- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101116129
作品紹介・あらすじ
樹木を愛でるは心の養い、何よりの財産。父露伴のそんな思いから著者は樹木を感じる大人へと成長した。その木の来し方、行く末に思いを馳せる著者の透徹した眼は、木々の存在の向こうに、人間の業や生死の淵源まで見通す。倒木に着床発芽するえぞ松の倒木更新、娘に買ってやらなかった鉢植えの藤、様相を一変させる縄紋杉の風格……。北は北海道、南は屋久島まで、生命の手触りを写す名随筆。
感想・レビュー・書評
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ひと月ほど前、映画『PERFECT DAYS』を観ました。とてもいい映画でした。役所広司さん演じる平山は、毎日フィルムカメラで木々がつくる"木洩れ陽"を撮り続けます。その一瞬は二度と同じではないと‥。そして平山が読んでいた本が本書でした。
この映画に触発され本書を手にしました。幸田文さん(幸田露伴次女、1990年没)の15篇の随筆集で、92年に単行本が刊行された遺著のようです。ただ、それぞれの初出は1971〜1984と、古いものは半世紀も前の文章ということになります。
草木に心を寄せるのは、心が潤み、感情が動き余韻が残るからと、幸田文さんは記しています。
漠然とではなく、五感を使って木を観て綴られた飾らない文章‥。古さや味気ない印象はまるでなく、むしろ瑞々しさ、自然の奥深さまで見えるように伝わります。樹齢の時間軸からすれば、50年前(の文章)は、"ついさっき"くらいなのでしょうか‥。
倒木更新を始め、引用したい部分が多々あるのは、名随筆たる所以かもしれません。木へ真摯に向き合い、人生を重ね寄り添い描かれた世界は、樹齢千年以上の杉だけの呼名「屋久杉」のように、決して廃れないでしょう。
そこに立っている木の周辺環境・状況にまで思いを巡らせ、木の物語を読み取る幸田文さん。その眼差しは、『PERFECT DAYS』の主人公・平山の、喜びと哀しみに重なるものがありました。繰り返し読みたいと思える一冊でした。 -
幸田文(あや)の15篇からなる随筆集。父は露伴。
樹木に逢って感動したいとの思いから、1971年1月『えぞ松の更新』から、1984年6月『ポプラ』まで、13年半にわたり、北は北海道から南は屋久島まで、実際に見に行って木と触れ合った感想が書かれています。
木は動かないが故に、漠然とただそこに「ある」という感情を抱きがちですが、筆者はそれを「いる」という感情で接している。そのあたりが、木を見に行った先々で会う、木を木材として利用している人たちとの考え方の違いとなっていて、読んでいて興味深かったです(どちらが正しいとか間違っているということではないです)。
内容は、どの随筆も学びが多かったですが、特にハッとしたのが『松 楠 杉』の中で、著者の「野中の一本立の大木は素敵」の発言に対し、植物のことを教えてくれる先生の「すてきと思うのは勝手だが、なぜ一本なのか、そこを少し考えてみなくてはネ」とたしなめられたところ。気付きって大事だなと思いました。
あと、登場する職人さんたちは、木材として利用して生計をたてているので、木をどう有効に利用するかを考えています。真っ直ぐで木目にクセがない利用価値の高い木は切られ、曲がって節くれだらけの木は切られずに長生きする…視点の違いですが、なんだか老荘思想を思い出させますね。
老子「曲(きょく)なれば即(すなわ)ち全(まった)し、枉(ま)がれば則ち直(なお)し、窪(くぼ)めば即ち盈(み)つ」
荘子「直木(ちょくぼく)は先(ま)ず伐(き)られ、甘水(かんせい)は先ず竭(つ)く」 -
筆者が実際に日本各地に出向いての樹々に対する
情感が描かれていて実際に自分も目にしてみたい
気持ちになりました。
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PERFECT DAYSに出てきて気になったので読んでみた。映画の雰囲気と近しく優しくて穏やかさがあった。
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木を愛でる人の優しさに触れながら、筆者の優しさに浸る事ができるエッセイ。素敵な日本語の所々に現代風な言葉があって妙に親近感が湧く。
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「幸田文 木」この字面だけでもう、手に取らずにはいられませんでした。
幸田文さんの名前は知っていても、著書を読んだことはありませんでした。ある時ふとこの本を見かけ、この潔いタイトルだけで引き込まれてしまったのです。
「幸田文 木」。なんとも気持ちがいいこの字面。シンプルで強くはあるけれど、どこかあっけらかんとした軽妙さもある。これが「高橋和巳 石」とかだったらもう、たとえ文庫本でも函入のハードカバー本のような重厚さがあるでしょう(何を言っているんだ?)
様々な木との触れ合いを書き、木のあるがままの尊さや、木のある暮らしへの感動を書いたエッセイです。著者の、木への人並みならない想いが伝わります。
綺麗な文章なのにえらぶったところがなく、読んでいて気持ちのいい文体です。着物の襟はピシとして乱れはないけれど、けして肩がこるほど締め付けてはないといったような、芯のある優しさが文章から感じられます。
なにしろ文章が丁寧なんです。いやに丁寧すぎて細いことをちまちま長たらしく書くのでなくて、そこに無理のない丁寧さ。些細なことを誇張して膨らませたような無理な力や、てらいがありません。
「屋久杉を見に行った」はまだエッセイの題材として見せ所が沢山ありそうですが、「古紙回収に古新聞を出した」というだけのことでここまで丁寧かつ豊かな文を書けるのは、著者の感受性の豊かさによるところでしょう。自らの心の動きを丹念にすくい取り、言葉を紡いで、文章を編んでいます。読後の満足度はとても高くて、「いい本を読んだな」と素直に思えます。
とりわけ好きなエピソードは、著者が幼い娘と植木市に行った時の話です。
著者の父・幸田露伴が財布を著者に託して、孫である著者の娘にこれで好きな木や花を買ってあげなさいと言うのですが、高級な藤の鉢植えをほしがる娘をごまかし、二番目に欲しがった安い山椒の木を著者は買い与える。それを知った露伴が著者を叱りつける場面が描かれているのだけど、もう全文を引用したいくらいに、味わい深いワンシーンなのです。
さすがは文豪・幸田露伴、言葉巧みに理屈ぽく娘を問いつめます。淡々とした口調が活字だと余計に短調に感じられて、露伴の恐ろしさが際立っています。要は、金銭的な卑しさによって子どもの感性の芽を摘んでしまった浅はかな行為を厳しく咎めているのですが、その厳しさの裏に、おさな子の感性を育てることをここまで重要視しているのかという、孫への思いが見えるのです。なぜか読んでいる自分が露伴の孫になったような気分になり、露伴じいちゃんに可愛がられて嬉しいような、くすぐったいような気持ちになりました。
老木となったポプラの木が、立木としてのキャリアを終えてマッチの軸木になっていく様を工場に見に行った話も印象的でした。工場に響く機械音のリズムと、コンベアの上を整列して流れていく軸木を見て、阿波踊りを連想し愉快な気持ちになる著者の可愛らしいこと。高い感受性は自分の人生を楽しくする技能だと教えられたような気持ちです。 -
名木、古樹を巡るエッセイ。情景と心情の描写がとても繊細だった。一つのものを見定めるのにせめて四季4回は見ておかないと話にならない、という基準には深く感心した。今年は桜だけでなく藤棚も見に行きたくなった。
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書店で平積みのラスト1冊になっていて、表紙の緑に目について購入。
レジで店主さんに映画に出ている本らしいと聞いて、ほほう、と。
リアルの書店で買うと、こういう会話で思いがけない情報が得られるのが嬉しい。 -
いい話を聞くというのばずっと減らない福をいただくことだ
したくなります。渋さに憧れる私‥‥(笑)
したくなります。渋さに憧れる私‥‥(笑)