あとがきに「わたしが惚れた悪態を一人でも多くの方々にお引き合わせしたい」とあるように、蒐集した悪態見本市という感じで楽しい。
まとまっているし、落語や歌舞伎からの引用であればその情景の説明も端的。
この悪態のここがクールだという著者のツッコミもあり楽しく読めた。
「悪態には、擬声語・擬態語のように、意味より音声の響きに重きをおかれる一面があります。もともと言葉は意味だけでなく、音声そのものが大きな力となります」p,4
内容だけでなく、発声の響きにも情報が詰まっている。発声でも手話でも筆談でも、対話でこそその人の個性が出てくる。役者とかはそういう意味でも役の個性を表現し魂を吹き込むんだなあ。
「甘金さんが多いと、寄席にいてもテレビで見ていても、なんだかげっそりします。一種の堕落だと感じます」p,84
甘金とは落語家の隠語でよく笑う客のこと。
ゲラなので寄席に行くときは気をつけよう。
一種の堕落だと感じます。って鋭くて毅然としている。好き。
井上ひさし、高村光太郎、林芙美子、深尾須磨子に見る悪態も力強く、悪態の魅力を堪能する。
悪態をつくことは抵抗であり、批判だ。
批判意見に対して悪口だと非難する者がいるらしいが、批判と人を貶める罵詈雑言の区別がつかないのか。
茨木のり子の「日本語を耕すひと」という巻末の小文も非常に読み応えがある。
同人誌に誘われた際、「目ざす詩の方向は違うように思われたが、日本語に対する感覚に信頼できるものがあって、その一点でつながってゆけるだろうと」言う感じがきっかけとなったと。p,272
「日本語に対する感覚に信頼できるものがあって」も、「その一点でつながってゆけるだろう」も、素朴な言葉の連なりだけれど、こんなに読み応えがある。素朴だからこそか。詩だけでなく鋭く温かい文章を書かれることを知る。
引用し尽くせないほど、全文がよかった。