海炭市叙景 (小学館文庫 さ 9-1)

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094085563

感想・レビュー・書評

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  • 著者と私は同年生まれ。同じ國學院大學卒。ただし著者は3年遅れて大学入学(哲学科だからただの浪人とは違う?)なので実際に大学生として被っているのは1年間。学科も違うので接触はなかったはず。まあ私はその後職員として勤めていたので学内ですれ違ったことぐらいはあったかも。芥川賞候補の小説家としても残念ながら知らなかった。名前を知ったのは再評価されて映画がつくられた10年前ぐらい。
    この本は昨年末に所沢に行ったときに古本まつりで購入したもの。どうも最近は「純文学」系を読む気がしないのでしばらく放置(^^;)。今回巣ごもり期間でようやく読む気になったもの。連作短編集ということで何とか読み切った。発表時に読んでいればまた違ったのだろうが、古稀に読むにはどうなのだろう。それでも叙景として切り取られた人々の姿は乾いた抒情とでも言ったものを感じさせる。
    この作品が書かれた1980年代後半(あるいは90年代はじめだったか?)には当時函館市に住んでいた知り合いを訪ねて家族で一週間ほど滞在したことがある。そんな思い出もちょっと懐かしい。とはいえこちらは観光メインだったけど。
    もし著者が41歳で自殺していなければ、院友会などで会う機会もあったかもしれない。古稀の著者はこの作品にどういう思いを持っただろうか?

  • (01)
    現在形で描かれた現代の物語たちで、舞台は比較的大きな地方都市に一定している。18の物語たちには、それぞれ数人の人物が登場し、なぜいまこの舞台にいるのかという背景や、あるいは、この場所にどのように流れ着いたのかという履歴を自ら語るものたちでもあるが、彼女ら彼らへに対する作者の位置は、揺れ動いている。登場人物を通じて語ることもあり、人物を離れて語ることもある。
    18の物語は正月から初夏までの連続的な約半年に設定されている。物語たちの間には10日間ほどの開きが予想される。作者は登場する物語の主体間を揺動しながら(*02)、時間をじわじわと、それでも次々と進めている。
    起こることがあり、起こらないことがある。起こりそうで、起こらないことがある。
    例えば、第1話の兄妹は、もしかすると18編の短編の中で最も印象的かもしれない。読者が冒頭から素直に読み進めれば、最後まで彼女と彼の姿に引きずられる。妹は、彼女の小さな物語の中では、結局、兄の死を知ることはなく、「知る」ことは起こらずに締めくくられる。死の予感だけが残されて最初の短編は終わる。読者が兄の死を知るのは、次の物語が語られる船上であって、そこにはある婚約者たちという別の人物たちが別の事象を物語っている。そして、最初の短編の妹が主体としてまた語りはじめることは2度とない。
    例えば、物語の中ではコンテナはいつまでも届かない、ありったけを注ぎ込んだ最後の馬券が当たることもはずれることもない、プラネタリウムの職員が妻を殴り倒すこともない。起こらない事ばかりの中で起こっていることもある。爪は裂けた、酒を飲み暴走した男は捕まった、朝野球チームの二人は少しだけ仲直りをした。
    ここに予感されるのは、この海炭市(*03)に起こり、起こりつつあり、起ころうとしている、膨大な事象たちである。舞台の「市」がどのような経緯でそのような現在の風景を現わしているかについても作者は描いている。「市」は、これらの事象が起こったことの痕跡が積み重なった舞台でもあり、これから起ころうとすることの舞台ともなっている。この「市」にあるサービスや産業を組み立てている、個別の事象のありようが、この作品では、問題的に、そして寸止めでもあるように、叙景として現されている。

    (02)
    作者は、人物たちの間を漂流する一方で、ある定まった視点から「市」を観察している人物たちもいる。「週末」に登場する路面電車の運転手は、移動しつつであるが、およそ定まった路線を走る電車の運転席から「市」を観測し続けている。彼の現在の観測は、過去の事象や事情をも見透かしている。あるいは墓を観測する女性事務員が「ここにある半島」に登場し、「ネコを抱いた婆さん」は、立ちのきを拒否した豚屋から産業道路を見続け、「昂った夜」では空港のレストランから旅客を眺める女性が、そして「衛生的生活」では職業安定所のカウンターごしに職業が不安な人々と接し続けた男が描かれる。
    彼女ら彼らの定点は、移動する人物たちとの対比として、また、作者の定まらない視点との比較として、興味深い。あまり動かないもの、留まろうとするもの、いつも同じところを動いているものたちは、「動くもの」とひとくちにいっても、それらの運動が描く風景が様々であることを告げている。動く動機も様々で、貧しさや豊かさなどの経済、出会いや別れなどの感情、老いや若げなどの経年など、いろいろであるが、それらの留まりを含めた動きの総体が「市」であり、また動きの過去と未来の軌跡も「市」を構成していることは、先の叙景においても述べたことであるが、ことのほかこの作品では重視されている。

    (03)
    それにしても「首都」は本作のなかで、独特な地位にある。海炭市という「市」との関係として、牽引力や排斥力をもって登場人物たちを動かしている。国家は解消され、ただ「首都」だけが「市」を動かしているようでもある。

  • 解説:福間健二、川本三郎

  • 海炭市に暮らす人々の姿を18の短編で綴っている。炭鉱が閉鎖され、変わりゆく街、全体に暗めの印象だが、多くの登場人物の姿を、とても丁寧に描いている。この小説の季節が冬と春で、続編として、残りの夏と秋の構想があったが、作者が亡くなってしまい、完結せず。

  • 著者の故郷である函館市をモデルにした「海炭市」に住む
    人々を描いた群像劇。

    連作短編集の形式で、海に囲まれた北国の街を舞台に静かに
    営まれる人々の生活を優しく淡々と描いている。

    登場する人々の大半は、いわゆる「負け組」というカテゴリー
    に分類されるだろう人々。その悲惨なところが客観的に冷静に
    描かれているのに、読後感は包み込まれるようにとても暖かい。

    読んでよかったと素直に思える一冊。

  •  佐藤泰志は1990年に41歳で自殺してしまった作家。この『海炭市叙景』は彼の遺作であり絶筆にあたる。自らの生まれ故郷でもある函館市をモデルとした架空の街「海炭(かいたん)市」を舞台に、そこに生きる無名の庶民たちの人生をスケッチしていく連作短編だ。
     映画化されたのを機に、文庫化・再刊がなったもの。

     冬と春の季節を描いた短編18編からなるが、本来は全36編になる構想だったという。残り半分で描かれるはずだった海炭市の夏と秋の物語は、佐藤の死によって幻に終わった。

     私は今回初読。地味だが、たいへんよい小説だった。
     佐藤が本作の範としたのは、シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』(1919年)であるらしい。米オハイオ州の架空のスモールタウン「ワインズバーグ」を舞台に、そこに生きる老若男女の人生の哀歓を活写した同作は、連作短編の嚆矢でもある。

     ・・・・・・と、知ったふうなことを書いているが、恥ずかしながら私は『ワインズバーグ・オハイオ』を読んだことがない(これを機に読んでみよう)。私が本書を読んで思い出したのは、むしろピート・ハミルの『ニューヨーク・スケッチブック』である。

     この『海炭市叙景』はバブル経済真っ只中の時期に書かれたものたが、海炭市はバブルの繁栄から取り残された寂れた地方都市として描かれている。各編の主人公となるのも、その大半は、いまなら「負け組」に分類されるであろう貧しい庶民だ。
     だからこそ、発表当時よりもいまのほうが、作品の中の空気と時代の空気が見事にシンクロしている。作者の没後20年を経た今年になって映画化されたのも、一つにはそのためだろう。

     全18編は玉石混淆で、印象に残らないものもあるが、何編かは私の心を深く打った。
     いちばん気に入ったのは、路面電車のベテラン運転士のある一日を描いた「週末」。結婚したひとり娘に、もうすぐ初めての子どもが産まれる。そのことを気にかけながら、彼はいつもどおり電車を運転する。その仕事の様子と彼の心に去来するものを、佐藤は静謐な筆致で描いていく。
     たったそれだけの話で、ドラマティックな出来事など何も起こらないのに、なんと深く胸に迫ることか。普通の人々の人生の1ページ――ありふれてはいるが、当人にとっては特別な一日の輝きが、鮮やかな一閃で切り取られている。

    《終点に行ったら、病院に電話を入れる。無事、産れていることを祈る。産れていたら、半日、休みを貰ってもいい。いや、貰おう。自分の新しい一日なのだ。家内にとっても敏子にとっても、洋二にとっても、彼の老父にとっても。
     列島中にある一つの街の中で、彼は一九五五年から電車に乗り続けてきた。今日の彼は、そのどの日よりも、あの夏祭りの花に埋まったミス・海炭市の娘さんを乗せる時よりも、数倍も注意をおこたらない。》
     
     どこにでもある地方の寂れた街の、どこにでもいる庶民の人生の1ページを、作者は愛おしむように文章に刻みつけている。

    《この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛しくなるのではないか。この小説にはそういう力がある。》

     川本三郎さんが解説でそのように言うとおり、名作だと思う。

  • 未完なのが残念。後半の作品では希望(諦念のなかの、だけど)を感じさせるだけに残念。
    解説で『ワインズバーグ・オハイオ』との関連を指摘しているけれども、納得。郊外文学とでも言うべきジャンルがあるのかもな。
    ふと、ビリー・ジョエルの『アレンタウン』を思い出したり。

    再購入2012/07/22JPN350
    処分日2014/09/20

  • 「海炭市」という架空の地方都市を舞台とした18の短編集。好景気に沸く「首都」の狂乱とは対象的に、主産業であった炭鉱と漁業が斜陽となった海炭市の叙情を18つの人間模様を添えて描く。閉塞感漂う街で人々が哀切を抱えながら日々を営む姿が印象的だ。各々の話に際立ったドラマめいたものも結論めいたものもない。息苦しさと諦めと縋る微かな希望がそこにある。端的に、詩的に、多少の粘度を含みつつ、ただただ淡々と時間が流れる。

    本作品は秋冬をメインとした18編であるが、本当は春夏の季節を描いたものを含む全36編になるはずであった。次作を描く前に、著者の佐藤氏は自らの命を断ってしまった。本書を読むと非常に惜しい才能を亡くしたんだなと哀惜の念に耐えない。

  • 悲しみ、喜び、絶望、そして希望

  • オススメいただいた1冊。北海道の南の端っこの地方都市の80年代ぐらいがモデルな話。
    それぞれがそれぞれの思いを抱えて仕事をしている話。
    季節が感じられるぐらい、もうちょっと集中して読みたかったな。
    2016/7/10読了

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著者プロフィール

1949-1990。北海道・函館生まれ。高校時代より小説を書き始める。81年、「きみの鳥はうたえる」で芥川賞候補になり、以降三回、同賞候補に。89年、『そこのみにて光輝く』で三島賞候補になる。90年、自死。

「2011年 『大きなハードルと小さなハードル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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