- Amazon.co.jp ・本 (656ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101104027
作品紹介・あらすじ
放蕩を重ねても、帳尻の合った遊び方をするのが大阪の"ぼんち"。古い暖簾を誇る足袋問屋の一人息子喜久治は「ぼんぼんになったらあかん、ぼんちになりや。男に騙されても女に騙されてはあかん」という死際の父の言葉を金科玉条として生きようと決意する。喜久治の人生修業を中心に、彼を巡る五人の女達、船場商家の厳しい家族制度、特殊な風習を執拗なまでの情熱をこめて描く長編。
感想・レビュー・書評
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読めば面白いんだろうけど、分厚いため、なかなか読み始められなかったが、読み始めたら一気によんでしまった。
大阪船場商家の風習を細かく描写した作品。読みやすく、素晴らしい文章のためどんどん読み進めてしまったが、物語としては船場の制度、花街風俗が主であり、あまり入り込めるほどのものではなく、良質の歴史解説書を読む感じだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
結局人は時代の波の中で生きていくんだな~と改めて思いました。大阪の船場や芸者文化などに重ねて、明治大正昭和と激動の時代。喜久治と5人の女のつきあい方、祖母、母とのかかわり方、今の時代では考えにくいけれど、きっとそれぞれ強い信念のもと、相当な覚悟を決めていたに違いない。男の強さ、女の強さを感じました。もしかしたら、この強さは作者の強さかもしれません。自分がそこにいるかのように感じさせる表現など、山崎豊子の本をもっと読みたくなりました。
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「船場は大阪支中央区の商業地域。かつては問屋や商家が軒を連ねる大阪町人文化の中心地だった。「ぼんち」は、船場の老舗足袋問屋「河内屋」の家に生まれた喜久治の人生を軸に、彼を取り巻く個性豊かな女たちの大正期からの日々を負う。
喜久治の父親は死ぬ前に喜久治に言う。「ぼんちになってや、ぼんぼんはあかん。」ぼんちとは良家のぼんぼんとちがって性根がすわったスケールの大きい男を指す。喜久治はぼんちになれるのか。」
(『いつか君に出会ってほしい本』田村文著 の紹介より) -
面白かった~!
大正から昭和初期の大阪の老舗足袋屋の跡取り息子、喜久治が主人公である。フィクションではあるが、著者の山崎豊子氏は膨大なリサーチをしており、当時の大阪の商人の暮らしぶり、遊び方や価値観、しきたりなどが良く分かった。想像以上にスケールが大きかった。
喜久治が生まれた家は、女系3代の立派な商家で、世代ごとに娘が婿をもらいながらビジネスを育ててきた。女たちは実際には商売をしないが、裏で家を仕切っており、祖母と母が実質支配者である。大金持ちの家に生まれた息子は、10代の頃から派手に女遊びを始める。20代になると一度結婚をして息子を設けるが、嫁は出産後すぐに祖母と母に追い出される。息子は商売に精を出しつつ4人の妾を抱え、それぞれの華やかな生活をサポートし続ける。一方、昔ながらのしきたりに窮屈さも感じ始める。やがて戦争が始まり、家族は派手な暮らしを見直さざるを得なくなる。
当時の艶福家の遊び方はスゴイ。芸者遊びはどれほどお金がかかることか。妾達も、本妻になれないことは最初から承知の上で養ってもらっている。感心したのは、喜久治がちゃんと妾達の面倒を最後まで見続けるということと、彼がビジネスマンとして商品の企画から営業まで有能であるということだ。
大阪弁で繰り広げられる商い。女性の地位。なかなか面白い船場の世界をのぞかせてもらった。 -
1ページ目から映像が浮かびます。
映画を丁寧に読んでいる感じ。
しかし、どの国のいつの時代や!と言いたいくらい異次元。 -
放蕩を重ねてもどこかで人生の帳尻をぴしりと合わせる。豪商の家に生まれ、女系家族に育ったという特異な環境が、主人公を女道楽と散財に浸らせつつ、それ故に遂に新境地に辿り着く。金に糸目をつけない気儘な遊び人の物語は、女たちとの手切れの描写も含め、さっぱりしたラストシーンだった。全編を彩るのは船場商家と花街の独特な風習と文化。商人階級社会のしきたり、御座敷の様子、芸妓の生態など、江戸期から戦前まで受け継がれてきた世界が細々と文章に織り込まれる。言葉遣い一つ一つに大阪の匂いが籠もり、商人の心意気や制度、芸妓の所作や衣装、御座敷の料理や音楽等々、今日どれもが珍しく魅力的で、船場文化を目で味わう事もできる作品。山崎豊子が有名な社会派小説を書くのはまだ先だが、すでに完成度が高く、文体は同じでも、まるで別人が書いたかのよう。やるせなく感じたのは、主人公の特権階級ぶりで、当時まだ身分制に凝り固まった封建社会の名残の強さを窺わせる。ために、あまりに浮世離れした印象はあった。
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久しぶりに読んだ豊子作品、素晴らしすぎる
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市川昆監督の映画ぼんちを観たあとに原作を読んでみた。映画のぼんちよりも、もっとお家はん、御りょうはんの家付き娘の恐ろしさが感じられてよかった。山崎さんは映画ぼんちをみて「主人公はあんな男性ではない」と言ったそうだけど、確かに原作のぼんちは気骨のあるボンボンだった。
大正から昭和初期にかけての大阪船場の大商家に伝わる、しきたりの数々も圧巻だった。そして、現在の浮気不倫と、当時の商家の旦那として妾をもつことの大きな違いは、女性とそういった関係になるということは、その女性の生涯の面倒を最後まで見るという腹をすえたうえでの関係だということ。それぞれに個性的な五人の女性との関係をまっとうしようとするぼんちは、本当に旦那甲斐性のある男だと思った。 -
もはやストーリーがどうこうより、当時の大阪船場の風俗の勉強にすごくなった。ほかにも船場の話はたくさんあるがこの話が一番濃厚。
山崎豊子長編作品はこれで全部制覇したのかな。お疲れ様でした。