- Amazon.co.jp ・マンガ (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784088806860
作品紹介・あらすじ
殺せんせーと感動の再会を果たした生徒達。しかし激しい憎悪から生まれた2人の怪物が迫り来る。最後の闘いの行方は!? そして生徒達は──
感想・レビュー・書評
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読了
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「楽しい時間は必ず終わるものです それが…教室というものだから」
ここまで20冊。振り返ってみるとあっという間だった。今まで紡がれてきた絆が、命を刈り取る一太刀に命を与えた。ずっと読んできてよかったと思えるラストシーン。涙なくしては読めないね。生徒たちと一緒に声を上げて泣きたくなった。殺すということ、命ということ。暗殺と教室という真逆ともいえる組み合わせを、これほどまでに王道の教育マンガに磨き上げた作者の構成力とバランス感覚がすごすぎる。
殺せんせーはE組の生徒はもちろん、弟子の死神に対しても先生として向き合って戦ったんだろうなって伝わってくるのがよかった。そして、茅野を助けられたシーンも印象的。助けられなかった過去を教訓に、自分の力を誰かを守るために使うこと。先生自ら命を懸けてそれを実践して見せたのが熱かった。
「社会の激流が自分を翻弄するならば…その中で自分はどうやって泳いでいくべきかを」
「いつも正面から立ち向かわなくていい 避難しても隠れてもいい 反則でなければ奇襲もしていい 常識外れの武器を使ってもいい 殺る気を持って焦らず腐らず試行錯誤を繰り返せば…いつか必ず素晴らしい結果がついてきます」
殺せんせーと別れても、生徒たちはきっとその教えとともに生きていけるだろう。願わくば、これを読んだぼくもそうやって生きていけたらなと思う。 -
やっと全巻読み終えました。映画版の感想の時に、私は概ね以下のようなことを思いました。
「(略)これを書いているマクドナルドの隣の席で、やはりここに出てくるような落ちこぼれな学生が会話の中に「死ねよ」とか「殺す」とかの単語を使っていた。年寄りにはにわかに信じられないかもしれないが、いまや子供たちは日常的にそういう「言葉」に囲まれて生活しているのである。「保育園落ちた、政府死ね」と言葉に「刺激的な言葉」と感想を漏らす若者と年寄りとの間には実は大きな隔たりがあるのである。正にそういう世相だからこそ、こういう作品が成立したのである。
(略)しかし、1番フィーチャーされている主役の山田涼介のクライマックスの場面が、あまりにもベタベタで、どうしようもない。
おそらく監督も俳優も「殺す」ということの意味が、全くわかっていないからなのだと思う。ゲームの世界でしか殺すことがない。だから、ラストはファンタジーとして演出した。だから渚くんも、まるで決勝戦で負けたような表情しかしなかった。でも、あそこはリアルに描かないとホントの「教育」にはならない。」
以上映画感想より。
マンガは映画とほぼ同じ内容で進行するものの、ラストを流石に丁寧に描いていて、映画のような違和感を感じなかった。また、マンガはやはりコマとコマの間を想像力で埋めるために、渚くんの覚悟と悲しみがストレートに伝わったと思う。
先生の最後の授業は「社会に出た時の困難の対処の仕方」でした。以下のように教え諭します。
君達はこの先の人生で、
強大な社会の流れに邪魔されて、望んだ結果が出せないことがあります。
その時、社会に対して原因を求めてはいけません。社会を否定してはいけません。
それは率直に言って、時間の無駄です。
そういう時は、
「世の中そんなもんだ」と‥
悔しい気持ちをなんとかやり過ごしてください。
やり過ごしたあとで考えるんです。
社会の激流が自分を翻弄するならば‥
その中で自分はどうやって泳いで行くべきかを。
やり方は学んだはずです。
このE組で。この暗殺教室で。(20巻、第170話)
著者はおそらく超氷河期が続き、ブラック企業が跋扈する社会の中で、自分の体験に即して、ともかく学生時代に「心と身体」を鍛えよ、と励ましたつもりなのだろう。でも、私はこの教えは先生としては「失格」だと思う。
もちろん「やり過ごす」逞しさを持つようになることは大切だ。しかし「時間の無駄」だから、はなから「社会に原因を求めるな」社会を肯定して「上手く泳げ」と教えてはいけない。
学問とは、社会を含めた世界を批判的に見る視点を養うことである。「原因」がわからなければ、やがては無批判に社会の中で同様に次世代の若者を苦しめるようになるだろう。殺センセーはそんな生徒たちが生まれることを良しとするだろうか。
学生の時こそ、無駄を承知で、世界を広く、そして深く批判的に学ぶべきです。実際、20巻で生徒たちが殺センセーに再会できたのも、殺センセーを殺す社会を否定したからです。
と、殺センセーよりもおそらく二世代も上のモノからのアドバイスでした。 -
卒業の時間。
師を超えていくことが、弟子の定め。とはいえ、この師弟の場合、物理的に「殺す」ことが超えるための通過儀礼という残酷さ。なぜだろうか。師匠との死別というのは、過去何度もいろんな作品で読んできたシチュエーションなのに、達成感よりも喪失感のほうが強いのは。
いつの間にか、E組面々のように殺せんせーとの絆を感じていたからか。先生だったり大人だったり友人だったり。ただただ教え導くでなく、お互いに対等な関係で遊ぶことすらできた関係だから、達成感より喪失感なんでしょう。
卒業おめでとう。
あ、俺さま柳沢のやられ方はいいと思います。みじめさ、挫折を心底味合わせてあげるという。 -
感動した…
どんなラストになるのかなと思っていたが、想像以上に感動した
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愛のある出欠確認★★★★★
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もらい泣きです。