続きと始まり

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087718560

作品紹介・あらすじ

あれから何年経ったのだろう。あれって、いつから? どのできごとから?日本を襲った二つの大地震。未知の病原体の出現。誰にも流れたはずの、あの月日――。別々の場所で暮らす男女三人の日常を描き、蓄積した時間を見つめる、著者の最新長編小説。始まりの前の続き、続きの後の始まりを見下ろし、あの中のどこかにわたしもいる、と思った。(一穂ミチ・作家)【著者略歴】柴崎友香(しばさき・ともか)1973年、大阪府生まれ、東京都在住。大阪府立大学卒業。1999年「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」が文藝別冊に掲載されデビュー。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞、咲くやこの花賞を受賞。2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。その他に『パノララ』『千の扉』『百年と一日』ほか、エッセイに『よう知らんけど日記』など、著書多数。

感想・レビュー・書評

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  • かつて日常を非日常にしてしまった二つの大震災。
    未知の病原体の出現。
    過去の出来事だけど、それはあまりにも深く心に残っていて…
    コロナに関しては、今もまだ安心とはいえないが…
    それなりの前に戻ったかのように日々は続いていく。
    この物語は、三人の住むところも違う男女の日常を描いている。
    2020年3月から2022年2月までのコロナ禍の日常である。

    それぞれの生活や環境やもちろん考え方も違うけれど過ぎてゆく時間は、同じように流れている。
    その年に自分は何をして、何を考えていたのかを思い出していた。
    自分自身の性格が変わるわけではなく、ただ世界のどこかで地震があり、戦争が始まり、事件もまたおきているというのを「情報」として見て、時間が過ぎていく。



  • 『続きと始まり』柴崎友香著 : 読売新聞
    https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20231218-OYT8T50009/

    続きと始まり | 集英社 文芸ステーション
    https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/tuzukitohazimari/

    続きと始まり/柴崎 友香 | 集英社 ― SHUEISHA ―
    https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-771856-0

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      ◆コロナ禍 3人の2年間[評]青木千恵(書評家)
      <書評>『続きと始まり』柴崎友香 著:東京新聞 TOKYO Web
      https://w...
      ◆コロナ禍 3人の2年間[評]青木千恵(書評家)
      <書評>『続きと始まり』柴崎友香 著:東京新聞 TOKYO Web
      https://www.tokyo-np.co.jp/article/305549?rct=shohyo
      2024/01/29
  • 『三月十一日は仕事が入っていなかったので、れいは部屋の片付けをしていた。この部屋に移ってきて以来、テレビをつけることはめったになく、代わりにときどきラジオを聴くようになった。(中略)ニュースは「震災から十年」という言葉で始まった。コロナ禍のために追悼式典は縮小され、政府からの出席者も制限されています、と各時間ごとに別のアナウンサーが同じ文言を告げた。「十年の節目」という言葉が、何度も聞こえた。「節目」ってなんだろう、と思う。なにか変わることがあるのか、れいにはわからなかった。その十日後に、緊急事態宣言は解除されることになった』―『二〇二一年二月 柳本れい』

    柴崎友香を読み始めていつの間にか二十年。その間、世の中を揺るがすような大きな出来事もあったけれど、この作家の立ち位置はほとんど変わっていないということに気付く。何か流行りのものに流される様子もなく、好きなもの(特にバンド)は好きと表明しつつも、何かを断定的に判断することに常に躊躇を感じる人の心情を書き続けている。作家がそんな風に代表する立場を、あるいは「サイレント・マジョリティー」と呼んでも良いのかも知れない。けれど、そう呼ばれた人は、決して黙っていたい訳ではないし、主張したくない訳でもない、というのがより適切な言い方になるのだろう。それはもしかすると、現状を完全に肯定している訳ではない、という表現に還元され得る心情なのかも知れない。

    そう言ってみてしまうと、何だか妙に内向的で、「ネクラ」な人々のことを指しているようだけれど、無理に自己主張を強いられることに抵抗感がある人の方が普通ではないだろうか。主張は、ものごとを単純化して理屈に合わせて訴えなければならないが、その過程で失われる個や感性の代償も大きい。その意味では「多様性」と集団を俯瞰した立場で表現した瞬間に失われているものがある、と言い換えても良いかも知れない。この作家は、それをいつまでも省略しない生き方を書き続けているのだとも言える。それを突き通すことによって、全ては日常生活の延長上にある、ということを柴崎友香は常に訴えてくる。訴えてくる、というのは強過ぎる表現かも知れない。だがこの作家の書くものを読んでいると、いつもそう感じてしまう。

    『ヨッシーは、前にいいって言われたものをなぞっているだけに見えるし、被写体に対しても勝手な思い込みがある感じがする、と訥々と話した。他の学生たちは、そうかなあ、と首を傾げたりしていたが、撮影者と仲がよく、そのクラスの中心的な存在でもあった山岡という男子学生が、批判するならもっと明確な理由を言うべきだ、と苛立ちを隠さずに言った。(中略)説明できないってことは正しくないってことだろ、単なる感情でしかないじゃん、納得させられないんだからその時点で間違ってるんだよ、ちゃんと考えてからしゃべれよ、と、声を荒らげた』―『二〇二一年八月 柳本れい』

    これは、養老先生が常々いうところの「概念」の話だ。曰く、概念は感覚を凌駕するものではない。複雑なものを人間にも理解できるように単純化するだけのこと。そしてX=3、a=bという概念上の操作を飲み込む時、何でもありの世界に踏み入れている事に気付けないでいると、倫理観を徐々に失いかねない、と教える。柴崎友香が書いていることは、まさにその感覚が「何かが違う」と訴えていることに拘るということなのだと理解すれば、やたらに風景描写や物事の変化を捉えて記すことが多い文体のことなども理解できるような気になる。変化は日々の中にあるのだけれど、いちいちそれに気を止めていたのでは日常生活は滞りがちとなる。だから、これは昨日も在ったし今日も「同じように」在る、と頭で整理する。しかしそこに違和感が残ることに、この作家は拘っているのだ、と。養老先生が自然に帰れと言うのと基本的に同じことを柴崎友香は小説に書き記す。ただしもっと間接的に。

    『昨年三年ぶりに刊行した長編小説は、忘れていた過去が今の自分や周りの人間関係にどう影響しているかをテーマにした話だ、と説明されていた。これを書こうと思ったのは、コロナ禍で一人で今までのことを見つめ直す時間ができたのもあるし、東日本大震災から十年が経つこともありました。実は、震災の一年後に津波で大きな被害を受けた場所を訪れたのですが、そのとき見たことについてはいまだになにも書けないんです。一行も。なにか書くつもりで行ったわけではないのですが。私は大学生の時に阪神・淡路大震災を経験していて、でもうちの周りは被害がたいしたことなかったから、そんな自分には書けないと思っていたんですね。でも二〇一一年に東京で震災を体験したとき、自分には書けないと思っていてもなにか少しでも書くべきだったと思ったんです。直接大きな被害を受けたわけではなくても、なにか少しでも伝えられることがあったんじゃないかって。それなのに、また書けないんですよね。十年経っても、なにをどう言葉にしたらいいのかわからなくて。その思いが、今回の小説につながっていると思います』―『二〇二二年二月 柳本れい』

    そして、これまでのインタビューやエッセイの中でも語られて来たように、この作家の違和感の根底に、震災の記憶というものがある。本書の中で作家の等身大の投影が最も色濃く反映されている人物(直接出てくることはない)に語らせているこの思いは、作家の思いが直接的に語られていると見ても良いように思える。「だからどうなの?」と問われても返す言葉が見つからないことは、だからといって忘れてしまって良いことではない。そんな声が、じわじわと伝わって来る。

    そして『「なにげない日常こそがかけがいのないもの」と判で押したように紹介されたりすることに、抗うことができたかもしれない』と、主要な登場人物の一人に語らせている一言もまた、如何にも作家柴崎友香の心情そのもののように響く。「何も起きない」などとも評される小説は、実は「起きていることに読者が気付けない」小説なのだ、と作家は言いたいのだろうと思う。もっとよく見てください、と。その意味では今回の作品は随分と丁寧に起きていることが語られていて、作家の拘りの根源にも迫るような一冊となっていると思う。

    そして、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「終わりと始まり」。さて、自分はどんなことを感じていたのか、と振り返って見ると、
    「 原因と結果を
    覆って茂る草むらに
    誰かが寝そべって
    穂を嚙みながら
    雲に見とれなければならない
    『終わりと始まり』

    わたしは解らない、と認識し続けること。それは逆に言い換えてみれば、わたしは考え続ける、ということ。恐らく、今、一番必要なこと。」
    などと書いている。ああ、本当にそうなのだ。自分が柴崎友香の小説を好きな理由もそこにある。

    最終章は、言ってみれば、これまでの柴崎友香節に戻ったようなエピローグ。ちょっと「きょうのできごと」を思い出させる。そういえば全体の構成もオムニバス風なのだった(そもそもナイト・オン・ザ・プラネット(ジャームッシュ)だものね)。と、つらつら考えていたら、頭の中で矢井田瞳の「マーブル色の日」が流れ出して止まらなくなった。

  • Amazonの紹介より
    あれから何年経っただろう。あれからって、いつから? どのできごとから?
    日本を襲った二つの大震災。未知の病原体の出現。誰にも同じように流れたはずの、あの月日──。別々の場所で暮らす男女三人の日常を描き、蓄積した時間を見つめる、叙事的長編小説。



    コロナ禍での3人の「日常」を垣間見ましたが、最近の話なのに、どこか「過去」のように感じてしまいました。

    本作品は、みんなが体験した日常を描いているので、特に小説ならではの演出といったエンタメ性の要素はありません。淡々と時が流れていて、時折あんなことあったな、こんなことあったなといった出来事もあって、懐かしくも感じてしまいました。

    主要の3人は、コロナをきっかけに仕事にも影響され、色んな変化が訪れます。自分はエッセンシャルワーカー(コロナをきっかけにこの言葉を知りました。)なので、あまり日常が変化した感覚がなく、3人が描く苦労の連続になかなか親近感が湧きづらかったのですが、コロナによる影響は計り知れないことを感じました。

    人生を突っ走っている時はあまり感じないのですが、ふと立ち止まってしまうと、色んなことを考えすぎてしまいます。とにかく色んな場面で、色んなことを振り返ります。
    あれから何年経った?の「あれ」とはいつから?「あれ」とは何か?といった具合に、今にしてみれば、どうでもいいことが描かれています。

    結局考えたところで、何も変わることはないのですが、ふと人生に立ち止まった時に色んなことを考える描写は共感しました。たしかにそうだなと思うところもありますが、過去の言葉が間違っていたとしても、過去は消せません。
    何かの続きを生きるしかないと感じました。

    日々、テレビといったメディアで伝える情報。画面越しだけれども、日々の情報に心を痛めることもしばしばありました。その一方で、どこかで何かが起きているといったふわっとした現実と捉えることもあります。

    小説に出てくる3人の日常も、どこか「情報」だけを目撃しているだけで、自分には何も影響されないといったどこか突き放した感覚もあって、どこか不思議さが生まれていました。

    懐かしいと書いてしまうと、どこか言葉のニュアンスが異なるのですが、小説を通じて、あの頃が蘇ってきました。
    あの頃を忘れず、また人生を駆け抜けたいと思いました。

  • 風化していくって怖いなって読んでて思ったほど、緊急事態宣言という言葉が懐かしいと思ってしまった。あんなに日常的だったマスクのこと、忘れてはならない震災も。大切なことたちが随所に散りばめられててハッとすることがあっていいなと思いながら最後まで楽しく読んだ

  • はじめて読んだ作家さん。
    コロナ禍での人々の生活。
    大きな出来事はないけれど淡々と話は進む。
    そんなに共感できる登場人物はいなかったけど、
    色々な制限の中で暮らした緊急事態宣言のときを思い出した。

  • 三者三様のコロナ禍“あの日”“あの頃”の経験は、怖いほどリアルでフィクションなのに“身に覚え”があり過ぎて‥語り手達が個人的に見た景色まで、わたし自身が見聞きしたり経験してきたことに重なり、脈絡もなく記憶のページが開かれて、頭の中がパンクしそう。「どうすればいいかわかるのはいつもそれが過ぎてから」。そう言えばあの頃、大災害と同時進行であんな事もあったし、こんな事もあった。能登はまだ揺れているし、あれもこれも正解はわからないけれど、私たちなりの方法で後片付けをし続けていかなければ。

  • なんかわかるな。
    なんかそれぞれの感じ方に、共感できる部分が多数あって、なんか透明な感じにすーっと物語が続いてる感じがとても良かった。

  • 阪神・淡路大震災と東日本大震災の2つの災害、そしてコロナ禍をリンクさせて現代を見据えた意欲的な作品だ。
    2020年3月の石原優子の章から始まって、5月の小坂圭太郎、そして7月の柳本れいへと語り手が移り、以後ほぼ2ヶ月毎の出来事がそれぞれの視点で綴られていく。彼らは住む場所も仕事も違い接点はなさそうに思えるのだが、最終章で1つになり唸らされる。
    これまでに読んだ柴崎さんの作品とはいささか作風が異なるが、確かな手応えを感じた。

  • 柴崎さんの小説が大好きで、いつも新刊を楽しみに、読んできました。でも、これは今までの柴崎さんの作品と、全然違う、すごい・・・と読み終わって感服しました。

    3人の主人公の、今の生活や仕事、生まれ育った家族や今の家族のこと、日々のささいな気づきやひっかかりが、
    関わる人々との会話によって、気づきに深みが増していく。

    何十年も前の後悔や痛みが、全く関係のない場所で、理解できたり納得できたり、癒えたりすることがある。
    ということが、鮮やかに文章で描けることが、本当にすごいと思いました。

    私たちは生きている限り、考え続けることができて、それは、続きの始まりなんだ、と。
    今も、災害や戦争が遠い場所で起きていて、自分は画面の中の現実をみているだけで、何もできない、と思っているような日々の中で、
    考え続ける、終わることはない、ということが身に沁みました。

    フェミニズム的な視点からも、とても勇気づけられる小説で、これから何度も読み返すと思います。

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著者プロフィール

柴崎 友香(しばさき・ともか):1973年大阪生まれ。2000年に第一作『きょうのできごと』を上梓(2004年に映画化)。2007年に『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年に『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に映画化)、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。他の小説作品に『続きと始まり』『待ち遠しい』『千の扉』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『ビリジアン』『虹色と幸運』、エッセイに『大阪』(岸政彦との共著)『よう知らんけど日記』など著書多数。

「2024年 『百年と一日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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