- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094067132
作品紹介・あらすじ
竹宮惠子の大ヒット自伝が、ついに文庫化!
石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、
上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。
のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。
当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。
そして現在、教育者として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。
1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発して、
少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が、
「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。
漫画ファンはもちろん、そうではない読者からも
感動の声が続々と寄せられ、
朝日、読売、毎日など各紙書評や
各種SNSで大反響だった単行本が、ついに文庫化。
カラーイラスト増ページ、「文庫刊行によせて」を収録。
感想・レビュー・書評
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表紙のジルベールが半端なく美しい。単行本で出たときは、購入するのを躊躇ったくらいだった(苦笑)。文庫本は意を決して購入した。サンキュータツオ氏のあとがきの最初の一文は、「これほどシビれる読後感を抱くことはなかなかない」。思わず膝をたたいていまった。全くそのとおりだった。
この本は主に竹宮先生のデビュー間もない頃から、代表作(問題作?衝撃作?)「風と木の詩」の連載時あたりまでの自叙伝。萩尾望都先生の才能へ嫉妬したり、「風と木の詩」の掲載を熱望し画策する自分を赤裸々に書いている。これを読んでいて竹宮先生は、マンガに対する「情熱」と「冷静」を併せ持ち、マンガ学部の教員に向いているなと感じた。
ちなみに「地球へ…」は、月刊マンガ少年連載時にリアルタイムで読んでいて、別冊総集編も全巻持っている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
竹宮惠子の自伝エッセイがついに文庫に!自伝というのは大袈裟かもしれない。ここに記されているのは1970年、二十歳で上京して、増山法恵と出逢い、大泉サロンでの萩尾望都との同居の2年間、別離、さまざまな葛藤を経て、どうしても書きたかった『風と木の歌』の連載を勝ち取るまでの僅か6年間のエピソード。それにしてもたった6年と思えないほど濃く、そしてそんな彼女たちが皆20代前半の若さだったことに改めて驚く。
まだ少女マンガの創世記というべき時代に、今や大御所と呼ばれる人たちがまだ若く才能に満ち溢れ、雑誌ごとに群雄割拠の戦国時代のように、それぞれの理想の漫画、そしてそれを描く自由を得るために戦っているさまは、なんとも胸アツ。彼女たちのが戦ってくれたおかげで自分たちはずっとハイクオリティで革新的な作品を当然のように享受できる環境に恵まれたのだなあ。ありがたや。
10代の頃読み漁った少女マンガは、確実に自分の人生を豊かにしてくれたし、人生における大切なことの大半を私は少女マンガから学んだと言っても過言ではないと思っている。そんな中でも私にとっての二大巨頭は萩尾望都と竹宮惠子で(呼び捨ても失礼な気がするのでここからはいっそモー様とけーこたんで・笑)ゆえにけして不仲とかではなく、仲間でありライバルでもあるがゆえの天才モー様へのけーこたんの壮絶な敗北意識、劣等感が、ここまでストレートに書かれていることに驚いた。
うまくいえないし想像だけど、モー様はモー様で、けーこたんへの複雑な感情(尊敬と憧れ、裏返しのコンプレックス)は、あったんじゃなかろうかと思う。お二人はキャラ的に正反対だし、内省的でもの静かながらきっと頑固なところもあるモー様は、けーこたんのバイタリティ、行動力、目標にむかってパワフルにつきすすみ、編集者と喧嘩も辞さない真っ直ぐさなど、きっと眩しく思われていたんじゃなかろうか。まさか自分の存在が相手をそこまで追い詰めているとは思わず、知ったときはきっとモー様も悲しかったろう。
編集Yさんが、モー様の作品を絶賛し別格扱いすることもまた、けーこたんには辛かったのだろうけど、第三者から見ると、それをはっきり口に出すあたり、けーこたんは「ライバルがいたほうが張り切るタイプ」と認識され、あおられていただけのようにも見える。優等生の姉ばかり可愛がる父親の愛情を得ようともがく妹キャラ的な。でもお父さんは実は妹のほうが心配なんだよね、みたいな。だから風木コミックス最終巻どうするか揉めたときに最終的にYさんがとった行動には読んでて涙が出ました。そう、あの巻だけ、めっちゃ分厚かったの今も覚えてる。
増山さんは増山さんで、博学博識、プロデューサー的見識を持ちながらも、ご本人はきっと天才作家二人を目の前に「自分はクリエイターではない、それをサポートする側だ」という立場を自覚することはとても複雑な葛藤があったのでは、と勝手に思う。彼女自身が原作者だった『変奏曲』シリーズの、ウォルフ=モー様、エドナン=けーこたん、ボブ=増山さんに置き換えると関係性がしっくりくるような気がした。
風木を表舞台で連載するために、まずはアンケート1位を!というくだりは手に汗にぎった。『ファラオの墓』にそんな裏話があったなんて。(余談だけどスネフェルは本当に魅力的な悪役だと思う。個人的にはサリオよりずっと好きだ!)そしてモー様のエッセイ『思い出を切りぬくとき』を読んだときには、『トーマの心臓』はアンケート最下位で危うく打ち切りになるところだったという事実に驚いたけれど、おそらくこれは同時期の話で、モー様も順風満帆ではなく、もしかしたらスランプ脱出したけーこたんを羨ましく思われていたかもしれない。
そうしてついに連載にこぎつけた風木。少女マンガ創成・革命期の舞台裏、作家の葛藤と成長、いろんなものが詰まっていて本当に胸アツな1冊だった。今とても風木を再読したい。 -
今や少女漫画は、60代80代になった大人をも満足させられる芸術の一部門になっているが、竹宮さんがデビューした頃はまだ、“女子供のモノ”と少年漫画に比べて少し下に見られる分野だった。
かく言う私も、中学生になると、お決まりハッピーエンドの少女漫画に興味を失い、少年漫画を主に読むようになった。
それゆえ、竹宮さんをはじめとする人たちによって、少女漫画界に革命が起きていることも知らず、『風と木の詩』は後から人に勧められて読んだのだった。
今、市民権を得ているBLは、『風と木の詩』で竹宮さんが描きたかったものとは少し違うような気もするが、『風と木の詩』無くしてはあり得なかった、というのは確かだと思う。
駆け出しの頃、こなし切れないほどの作品を抱えてついにパンク、困った編集者たちに「この子どうしよう」と話し合われるところから始まる。
それが、『風と木の詩』の掲載が認められる頃のことになると、「仕事をきちんとこなし、その中身に責任が持てたことは、自立することにつながった」と書かれている。
そこまでの長い道のりが、この作品には主に語られている。
七転八倒のスランプの日々、頭の固い編集者との戦いも描かれるが、読み終えてみると意外なほどに客観的に書かれた印象で、何かを成し遂げた人にとっては、苦しかった思い出も、今の自分にとっては必要な栄養だったと自覚しているように思えた。
ストーリーを書き慣れている人だからか、小説のように読みやすかった。
この本の中で、同業者の萩尾 望都さんはひときわ大きな存在感をもって描かれている。
大いなる親しみと共感がありながらも、彼女の才能への羨望、嫉妬が竹宮さんを苦しめた。
物語的に言えば、最大のライバルであり、乗り越えるべき壁だった。
もう一人。
初期の頃から竹宮さん、萩尾さんと寄り添い、大いなる芸術の知識とセンスを持ち、いつも的確で、時には毒舌とも言える口調でアドバイスをし続けた、増山法恵(ますやまのりえ)さん。
後々まで竹宮さんのマネージャー兼プロデューサーのような立場でともに歩み続けた。
長く支えてくれた担当の編集さんたちにも、合わせて感謝の気持ちが述べられている。
同時代の人として名前が挙がる漫画家の人たちももちろん、竹宮さんの成長の糧となり、少女漫画界の殻を破って革命を成し遂げた大きな協力者であったのだと思う。 -
『一度きりの大泉の話』を読んだので、こちらも読まなければフェアじゃないと思い、読む。
やっぱり竹宮さんは賢くて情熱的な人だなと思う。
萩尾さんの本でもアシスタントに対する注文が非常に的確だったとあったが、この本を読んで納得した。漫画だけでなくあらゆる芸術作品をきちんと研究・分析し、それをどう漫画の表現に活かすかを考え抜いてきた人だと思う。だから大学で教えるというのも向いていた。
徳島大学に行っていたというのも、当時の世間の常識(女の子は学歴は必要ない、親元から通える学校に行くのが当然)を考えると、相当頭が良かったのだと思う。
この本はスランプに陥りながらも『ファラオの墓』を経て、代表作『風と木の詩』を生み出すまでの過程を丁寧に描いている。大泉サロンの見取り図もあり、当時の様子を想像しやすい。
ヨーロッパ旅行の様子も詳しく、外国の情報を得る手段が圧倒的に少なかったあの時代、若い漫画家たちがヨーロッパ文化にいかに刺戟を受けたかがリアルに伝わってきた。また、たかが少女マンガ、と考えている人が多かったのに、いかにリアルに描くかにこれほどこだわっていたことに胸が熱くなった。
当時の少女マンガの編集者は(もちろん出版社のトップも)全て男性で、「女の子はこんなのが好きなんでしょ」という思い込みのもとに作られていたこともよくわかった。そこに「革命を起こす」(自分たちが描きたいもの、読者が本当に読みたいものを描く)ことを意識してやったのは増山さんと竹宮さんだった。萩尾さんも革命的ではあったが、意識的に行ったわけではない。(なのに萩尾さんの方が先に革新的な作品で評価されたことは、竹宮さんを苦しめた。)
『風と木の詩』の連載が決まったあとはすぐに「大学で教えるということ」になっており、24年間は省略されている。
ここが、ちょっとな…と思った。
大泉サロンが解散したのは仕方ないと思う。ゴッホとゴーギャンじゃなくても、才能のある作家が同居するというのは無理があったのだ。萩尾さんを傷つけてしまったことも自覚しているようだし、そこはもうそっとしておいてあげたい。
しかし、増山さんについては、竹宮さんはきちんと書き残す義務があるのではないかな。
言動はきつかったけれど、まさにミューズであり、彼女が竹宮さんに与えたインスピレーションは多大だった。忠告は的確で、美意識の高さ、教養の深さは目を見張るものがあった。何より少年愛を描くという困難を竹宮さんが成し遂げられたのは増山さんがいたからだと思う。
しかし、マンガのプロデューサーという仕事自体が当時は存在せず、彼女の立場は公式には認められなかった。収入だって契約してないとすれば竹宮さんの意識だけにかかっているわけで、それは心許ないことだっただろう。
そして増山さんは亡くなっているのだから、竹宮さんは増山さんと別れる(実際には亡くなる前に蜜月が終わっていたとしても)までを書くべきだったのではないかな、と。でないと増山さんが浮かばれないと思う。
三人の中で、ただ一人(自分の、と言える)作品を残せていない増山さんの気持ちはどうだったのだろう、と思わずにはいられない。
もともと萩尾さんのペンフレンドだった増山さんと竹宮さんが出会い、増山さんの家のすぐそばで竹宮さんと萩尾さんが暮らし、そこに名だたる少女マンガ家たちが集ったというのは本当に奇跡だと思う。
また、上原きみ子みたいな王道の少女マンガ(今となっては古く感じる)がどのように描かれていたのかもよくわかった。
少女マンガの歴史的資料としても貴重な本だと思う。 -
「大泉」の死によせて、竹宮惠子は壮麗な墓へ美しい花を手向けるように語るけれど、萩尾望都はいまだ埋葬も叶わぬその死体と暮らしていると悲痛に告げる。
わたしは10代からの萩尾望都の大ファンであるけれども彼女たちが少女漫画雑誌の表紙を飾っていたころの世代ではない後追いファンで、『一度きりの大泉の話』の読後、補論として『少年の名はジルベール』を読んだ。
非常に整然とした面白い回顧録だった。「頭がよくそつのない何でもできる人」という著者への評価が腑に落ちる。 -
萩尾望都派だけど竹宮恵子の名に反応してしまうのは、やはりどちらも読み漁った世代だからなのか。デビュー前後のこと、代表作秘話、「大泉サロン」での繋がりなど、これまで知らなかった知りたかったいろんなことを興味深く読んだ。あのときこうなったのはそういうことだったのかーとか(ただコミックス追っかけ派なので雑誌連載中のことはよく知らない)。
後半、風木の最終巻の辺りがちょっと駆け足で、いくつか物足りない部分もあったけど、創作する人にはとても大事なことが書いてあると思う。望都サマの本も探そう。