月の客

著者 :
  • 集英社
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本棚登録 : 112
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087717136

作品紹介・あらすじ

書かれたとおりに読まなくていい。どこから読んでもかまわない。
一気読みできる本のように、一望して見渡せる生など、ない。

「小説の自由」を求める山下澄人による、「通読」の呪いを解く書。

父はおらず、口のきけない母に育てられたトシは、5歳で親戚にもらい子にやられた。
だがその養親に放置され、実家に戻ってきたのちトシは、10歳で犬と共にほら穴住まいを始める。
そこにやってきたのは、足が少し不自由な同じ歳の少女サナ。サナも、親の元を飛び出した子どもだった――。
親からも社会からも助けの手を差し伸べられず、暴力と死に取り囲まれ、しかし犬にはつねに寄り添われ、未曽有の災害を生き抜いたすえに、老い、やがていのちの外に出たが体験した、生の時間とは。


【著者略歴】
山下澄人(やました・すみと)
1966年、兵庫県生まれ。富良野塾2期生。96年より劇団FICTIONを主宰。2012年『緑のさる』で野間文芸新人賞を、17年「しんせかい」で芥川賞を受賞。その他の著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『コルバトントリ』『鳥の会議』『小鳥、来る』などがある。

感想・レビュー・書評

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  • 句点の全く無い文章。最初、詩のようだと思って読み始める。読点だけで区切られながら情景が描写されて行く。

    口がきけない母から生まれ、父親を知らず、10歳で神社の裏手にある洞穴で「いぬ」と名付けた犬と暮らす浮浪児トシ。5歳の時に酔った母親に突き飛ばされて、右足を一生引きずって歩くようになった少女サナ。彼らの人生が、時間や場所が前後したり交錯したりしながら現れてくる。

    説明のしようがない。ここにあるのはただありのまま、トシの見たこと、生きてくるために行動したこと。サナの思ったこと、思い出そうとして思い出せないことと憶えていること。

    人や動物の生と死。生と性。大震災。ほとんど口をきかないトシの感情は、ほぼ表現されない。サナは沢山喋る。最後は記憶が曖昧になって、夢と現実の境界が失われて行く。

    死や暴力が周りにある。同じように月や草や川、坂も洞穴も家も存在する。肉体的にどこか欠けた、標準から外れた人々がトシが生きるのを手助けしてくれる。犬は常に彼と共にいる。

    生きて老いて行くトシやサナの人生を切れ切れに読みながら、内側から、時々外側から眺める不思議な感覚。しまいには生と死の境界も、人間と犬の境界も分からなくなって来る。

    不条理、生まれたから生きる、繋がっている命、そんなことを思った。ほとんど口をきかず、犬が呼応する声のみ出す「犬少年」として見せ物小屋にいたこともあるトシの内的世界は、人間よりも犬と通じている気がする。

    全体を読むと相当悲惨な話、どこにも救いが無い話なのに、所々滑稽ですらある。月が照らす場所にあるものは皆同じ地平にあって、貴賎も幸不幸も無いかのような不思議な場所に連れて行かれた。

    著者の山下さんは、俳優で劇作家で演出家で小説家。劇団「FICTION」を主宰。彼が芥川賞作家であることも私は全然知らなかった。

    全く体験したことのない凄い小説世界に放り込まれて、私はこの作家の初読みがこの作品で良かったのか?とうろたえている。『小鳥、来る』も読みたいと思った。

    山下さんが朗読する『月の客』の一部をwebで聴いた。凄く良かった。目をつぶって聴いた。自分が目で読むよりもずっと良かった。山下さんの声でこの本を全部読んで聞かせて欲しい、そんなことを思った。

    私には、説明も意味づけもできないこの小説、けれど読むと見えてくる、見えてきてしまう光景がある。バラバラに読んでも、続けて読んでも、読んだ後に少し自分の目が、頭の中の目に見えるものが変わるような気がした。

  • 新しい読書体験!
    普段だったら本を読んだあとにもっと本の世界が立ち上ってきたりするけれど、この本は違う。読んでいる最中の、まさに隣で見ている感が強すぎて。顔を上げた途端に声が遠のく。だけど再び戻した視線から音が聞こえるような感覚を味わえた。

  • こんな小説読んだことがないような。それだけでもワクワク読めた。
    ストーリーを追えているような追えていないような。
    活字の配置を楽しんだり、関西弁(兵庫の言葉?)を声に出して読んで楽しんだり(全編声を出して読みたいような気がする)。
    親や社会から見放された人たちの話なのに、関わる人がたくさん出てきて、人とのつながりがあって、寂しい感じはしなかった。

  • ちいとも不適切やないです。

  • 人称が頻繁に変化していき、最初から最後まで句点はなく、読点のみで続く長編詩のようであり独白のようであり観察記のようでもある独特の文体と世界観。一般的な起承転結がある小説とは一線を画す。‬

  • さむいか

    トシは男に教えてもらった、避難時、へ母を連れて行った、
    学校は、トシも通っていたら通っていた小学校だった、山がすぐそばに見えた、通ってはいない、中へ入ったおぼえは何度かあった、
    校舎が、三つ、大きなひびが入っている、校庭は上と下に分かれている、坂の途中に立てているからそうなる、
    人がたくさんいるのかと来たら人がいない、避難所になっていると男はいったのに、

    まっさんはいろいらおれに聞いたうまく話せないそれでもまっさんは聞いた聴いてくれたいぬ少年 のところはすごく笑ったおかしいわい母の話も笑ったサナの話はしていないサナはたぶん死んだ知らないあっていないからわからない長いあいだあっていないコーラを三ばい飲んだ金はまっさんが出した仕事してみるかとまっさんがいったあしたもこれぐらいの時間にここへこおへんかわしおるからといった穴へもどって二千円くれたその二千円を伸ばして

    の骨を折った子どもの二つ下の女の子、わたしの靴を持ち上げて笑った、わたしは

    えー連れて来てくれはったんですやん

    さすってくれ
    男はいった、
    痛いねん
    さすった、
    押せ
    押した、
    グーで押して
    グーで押して、

    ああ
    ああ
    そうだ

    わたしはあの歯抜け男とセックスをした、歯抜けとだけじゃない、あれこれとした、
    いつまでつけていただろう、帳面につけていた、

    三年

    千年後、いない人たち、かたちを変えている人たち

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著者プロフィール

1966年、兵庫県生まれ。富良野塾二期生。96年より劇団FICTIONを主宰。2012年『緑のさる』で野間文芸新人賞を、17年『しんせかい』で芥川賞を受賞。その他の著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『コルバトントリ』『ルンタ』『鳥の会議』『壁抜けの谷』『ほしのこ』がある。

「2020年 『小鳥、来る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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