カムイ伝講義: カムイ伝のむこうに広がる江戸時代を読み解く (単行本)
- 小学館 (2008年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
- / ISBN・EAN: 9784098401130
作品紹介・あらすじ
江戸時代研究の第一人者である田中優子氏は、2006年度、自らが受け持つ法政大学社会学部3年生の江戸時代研究授業の教科書として、白土三平のコミック作品であるカムイ伝を使う講座『カムイ伝から見る江戸時代』を開講し、現在も続けている。「『カムイ伝』は江戸時代を舞台にしながら、その向こうに近現代の格差・階級社会を見ていた。白土三平はカムイ伝を描きながら21世紀の日本を見通していた」というのが著者の視点です。カムイ伝を、白土史観を今という時代にもう一度読む意味も、この単行本を通じて問い、訴えかけられたらと考えています。
感想・レビュー・書評
-
思っていた江戸時代とは全然違った。
2008年発行なのだけれど、今からでもまだ間に合うだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
実はカムイ伝を読んだことがない。
“ひとり ひとり カムイ”というフレーズが印象的な主題歌のアニメ「忍風カムイ外伝」は小学生のころ再放送でよくやってたので見ていた。疾走感あふれる画面や乾いたストーリーは大人のアニメとして今でも充分放送に耐えうる高クオリティの作品と思うが。
おっと、話題がそれたけど、劇画未見の私でもこの本は興味深く読めた。
この本はカムイ伝という劇画作品を論じるものではなく、あくまでカムイ伝を借りて江戸時代の社会の実像に迫っている。
「カムイ伝は穢多の記述が衝撃的で、その印象がひとり歩きしてしまったふしがある。」一般的に、穢多を「被差別民」としての受け身の側面で書いたものだけが目につくが、皮革を扱う「職能集団」として当時の社会から必要不可欠とされていたという能動的な側面にも焦点をあて、加差別と被差別という大きなテーマの前で隠れがちな本来的な姿を示してくれている。
同じ切り口で農民、武士の各階級の姿にも迫っている。
江戸期の農民を著者は研究の結果、「百姓と呼ばれることに誇りを持ち、その名のとおりじつに多様で、一人の人間にいくつもの技量(わざ)があり、自治的な村落経営をおこない、権力とわたりあって自らにふさわしい生活を獲得しようとする、そういう知恵者たち」と位置付けている。
江戸時代の社会階層を既成の固定化された見方だけで捉えていては、階層や格差といった見た目のワクに目を奪われ、そこで思考が止まり、実は社会的なワクや制約の中でもしたたかに生き、カムイのようにワクを飛び越えさえしたような「教科書に載らない歴史」は見えない。
階層や格差が人間社会で生きる以上避け得ないものとしても、それらのワクを軽くはみ出し、超越するような人間の力の可能性を信じたい。
それは現代社会に生きる私たちのあり方や考え方にも通じるが、江戸時代の社会とカムイ伝にそのヒントを著者は見出している。
「いまもカムイはどこかに潜んでいる」-巻頭のこの言葉にそれが集約されている。
(2012/2/12) -
2021.08―読了
-
白土三平のマンガ「カムイ伝」「カムイ外伝」を教材とし、
当時の江戸の暮らし─特に農民や非人、穢多の暮らしへと
誘う本。これを読むと我々が思っている江戸時代史という
ものがいかに表層しかなぞっていないかということがよく
わかる。本の最後数十ページがこの本の一番肝心要のところ
だろう。最後まできちんと読んで欲しい本であった。 -
江戸時代は、世界史上まれにみる平和な時代で、地方の村々の自治やら、江戸などでは庶民文化の繁栄を謳歌した時代といわれるようになった。ではあの1970年前後のころに大ヒットした白土三平の劇画『カムイ伝』の百姓一揆の世界は何だったかということになるのだが、
この本によると『カムイ伝』は、江戸時代初期の17世紀の大阪周辺の和泉国のある近郊農村を舞台にした、ないしヒントにしたものらしい。まだ戦国浪人もあぶれていて大河川付替などの開発ラッシュの時代である。「平和な江戸時代」とは18世紀から19世紀初期をいうのだった。
江戸時代は、農地の年貢を除いた税制一般についてはまるで研究が進んでいないのが実情とも書かれてあった。
この本の後半は文体も全く異なり、二名の共著にすべきだったということが、後書きでほのめかされていた。
田中優子『カムイ伝講義』2008 小学館 -
実在の江戸時代と比較検証する真面目な一冊です
-
購入してから、ほぼ1年間「積読」状態であったが、この度ようやく読了。「積読」も効果絶大。あの時に購入していなければ、読むことがなかっただろうから。実に優れた良書である。しかも、その元になった『カムイ伝』が、これほど雄大で緻密な構造を持っていたことを、本書によって知ることができた。『カムイ伝』は江戸の日本ばかりか、当時の世界ともリンクしているし、それはまた現代の我々の問題でもある。
-
僕がこの本に出会ったのはとある町の古本屋で、今回この記事を書くために再読していると、当時のことがありありと思い出されてきて、少し複雑な気持ちになりました。カムイはやはり、今も我々の近くにいます。
僕がこの本に出会うきっかけとなったのは2009年に仕事の関係で一ヶ月ほど東京に滞在していた時に貪り読んでいた白戸三平の『カムイ伝 全集』がきっかけでした。本編のカムイ伝と平行してとある古本屋でこれを見つけたのがきっかけで、今回記事を書くために再読してあんまりここでは触れませんが、そのときにあったさまざまな出来事があって、少し複雑な気持ちになってしまいました。
カムイ伝については不朽の名作であることは当然こととして前から読もう読もうと思っていたけれども、なかなか読めずじまいで、仕事の合間合間に暇な日がはさまれていて、偶然、近くの図書館に『カムイ伝全集』を揃えてあるところがあって、この機会だから読んでみたいと思っていたので手にして読んでみることにしました。
その内容は衝撃的でした。漫画という表現媒体を通してここまで差別や階級闘争を徹底して描けるものなのかと。そしてその合間合間に詳細に描かれる人々の生活や産業、商業にかかわるさまざまな『知恵』にも深く言及されていて、僕は打ちのめされたことを覚えています。しかも何十年も前の作品であるという事実も僕にはとても信じられませんでした。当然、今以上に検閲も激しかったはずである。
そして、僕が驚いたのが今日の格差社会のことを暗示するかのような『お上』とのすさまじいまでの階級闘争が描かれてあったことでした。この本の基になったものは大学の講義としてまとめられたもので、百姓がただ単に農作業に従じていたわけでもなく、蚕を育てて糸を作っていたり、商人と提携して流通の経路を広げようとしたり、一揆によって、自分たちの意見を『上』に通そうとするなどの多様な『生き方』をこの本を読んで理解を深めることが出来ました。
マンガの本編を読んだあとだとさらに理解は深まるかと思いますが、先に読んでそれからマンガを読んでも、面白いかと思われます。 -
「カムイ伝」が大学講義の教材として使われています。江戸時代を考える上で、カムイ伝に描写されている民俗や文化が非常に参考になり、私たちが一般的に抱いている階級社会、鎖国、町民文化といったイメージと異なった世界が見えてきます。
江戸時代は士農工商に分かれ、さらに穢多・非人といった被差別民がいたと言われています。でも、これらは差別というよりは職能で分かれていた意味合いが強く、当時は動物の皮革を武具のために使っていたために穢多を皮革職人として区別していた事情があります。また非人も、死んだ牛馬を解体する重要な役割を担っており、これらの人民の役割は他の階級にとって不可侵なものだったといいます。
同様に、江戸時代もっとも鉄砲を保有していたのは農民だと言われており、獣害対策や冬季の狩猟に使われていたといいます。一揆や強訴によって迫る農民に対してあくまで平和的に解決しようとする武士というなんとも矛盾した関係が描かれており、太平によって非生産階級となってしまった武士の弱体化が見られます。
江戸時代は、着物を中心に文化的な発展が見られた時代です。それまでは麻や絹が中心だった布織物に対して、中国から綿花が輸入されるようになります。その綿花を取り仕切っていたのがオランダであり、やがて中国からインドに綿花の生産国が移るに連れて、日本国内においても洒落たデザインの綿織物が出回るようになります。
国内では金山・銀山をはじめとした鉱物資源開発が進められ、幕府はこれらの鉱物資源を直轄地として支配しながら貿易を長崎に制限することで、綿製品の輸入を一手に管理することになります。一方で各藩は、自国領内での綿花栽培を奨励し、幕府からの綿製品による経済的な圧迫から逃れようとします。
つまり、日本の国内政治も西欧による大航海時代や産業革命の影響から無縁ではなく、むしろ鎖国によって情報統制することで幕府がグローバル化を上手く国内支配に繋げていたことが分かります。明治維新はむしろ国内の鉱物資源枯渇による購買力減少が原因であり、産業の高度化の必要に迫られた歴史的帰結と考えることができます。
このような歴史を振り返るにつけ、物質的なグローバル化から金融的なグローバル化へと変貌を遂げている現代の国際社会においても、同様のケースが起こっていることが分かります。つまり、護送船団方式によって守られた日本の第二次産業を中心とした労働集約的な産業構造が限界を迎えており、金融や情報の分野でまた産業の高度化の必要に迫られています。
このような時代において、一般大衆はどのように自分たちの身を守っていたのでしょうか。それは、生活に必要な最低限の衣食住を内製化し、サツマイモのような飢饉対策の作物を栽培し、漁業技術を発達させて、森林からの恵みによって生き延びたのです。
グローバル化社会において、農村回帰や第一次産業振興といった分野に注目が集まるのは、当たり前なのかもしれませんね。 -
やっと読み終えた。
法政大学での授業を再現したものゆえに若者へのメッセージと捉えうるところがチラホラ。
「生」、裏返しての「死」、「自由」、「選択」などの全体としてのテーマとともに、「資格とは」「夢とは」などを問うてくる。
いまの学生には少し重いかも知れないが、大学で学ぶこととはなにかを考える一助になるので、高校生にも読んでもらいたい1冊である。