- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101063058
感想・レビュー・書評
-
あすなろ忌
1953年の作品。
明日は檜になろう“あすなろう。
若い頃何かしらの感銘を受けて、いつか再読しようと持ち続けた一冊。
親と離れて祖母と二人、小さな村の蔵で暮らしていた少年、鮎太の恋心と成長の物語。
この少年の設定から、だいぶ本人に近いように思う。
以下は、覚え書き
⚪︎深い深い雪の中で
「しろばんば」と同時期。
明日は檜になろうと一生懸命考えている木。
永久に檜にはなれない。
伊豆山の雪の中、あすなろの木の下で若い男女
の心中事件。女は、鮎太の祖母の姪。時折、
同居していた。男は、鮎太に勉強の必要を教え
た大学生。この章の印象が強い。
⚪︎寒月がかかれば
ここに出てくる少女が読んだ鮎太の歌
寒月ガカカレバ キミヲシヌブカナ
アシタカヤマノ フモトニ住マウ
歌のごとく 愛鷹山のふもとに井上靖文学館が
建てられている。存命中に建てられ、井上靖も
たびたび訪れたようだ。しばらく行ってないけ
れど、大きくはないが、林の中の素敵な建物。
⚪︎張ろう水の面
このあたりから青年。大学生となり、未亡人
へ憧れを抱いたり。それを避けて九州へ行った
り。
⚪︎春の狐火
大学生→兵隊→新聞記者
⚪︎勝敗
遊軍記者として活動
⚪︎星の植民地
戦後の混乱期
一人の男性の寂しい幼児期から真面目な少年期、反抗的な青年期、戦争、敗戦。その時代に気になる女性をそれぞれ登場させる。
実は記憶が、、違う^ ^。
路傍の石とか真実一路とかその辺と混じってしまっていたかも。そのうち、他のも読みます。
-
作者の自伝小説『しろばんば』を読んでいると、これも自伝小説でその続きなのかと思いがちですが、著者のいくつかの実体験を活かした創作です(『しろばんば』に連なる続編は『夏草冬濤』『北の海』)。
タイトルの「あすなろ」は、あすは檜になろうと思いつつ、永久に檜になることが出来ない。それで「翌檜(あすなろ)」という名が付けられた、檜に似た木をモチーフにしています。
この物語は、主人公の少年期〜青年期〜働き盛りの壮年期までの人生を、戦前から戦後にかけて6部構成で描いています。そして、会話の中で「あすなろ」にちなみ、檜になれた人、なれなかった人を論じていますが、印象的なのが、3部目の「貴方は何になろうとも思っていらっしゃらない」と主人公が揶揄されるところ。翌檜でさえ目標があるのにと言わんばかりの発言を、憧れの女性から面と向かって言われているのに、まったく堪えていない。夢中だったと言えばそれまでですが、次の4部で、そのホの字の憑き物が落ちたのは、ある意味転機と言えるでしょう。5部では意図せずにライバルの転機に加担してたりして、人の運命の転機は意外なところにあるものだと思いました。
ラストの6部では、明日は檜になろうとする、終戦から必死に立ち直ろうとする人々の力強さを感じる印象的なエンディングでした。ここで、あえて主人公が檜になれたか言及していませんが、当人が気付いていないだけで、立派な檜だと自分は思うのですが、これを読んだ他の人はいかに?
ところで、6部構成のそれぞれに女性が登場し、その誰もが個性的ですが、「春の狐火」の清香の話しが幻想的でとても良かったです。 -
あすは檜になれるだろうか…なりたい?なれる?なれない?近づいたかな?あの人はどうだろう?そんな揺れ動く感情が根底にある中での日々の生活、恋心。幼少期は特殊だが、一般人はまあこんな感じか。
読んでいると素直な気持ちが持てる。教科書では知る事のできない戦後の生活も興味深い。面白かった。 -
今年は、新潮文庫ロングセラーのTOP20作品を読破する!というのを私の中で目標にしていて、そのうちの一冊です。(あと六冊!)
井上靖さんの「あすなろ物語」、タイトルは聞き覚えがあるけど、内容は全然知らなかった。
血の繋がらない祖母と、土蔵で二人暮らしをしていた梶鮎太という少年が、多感な青春時代を経て新聞記者となり、終戦を迎えるまでの成長の記録が、6つの物語として描かれる。
あすなろ(翌檜)、とは「明日は檜になろう」と願いつつ、願うだけで永遠に檜にはなれない常緑針葉樹のことなんだそう。作中で重要なキーワードとして繰り返し登場する。
その説話の通り、鮎太自身が劣等感を抱えていたり、恋がうまくいかなかったり、決して順風満帆などではなく、ままならないことが続く。
でもそのなかで冴子、雪枝、佐分利信子、清香、良きライバルであった左山町介ら、たくさんの人間との出会いと別れの経験が、彼自身を育み、豊かにしているのだと最後まで読んでそれが確信的に分かる。
あすなろの木は、たしかに檜にはなれない。だけれど、その背丈を、青空に向かってまっすぐにまっすぐに伸ばし続ける姿が私にはみえる気がした。 -
中学時代に出会い、大きな感銘を受けた井上靖の自伝的小説。「しろばんば」もお気に入りだけど、主人公・鮎太の少年時代~壮年時代の歩みを六つの物語として綴った本書も、負けず劣らず好きであった。
自分の中で井上靖ブーム再燃中の今、あのセンシティブな鮎太の軌跡をもう一度辿ってみたいと思い、手に取ってみた。
明日は檜になろうと願いながらも、永遠に檜にはなれない「あすなろ」。鮎太の「あすなろ」っぷりがなかなかに青臭く、時に気恥ずかしくて、それは自分が年を重ねたせいかと思い至る。特に、十代後半の劣等感の大きさ。その逡巡の心理描写が妙にリアルで…自分自身、身に覚えがないとは言いきれず、ちょっとのたうち回りたくなる。
六つの物語のうち、一番好きなのは一話目、天城での少年時代を描いた「深い深い雪の中で」。土蔵での祖母との暮らしといえば、井上靖自伝的作品ではお馴染みの舞台である。お馴染みとわかっていても、毎度心に染みる。
次に好きなのが、駆け出しの新聞記者時代の「春の狐火」。学生時代に出会った年上の女性を未だ引きずり続けるのもまた「あるある」だなと思うのだが、その未練を払拭するきっかけとなった出来事の描写が幻想的で好きだ。うだつの上がらない上司の春さん、その妹で気立てのいい娘の清香。この二人ものキャラクターもよかった。
初めて本書を手に取ったのは、中学の図書館で…旺文社文庫版だった。表紙は天城の山麓だろうか、美しい水彩画だったように記憶している…その表紙絵がとても好きだった。このときは1話しか読んでなかったため、高校時代に新潮文庫版を購入。当時の版の表紙は、確か土蔵と思われる建物。そして今の改版の表紙は、土蔵と柿の木の素朴なイラスト。当初は「え~イメージと違う!」と思っていたけど、再読を終えてみると、その素朴さが一番しっくり来る気がするから不思議だ。再読することで作品に対する印象は変わったけれど、好きであることに変わりはない。絶版になることなく、今も手に入ることがとても有難いなと思える。
若者の悩みや迷いはいつの時代も変わるものではないと思うので、この先も読み継がれていって欲しいと心から思う。 -
何かの本を読んだ折り、宮本輝がこの小説をたしか「初めて読んだ大人の小説」だったか、そのような風に紹介していたのをキッカケに、以来この作者の本をいつか読もうと思っていた。
蔵の中で血の繋がらない祖母と暮らす小学生の鮎太を主人公に、学生から大人へ成長する過程を6人の女性と通じ、6つの章に分けた構成で綴られる。
読み始めは退屈を感じていたが、1章の終わりに衝撃を受け、読み続けるというモチベーションを維持し、読了までに至った。
3章の大学時代は、当時の若者世代の考えがそのままなのかと考えると、現代とは偉い違いだと驚いてしまう。明日は檜になろうと切磋琢磨する学生なんて今は少数でさえいるかどうか…。そして、そんな仲間を妬む主人公や周りの陰湿な気のある人間に失望とも呼べるショックを受けた。この章が自分の中ではある意味で一番考えさせられ悩まされ苦悶した蜜な部分だった。
良い小説であることに間違いはなく、若いうちに読むと何かしら思い得る所はあるだろうが、しかし、今の人たちが興味を示す内容であるかと問われればそれは疑問である。 -
「あすは檜になろう!あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも永久に檜にはなれないんだって!それであすなろと言うのよ」(新潮文庫、47p)井上の自伝的小説といわれているこの作品は、あすなろとしての梶鮎太を時系列で描いていた。特に3-5章の出世する友人やライバルへの葛藤をあらわす「あすなろ」や、第6章の自分を貫く「あすなろ」は自分の価値観とも合わせて、こんなこと考えてしまうなと読み進めていた。でも第6章にあるように、今はあすなろで溢れているけど真のあすなろは?そう考えてみると少ないかもしれない。
-
鮎太が出会う人々みんなが鮎太という人をつくっていく。一人一人の存在が愛しく感じました。
あすは檜になろうと願うがなれない…。何がとは上手く言えないけどこの大きなテーマがやっぱり節々に見えて、切なく、優しい気持ちになりました。
この物語の登場人物たちはみんな何者かになろうとしていますが、鮎太が所々で言うように、そのもがく姿こそが"美しい”。
登場する女性たちみんなが輝いている!そんな人達が鮎太が一生抱えていくことになる寂しさとか愛しさとかそういうものを植え付けていく。良かった…。
鮎太を通して作者の人に対する愛をひしひしと感じることができる、とても心に染みる作品でした。
-
うーん。初・井上靖。
今まで出会ったことのないタイプの作家だなという感想。
「はじめての文学 宮本輝」のあとがきに出てきたから読んだ。「井上靖のあすなろ物語を読んで、人間真っ直ぐに生きなきゃいけない、卑怯じゃいけないな、と感じた」という宮本輝のエピソード。
この本を読んで特別そういう風な感想は覚えませんでした。
【2021.05.02.追記】
そういえば「明日はなろう」というコンセプト?らしいんだよな。でもなんか、ピンと来なかったんだよな。自分の読書力が未熟なせいもあるが、ピンと来ない理由として一個、時代の違いか。今が当時に比べてだいぶ複雑な時代になっているせいで、単純に「明日はなろう」じゃ済まない時代というか、そういう奮闘の仕方だけでは括れなくなっているような気がする。
ブクログを開いたらランキング一位の朝井リョウさんの名前が目に入って、そのあとなんとなく自分のレビューを遡っていて、ふとそんなことを考えました。
朝井リョウさんは『桐島』しか読んだことがないけど、それとこれを例えば並べてみたらもう全然違うじゃない。比べるにはナンセンスかもしれないけど、なんちゅーか、「とにかく勉強!努力!人間性を磨く!」みたいにゴールが単純なのがあすなろで、桐島みたいに何が正解かわかんないまま自分の正解を模索していく、人の目を気にしながら、っていうのと…後者の時代の人間は「本当にそれは檜なのか?」みたいな悩みを抱えて生きてる感じ。あ、そんな話じゃなかったらすいません。あすなろも桐島もうろ覚えで、あくまで喩え話ですよ、これは。
とにかく、「明日はなろう」と言われて素直に「自分も頑張ろう!」とはいかなかった、「そんな目指すものがはっきりしてて羨ましいです」みたいな捻くれた気持ちにちょっとなったよ。今ね。読んだ時はよくわからなかった。
イメージでは、青年くらいまでの話...
イメージでは、青年くらいまでの話で、明日は檜になろうって、感じだった。
真実一路は持久走のやつだよね。
うん。読んで良かったわ。長年の積再読が、減った。
土瓶さんは、頑張って欲しいものです。
もう、なんでもいいやw
寝込んでいた時期がちょうどピッタリだったから、例の亡くなった指名手配犯と間違える説まで一部界隈で出...
もう、なんでもいいやw
寝込んでいた時期がちょうどピッタリだったから、例の亡くなった指名手配犯と間違える説まで一部界隈で出てたわ。
「しろばんば」はたしか読んだはず。
内容?