黒田如水 (小学館文庫 R J- 4-1 時代・歴史傑作シリーズ)

著者 :
  • 小学館
3.38
  • (4)
  • (10)
  • (27)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 84
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094035315

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 小物に書かれている官兵衛

  • (2014.08.09読了)(2013.12.15購入)
    【黒田官兵衛とその周辺】
    吉川英治著の「黒田如水」は、官兵衛が如水を名乗るまえに終わってしまいます。
    この本は、本能寺の変も終わり、柴田勝栄との決戦も終わり、四国征伐も終わり、九州征伐にかかるあたりから始まります。
    官兵衛が、九州征伐にかかるころは、秀吉は、家康をどうやって従わせるかに苦悶しておりました。妹を家康の嫁に押しこみ、母を妹に会いに行かせるということで、やっと家康は、秀吉に従う決心をしたので、秀吉も九州にやってくることができました。
    秀長率いる黒田勢で決着が尽きそうでしたが、秀長は、秀吉に花を持たせるために官兵衛を止めます。あまり、力量を示す過ぎるのは、秀吉に用心されてしまうので、いけないということのようです。
    この頃から、秀吉は、三成を重用し、官兵衛は遠ざけているような雰囲気です。
    九州が平定されると、次は、小田原の北条征伐ということになります。
    北条も、最終的には、官兵衛の軍師としての働きで、決着を見ます。
    国内が平定されると、秀吉は、朝鮮出兵にふみきります。
    朝鮮でも、官兵衛と三成はうまく折り合いが付けられません。官兵衛は、勝手に帰国してしまい秀吉の怒りを買いますが、息子の長政に免じて許されます。
    秀吉亡き後は、官兵衛は、家康に加担しますが、動くのは、息子の長政の方です。
    関ヶ原の合戦のときは、長政が家康のために闘いますが、官兵衛は、九州の三成に加担する側を切り取りしだいにしようとしますが、関ヶ原が一日で決着したために、果たせなかったようです。
    ところで、秀吉の失敗は、三成を重用したことにあるのでしょうか?
    三成は、秀吉の意を汲んで秀吉の望むところを最大限実現させるために働いたのでしょうから、秀吉にとっては、三成は満足のいく部下であり、満足のいく人生だったのかもしれません。

    【目次】
    侠商 島井宗室
    九州征伐
    千慮の一失
    秀次の孤独
    朝鮮再出兵
    次の天下人
    最後の賭け
    あとがき
    解説  磯貝勝太郎

    ●信長(37頁)
    今の言葉を使えば信長は、「政財癒着」を嫌った。かれの政治は潔癖である。文化人としては商人を近付けたが、金を儲ける存在としては近付けなかった。まして、自分がそれを悪用しようとは考えなかった。収賄を行い、請託を約束するなどということは信長の生涯には微塵もない。
    ●キリスタン(76頁)
    ここで一つ不思議なことがある。それは、九州征伐が終った後、黒田如水がキリスタンとなったことだ。洗礼を受けて、ドン・シメオンの名をもらった。何のために、突然如水がキリスタン信者になったのだろうか。
    「かれには海外貿易の野望があった。滑らかに貿易を行うためには、キリスタンになった方が得策だと思ったのだろう」
    といわれている。
    ●朝鮮侵略(83頁)
    何のための侵略なのか、今で十分でないか、平和裡に交流していれば、彼の国のすぐれた文物もどんどん日本に入ってくる。またこっちのいい品物も向こうで活用される。それ以上の何を望むのか。
    ●如水の功績(228頁)
    秀吉の中国攻めを成功させたのもまだ小寺家に身を置いていた如水の功績だ。特に高松城の水攻めは、如水が進言した。明智光秀が織田信長を殺した時も、策を弄して毛利方と和睦し、秀吉をすぐ上方に反転させたのも如水だ。
    その後の賤ヶ岳の合戦や、小田原攻めの調略など、秀吉の功績といわれる合戦の影には、必ず黒田如水がいた。如水こそ、秀吉を天下人に押し上げて行く道程での最大の功労者のはずである。
    ●古着を売る(278頁)
    「如水公は、自分がお召しになった古着や足袋を部下にお売りになる」
    ●ケチと倹約(280頁)
    「ケチと倹約は違うぞ。おまえたちは同じだと考えている。ケチというのは、溜めこんだ金を自分のためにしか使わないもののことだ。倹約というのは、人のため、天下のために使うことだ。」
    ●福岡と博多(306頁)
    「新しくつくった福崎の城下町は福岡として、商人町である博多は以前どおり博多のままでよろしいかと思う」

    ☆関連図書(既読)
    「軍師官兵衛(一)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2013.11.30
    「軍師官兵衛(二)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.03.20
    「軍師官兵衛(三)」前川洋一作・青木邦子著、NHK出版、2014.07.10
    「軍師の境遇」松本清張著、角川文庫、1987.07.25
    「黒田如水」吉川英治著、講談社文庫、1989.11.11
    「信長の棺」加藤廣著、日本経済新聞社、2005.05.24
    「集中講義 織田信長」小和田哲男著、新潮文庫、2006.06.01
    「秀吉神話をくつがえす」藤田達生著、講談社現代新書、2007.09.20
    「豊臣秀長 上」堺屋太一著、文春文庫、1993.04.10
    「豊臣秀長 下」堺屋太一著、文春文庫、1993.04.10
    「巨いなる企て 上」堺屋太一著、毎日新聞社、1980.09.20
    「巨いなる企て 下」堺屋太一著、毎日新聞社、1980.09.20
    「天地人 上」火坂雅志著、NHK出版、2006.09.25
    「天地人 下」火坂雅志著、NHK出版、2006.09.25
    「功名が辻(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1976.03.25
    「功名が辻(二)」司馬遼太郎著、文春文庫、1976.03.25
    「功名が辻(三)」司馬遼太郎著、文春文庫、1976.04.25
    「功名が辻(四)」司馬遼太郎著、文春文庫、1976.04.25
    「春日局」童門冬二著、知的生きかた文庫、1988.06.10
    「琉球王朝記」童門冬二著、三笠書房、1992.10.31
    (2014年8月16日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    「頭が良すぎて、災いする」という事がある―それが黒田如水が“二流の人”と言われる理由である。しかし、この戦国武将は人間関係の危機的状況も強靱な生命力と才幹、ユニークな行動力で切り抜けていった。信長、秀吉、家康の三天下人にどのように仕え、なぜ名参謀、名補佐役と呼ばれるのか?黒田如水(官兵衛)の劇的な生涯を新しい視点で描いた本作品は“良いリーダーとは?”と悩むビジネスマンに多くの示唆を与えてくれる。

  • 播磨灘物語や軍師の門と違う切り口で描かれており、黒田如水の人間臭さが色濃く出ていたようだ。博多商人島井宗室との駆け引きや黒田長政との親子のやり取りは中々良かった。。

  • 黒田如水を知る入門書として面白い

  • 名軍師 黒田如水(官兵衛)の物語。頭脳明晰でありながら、その性格が災いし、そこが人間味を感じさせる。

    リーダーといえども決して万能ではなく、失敗もする。しかし、多くの失敗から世を生き抜く知恵をつけていくのだ、という筆者のあとがきは腑に落ちた。
    作中、何度も如水の「業」について描かれるが、如水を通じて作者の伝えたいことが届いてくるような小説だった。

  • うっかりしすぎる如水さんが楽しめる一冊。この著者の描く人物はみんなどこか憎めず、ユニークな表現が多い気がする。

  • 私の先祖は黒田藩らしいので黒田如水の事が知りたくなった

  • 元々 黒田官兵衛孝高については詳しくない。増して隠居後の如水となると 号の名くらいは知っていても そもそも一体どうして急に隠居を決め込んだのかについてさえ 何の知識ももたずに過ごしてきた。あんなに明晰な頭脳をもった人が まだ充分働けそうなのに……と その「明晰な頭脳」こそが彼の宿痾だったことを知ったのは 竹中半兵衛を学ぶようになってからである。この物語は私が初めて特に触れる官兵衛であり 題名通り隠居後の姿を描いたものだから その現役時代については未だ疎いということになる。

    物語は 新本拠地となった筑前(福岡県)福崎の地名を 一族の故地:備前(岡山県)福岡の再興をかけて「福岡」に改めたい如水と それに伴い博多の地名までもが失われるのを嫌う博多商人:島井宗室との対立で幕を開ける。細々と詳細が語られる訳ではないが この豪毅な商人気質と 処世から離れること叶わない武士の鋭い眼光とは 時に反撥し時に共鳴し合いながら 作品の根底に終章まで横たわって存在する。一風変わったメインテーマではあるが 私は素直に如水の足跡として読み進めた。
    処世術で言うなら きっと細川藤孝(幽斎)や藤堂高虎の方が巧みだっただろう。勿論いつの時代でも世渡り上手な人というのは 半ばやっかみを含んだ冷たい視線を世間から浴びるものだけれど 如水の場合は常に自ら蒔いた種で窮地に追い込まれて居たように映る。だが 同時に彼は打たれ強い。現役時代の一年近い獄中体験は 彼の身から健康を奪った代わり 魂には強靱な生命力を授けたに違いない。そこから生まれる不屈の精神 それが無かったら たとえ有り余る知謀があっても生きて活かすことは出来ない。官兵衛を真に支えてきたのは この不屈の精神だったように想う。
    隠居後の官兵衛 すなわち如水の最大の山場は やはり関ヶ原合戦の混乱に乗じて目論んだ九州征服だろう。不屈の精神が見せた乾坤一擲である。中央で悶着している間に 東軍として九州の西軍勢力を成敗し 勢いを駆って中国地方に上陸 毛利領を平らげ 天下人への餞としようというのだから 殆ど “空き巣狙い” だ。何しろ加藤清正の勢力以外 九州は悉く西軍に与して主力不在なのである。更には「天下人への餞」などと言うのは建前で 如水の本心は西軍勝利を願っている。西軍が勝てば 大将の石田三成に合戦後の各家を統べる力量は無い。その時こそ 己が天下を目指すのだ と。
    が 残すは島津家の薩摩のみとなったところで 呆気なく関ヶ原合戦は終わってしまう。二度とは巡らぬだろう如水最大の好機も そして野望も共に潰える。たったの一日で天下分目の大決戦が東軍勝利で終わったことに落胆したのは 我らが上田城の眞田昌幸公だけではなかった訳である。冒頭にて如水と激論を交わした博多商人:宗室も 戦乱の波の内に気骨と気概とを失い やがて逝く。
    だが 総てを悟った如水は寧ろ爽やかで在る。宗室とその精神の死によって勝負がつかず終いとなっていた地名についても 福崎は福岡に・博多は博多のまま という謂わば妥協案が採られる。如水にしてみれば 相手(に気概)無くしては勝負も何もあったものではないという処だが 私の眼には漸く宿痾を克服したかのように潔かった。そんな眼差しを支持するかのように 如水辞世の句が作品の幕を引く:
    「おもいおく 言の葉なくてついに行く 道はまよわじ なるにまかせて」
    ――大往生だと思う。

  • 4094035311  318p 1999・1・1 初版1刷

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

歴史作家。東京都知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任。退職後作家活動に専念。人間管理と組織の実学を歴史の中に再確認し、小説・ノンフィクションの分野に新境地を拓く。『上杉鷹山』『小説徳川吉宗』など著書は300冊を優に越える。

「2023年 『マジメと非マジメの間で』 で使われていた紹介文から引用しています。」

童門冬二の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×