- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784092893191
作品紹介・あらすじ
ヒロシマとイタリアをつなぐ<記憶>の旅 わたしには名前が三つある。 光・S・エレオノーラ。 エレオノーラは、イタリア語で光という意味。 Sは何かって? ちょっと大げさな名前だからないしょにしてる。2011年震災後、少女エリーは親戚のいるイタリアに少しの間避難する。おいしいものと温かい人たちに迎えられ人心地つくが、思いもよらない歴史に触れ、エリーの名前のSに込められた本当の意味を知ることになる。戦争を乗り越えて生きてきた人々の“希望”を描く、ヒロシマとイタリアをつなぐ物語。 【編集担当からのおすすめ情報】 ヒロシマを描き続けてきた作者が、震災後、どうしても書きたかったという渾身の物語。
感想・レビュー・書評
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言葉で伝えていくことの大切さ。
広島出身、被爆二世の父と、第二次世界大戦中ナチスに侵略された北イタリア出身の母。その両親の13歳の娘がヒロシマ、イタリア双方の戦争の悲惨な歴史を祖父、祖母から聞くことになる。
言葉の力、残された言葉の重み。
むごたらしい戦争を繰り返さない、という著者の強い思いが全篇ににじんでいる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
主人公の光・S・エレオノーラ(エリー)は、広島出身の日本人の父とイタリア人の母を持つ。
エリーは、母の実家である、エレナおばあちゃんがいるイタリアにしばらく滞在し、そこで、おばあちゃんの子供の頃あったこと、とりわけ、おばあちゃんのお兄さんであるパウロの話を聞く。
エリーがそれまでほとんど何も知らなかった、イタリアでの、ナチスによるユダヤ人虐殺、イタリア人同士のファシスト政権と、それに抵抗する一般市民らパルチザンによる攻防戦の話だ。パウロはパルチザンの一員だった。パウロは捕まり、母が差し入れた1つのパンに、自身の血である文字を書いた後、処刑された。そのパンは、カチカチになって緑色のサテンに包まれ、大切に今もエレナの家に保管されていた。
エリーはイタリアで聞いたこと、そして広島の原爆のことも、もっと知りたいと思うようになる。帰国した後、夏休みには、被爆経験のあるおじいちゃんのいる広島へ行く。そして、今まで経験した戦争について多くを語らなかったおじいちゃんから、沢山の話を聞く。
[心にまとっている無関心という名のマントを破り捨てなさい]という文が強く心に残りました。歴史に対して、他人に対して、無関心でいることに慣れきっている自分にハッとしました。
勝手に男性と思っていた朽木祥さん。調べたら女性でした。被爆2世である作者がどうしても伝えたいことを盛り込んだこの一冊。今まで読んだ(数少ないですが…)戦争物の中で、一番我が事のように胸に響きました。歴史が特に苦手な私でも一気読みでした。中学生くらいから大人まで、多くの人に読まれるべき一冊だと思います。 -
光・S・エレオノーラ
イタリア人の母、日本人の父をもつ、3つの名前がある中学1年生
東日本大震災直後の春休み、母の親戚が暮らす北イタリアの小さな村に一人で行くことになる
そこでノンナ(おばあちゃん)に聞かされたのは、第2次世界大戦でナチスがイタリアでもおこなったユダヤ人虐殺、抵抗して戦った人たちの記録、そしてノンナの兄が残したパンに書かれた言葉
帰国した光は、夏休みにこんどは父の実家がある広島に出かける
祖父母からは被爆の実態とその後の苦しみを聞かされ、祖父の妹が残した日記を手にする
〈イタリアとヒロシマをつなぐ〈記憶〉の旅〉──帯のコピー
ふたつの〈記憶〉から少女は何を考え、何を学んだか
ノンナの兄が死の直前、パンに残した言葉とは
暴力ではなく言葉の力を信じることができるために、主人公の名前でもある“光”に希望を託した物語
〈暗黒の日々のなかでも他者の苦痛や悲しみを分かち持って生きようとした人々の物語が、少しでも現代の読者を励ませるよう心から祈ります。〉
〈どうか世界中の子どもたちが心の自由を奪われることなく、〈希望〉に満ちた未来を生きていけますように。〉
──「あとがき」より
『八月の光』『光のうつしえ』の朽木祥による書き下ろし、2022年6月刊
〈心にまとっている無関心という名のマントを破り捨てなさい〉
このくにのかたちを問う選択を前に、ナチスに抵抗した学生運動「白バラ」が残したメッセージをかみしめたい
※p.9〈ママと話したことをが〉⇒〈ママと話したことが〉
※p.120〈くやりきれない〉⇒〈やりきれない〉
※p.32〈今年のバスクアは四月二十四日だった。〉⇒〈三月二十四日〉でないと〈春休みの旅行〉にならない(ただし、2011年のじっさいの復活祭は4月24日) -
待ちに待った朽木祥・新刊!
予約をして、嬉々として読み始める。
う~ん、正直、盛り込みすぎのような・・・
北イタリアのパルチザンと広島、
そして3.11までがつながるのだけれど・・・
ちょっとムリがあるような・・・
たぶん、ご本人が、よくおわかりのはず。
それでも、これを書きたかったという、その思いに
まずは、心からの拍手を。 -
前半のイタリア編を読んでいたときは、まだ少しぼやーっとしていましたが、後半の広島編を読んでいるうちに、朽木さんがこの本に込めた思いがわかった気がしました。
「伝えること」「声を上げること」
の大切さ。
あとがきにも、
「戦争やヒロシマを描こうとするとき、心から去ら
ぬ問いがあります。
物語ることが先か、伝えることが先か。
伝えたい思いが募るあまり物語を損なうことがあ
ってはなりませんが、しかし、どうしても伝えて
いかねばならない〈記憶〉もあります。」
とありました。
将来を担う、一人でも多くの子どもたちに、この思いが伝わりますように。
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鎌倉で東日本大震災を経験したエリーは、しばらく母の故郷のイタリアの祖母の元で過ごすことになった。
祖母の家の祭壇で見つけた小さな布の包みには、祖母の悲しい過去が包まれていた。エリーは祖母から戦争の体験を聞いた。
日本での夏休みは、父の故郷の広島に滞在した。被爆者の祖父はこれまで戦争の話はしたがらなかったが、この夏は違った。
エリーは、自分と同じ年頃で戦争の時代を生きた少女達のことを知り、これからを生きる自分の役割を考える。 -
広島出身の父とイタリア人の母の間に生まれた“光”の名を持つ少女が主人公。イタリアと広島それぞれの戦争を書く。タイトルの意味は胸がしめつけられる。戦争を知らない世代に。