人至上主義的な意味合いなども取り沙汰されているようだが、それは読み手それぞれのうけとりとしても、考えてみればポーに影響された作家は、ジャンルを問わず世界中にごまんといることに驚く。本作をながめれば、誰もがハーマン・メルヴィルの海洋小説『白鯨』との繋がりを感じるのではなかろうか?

    「Nevermore」
    「はいはい、でも本と本が繋がっていけば、きっといつかこの世界を理解できるのでは?」
    「Nevermore」
    「それは困ったな、こうして遊んでいる自分をほとほともてあますね~これ以上続ける意味ある?」
    「Nevermore Nevermore」
    「……」

  • 『ポケットマスターピース09 E・A・ポー』(集英社文庫ヘリテージシリーズ)

    ポーの作品集。ジャンルが現在あるような形で分岐する以前の、多種雑多なイメージの集塊。

    ○詩

    「大鴉」 ・・・ 大鴉はもう二度と立ち去ることはない。居座り続けるという終わり方がいい。恐らく今も語り手のすぐ横にいる。「かくして大鴉は羽ばたこうともせず、いまだじっとしている、・・・」。物語体なのでわかりやすい。

    「アナベル・リイ」「黄金郷」 ・・・ 文語体のため、訳が分かりにくい。


    ○ミステリ・探偵譚

    「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」「盗まれた手紙」 ・・・ 文学史上初の名探偵オーギュスト・デュパンが登場する三作であり、この中でのちの探偵小説・推理小説へと受け継がれていくプロトタイプの殆ど(例えば「天才的な推理に基づき真実を解明する名探偵―語り手役となる凡人助手―愚鈍な警察」の組合せなど)が出尽くしてしまっている感がある。第一作「モルグ街の殺人」の冒頭で描写されたデュパンの性格像が、その後に数多現れる名探偵像の典型となっている。「・・・、分析的知性はその持ち主にとって、つねに、このうえなく溌剌とした楽しみの源泉である・・・。・・・、分析家は錯綜した物事を解明する知的活動を喜ぶのである。彼は、自分の才能を発揮することができるものなら、どんなつまらないことにでも快楽を見出す。彼は謎を好み、判じ物を好み、秘密文字を好む。そしてそれらの解明において、凡庸な人間の眼には超自然的とさえ映ずるような鋭利さを示す。実際、彼の結論は、方法それ自体によってもたらされるのだけれども、直観としか思えないような雰囲気を漂わせているのだ」。彼を推理に駆り立てる動機は、純粋に知的遊戯に付随する快楽それ自体のためであり、正義のためだとか名誉のためだとか経済的利益のためだとか恋愛の成就のためだとかまして信仰のためだとか、そうした"外部"に根拠を求められるものではない。これはとても近代的な人間像であると思う。大衆向けの物語としてこうした知的遊戯に興じる人物が登場するということは、それだけ教育やメディアの普及・発達により社会全体の知的水準が向上したということの徴だろうか。自己の知的快楽に没入する志向は現代的な「オタク」にも通じるように思う。

    ※3種類の論理的推論について
    仮定[A],推論規則[AならばB],結論[B]について、
     演繹(deduction)
      ・・・ 仮定と推論規則を用いて結論を導く。数学者など。
     帰納(induction)
      ・・・ 仮定が結論を伴っているようないくつかの事例から推論規則を導く。自然科学者など。
     仮説形成(abduction, retroduction)
      ・・・ 結論に最も妥当らしい推論規則を当てはめることで仮定を導く。歴史学者・探偵など。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E7%9A%84%E6%8E%A8%E8%AB%96
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

    「黄金虫」 ・・・ 奇妙な虫、不思議な羊皮紙、暗号解読、伝説の財宝・・・。コンパクトだが胸躍る冒険譚の傑作、読書の楽しみそのものを味わえる。暗号解読法も見事。作品解題によると、暗号(cryptograph)という語はこの作品でポーが初めて用いたのだという。

    「おまえが犯人だ!」(翻案) ・・・ 桜庭一樹による翻案。現代作家の文章なので読み易い。小説の機制によって隠されていた語り手の属性が明かされたときは意外だった。最後のトリックはちと雑すぎやしないか。原作ではこの辺りどうなっているのかは未読のため不明。


    ○SF譚

    「メルツェルさんのチェス人形」(翻案) ・・・ 桜庭一樹による翻案。新潮文庫の巽孝之訳よりかは読み易く、チェス人形への17の不審点も分かり易く整理されていた。ポーが語り手となっており、幼な妻ヴァージニアとのやりとりがコミカル。もともとはポーによるエッセイのため物語的な面白さはないが、まあまあ楽しく読めた。


    ○ゴシック譚

    「アッシャー家の崩壊」 ・・・ 精神や肉体や運命が、館や地所と同期しているのが面白い。

    「黒猫」 ・・・ 恐怖小説の傑作。人間存在の根底にある反語的機制――自己破滅に到るほどの「にもかかわらず・それでもなお・それゆえにこそ」――を描いており、この主題が個人的には最も興味深い。「人間どもは「してはいけない」とわかっている悪事や愚行ほど、それゆえに頻々と犯してきたではないか。最善の判断に逆らい、破ってはいけないとわかっているからこそ、掟なるものを破る。・・・。魂が魂を苛み、自分で自分の首をしめるような、悪事のための悪事を犯したいというこの底知れない魂の渇望・・・」。信仰だとか道徳だとか経済だとか、そうした consistent な体系内部の合理性だけでは包含し尽せない人間存在の過剰。「目からとめどなく涙を流し、苦しい良心の呵責に悶えながらも、あいつを吊るしたのだ。なぜか。あいつに愛されているのを知っていたから、そしてあいつには罰を受ける咎などないのをわかっていたからだ。そしてあいつに手をかけつつも罪を自覚していたから、だからこそ、吊るし首にしたのだ。おのれの不滅の魂を危うくするほどの、いと情け深く畏れ多い神の尽きせぬ慈悲すら届かないところまで魂を追いやるような・・・極悪の罪だとわかっていたからこそ、やったのだ」。この主題は、「天邪鬼」という短編で最も純粋かつ突き詰められた形をとっているように思う。

    「早まった埋葬」 ・・・ 「仮死状態のまま誤って埋葬されてしまうかもしれない」という強迫観念、これまで意識したことなかったけれど言われてみればそんなことも論理的可能性としては在り得るのかと、余計なことを気づかされる。「生き埋め」の恐怖がこれほど生き生きと(?)語られている文章は初めて読んだ。この強迫観念に憑かれてあれこれ予防策を講ずるドタバタぶりが、星新一のエスカレーション物の短編を想い起こさせるようなテンポで、読んでいて楽しかった。

    「ウィリアム・ウィルソン」 ・・・ このドッペルゲンガーは、フロイトの言う超自我か。「ウィルソンの本性やその尊大さには、ある種わたしを慄かせるものがあったが、同時に、やつの高い人格、並外れた叡知、全能ぶり、神出鬼没ぶりを見るにつけ、深い畏怖の念を抱くのも確かで、それゆえに自分の全き弱さと無力さを痛感し、やつの専横な意思に渋々ながらも絶対服従させられていたのだ」。そして、その超自我を殺してしまった以上、自己自身も世界に対して死んだも同然であるということの含意。自分の名前がありふれていることを「記憶の彼方の大昔から、長年の慣わしにより、民衆の共有物とされてきたような名前」と表現しているのが面白い。自己同一性を証立てているはずだった名前が、実は名もなき(?)他者によって歴史の中で用いられ続けてきた共有物に過ぎないという、その意味で寧ろ自己同一性を否定しているという、名づけというものについての厳然たる事実。

    「アモンティリャードの酒樽」 ・・・ 冒頭、復讐の要件が述べられているところが面白い。最後、鈴の音のみ聴こえる沈黙が怖い。

    「告げ口心臓」 ・・・ 狂気と神経過敏との結びつきが巧かった。その神経過敏さと、そこからくる狂人の"饒舌さ"(内面における騒々しさ)が、自ら犯罪を暴露し破滅へ到るという結末もいい。


    ○奇想譚

    「影」 ・・・ 不吉さが宇宙論的に語られると、その無辺の闇を禍々しさが満たしていくようでますます不気味で暗鬱に感じられる。「その年は恐怖の年であった。恐怖というより、地球上には付する名もない、もっと凄烈な神気に満ちた年だった」。邸宅にて人々のあいだの暗がりに重苦しい死の気配がじっとりと浸潤しているような、不穏な空気の描出が見事。「私たちの周囲には、なんとも説明しようのない事柄が――物質的かつ精神的な物事――大気に漂う重苦しさ――窒息感――不安――そしてとりわけ、感覚が鋭敏に活性し、覚醒していながらも、同時に思考力が休眠状態にあるとき、神経質な人々が経験するあの恐るべき状態が在った。どっしりとした重苦しさが私たちにのしかかっていたのである」。特定の人称を超えて遍在する死のイメージ。

    「鐘楼の悪魔」 ・・・ 真ん円な谷の縁に沿ってそれ自体が時計の文字盤のように形作られた街、その家々は谷の中心にある大時計を向いて建てられている、そこに住む人々は大人も子どもも家畜でさえもみな懐中時計を携帯しており、老紳士たちはポケットに時計をしまいながら各自玄関前の肘掛椅子に座り広場の中央にある鐘楼をじっと見つめている。そこは、時計が寸分の狂いもなく刻んでいくその時間秩序に支配された、定常的で自己閉鎖的な――それゆえ逆説的にも無時間的な[ou-chronus]――空間である。しかし突如として出現した闖入者が、楽器を掻き鳴らし雑多な舞踊のステップを踏みながら鐘楼の大時計を占拠して、平穏だった街の時間秩序を破壊し人々を大混乱に陥れてしまう。これは近代資本主義社会の要請によって人々が経験することとなった時間意識の変容――円環的・閉鎖的・永続的な時間から直線的・開放的・無際限的な時間へ――という精神史的事件の戯画だろうか。静的無時間性から動的無秩序性へ――単調な鐘音から騒乱的なステップへ――否応なしに転位を強いられる近代。ポーの寓意はわからないが、少なくともこの物語のドタバタさに悲壮感はない。読みながら、作中の悪魔の動作がアニメーション映像で浮かんでくるようだ。作品解題によるとドビュッシーがオペラ化を試みたというが、確かに音楽的な賑やかさのある作品であり、聴いてみたかった。

    「鋸山奇譚」 ・・・ 現実と幻想、自我と他我、現在と過去、生と死、その行き交い・転位が面白い。もし或る個人に、過去の誰かの記憶が勝手に割り込んで重なり合ってきたら。反復は、意思の消滅、自己それ自体にのみ根拠を求める自己同一性の消失。


    ○絶筆

    「燈台」 ・・・ 未完の絶筆。わずか4ページ。海・燈台・孤絶。最小限の設定だけで予感させられる、名づけがたい不安。「・・・・・・望遠鏡を使っても、見渡すかぎり、ただ、ただ、大海と大空、ときおりカモメが飛んでいるぐらい」。


    ○冒険譚

    「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」 ・・・ 未読。

  • NHKで紹介された「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」を読んでみたかったんですが、そこに行くまでが長い。分厚すぎる。
    そして肝心のアーサー・・・の物語は残酷描写が多くて流し読み。ゴシックホラーというのでしょうか、わりとグロい描写もあり、わたしには合わなかったかなぁ。「黒猫」のお話は、猫を虐待する話で、ホント読んでて気分が悪かったです。
    残念。

  • デーレンバック『鏡の物語』読後、禁断症状につきアッシャー家再訪。血が濃すぎるんだよ君たち。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00256039

  • 800ページもあるアンソロジー
    以下の作品を読んだ。
    モルグ街の殺人
    マリーロジェの謎
    盗まれた手紙
    黄金虫
    お前が犯人だ
    メルツェルさんのチェス人形
    黒猫
    ほかに、あと10編あるが、もういいかという気がする。
    当時は画期的だったのだろうが、今となっては古びた印象は否めない。

  • ツタヤ代官山でのトークショー&サイン会と同時購入

  • 詩と長/短篇、全20編を収録。「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」など未読作品だけ読もうと手に取ったが、“やはり「アッシャー家」を素通りするわけにいかないし「黒猫」も「モルグ街」も…”となって、結局全部読むことに。巻頭の「大鴉」は中里友香氏による新訳で、素晴らしく雰囲気がある。充実した解説や内外の主要文献リストも嬉しい。そしてさらに読書の深みにはまるための、メルヴィル、エーコ、ミルハウザー、キング等計38作家を挙げた「Further Reading~ポーを愛する読者へのブックリスト」もついてくるなど大変お得

  • 2016-7-18

  • 「モルグ街の殺人」を再読するつもりで借りたが他の作品も面白かった。

    推理小説の原点というのは知っていたがホラーやSFの元祖だったとは初めて知った。
    「モルグ街の殺人」や「マリー・ロジェの謎」の推理や「黄金虫」の暗号解読は見事に論理的なステップを踏んで展開されており、「メルツェルさんのチェス人形」の指摘事項もオカルト物への見事な反証になっている。ロジカルシンキング研修の教科書にすると面白いと思う。

    ホラーとしては「早まった埋葬」で語られている「生き埋め」に対する恐怖が、他の作品でしばしば登場しているのが興味深かった。

    長編「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」で原住民の叫び声として出てきた「テケリ・リ!」...どこかで見た覚えがあると思ったらクトゥルフで使われていたとは...ポーおそるべし。

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著者プロフィール

(1809年〜1849年)アメリカの作家、詩人。推理小説の祖とも言われる。主な作品に「アッシャー家の崩壊」、「黄金虫」、詩集『大鴉』など。

「2020年 『【新編エドガー・アラン・ポー評論集】 ゴッサムの街と人々 他』 で使われていた紹介文から引用しています。」

エドガー・アラン・ポーの作品

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