- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101235042
感想・レビュー・書評
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どの章も読みやすく、大人になるとはこういうことさと示してくれるような内容でした。好きな話は、暖炉の火にまつわる章ですね。暖炉がいいというところから始まり、本当の贅沢とはなにかという会話に移り、最後の落ちに至るというものです。薪の燃える音を背景に、筆者を含めた登場人物の声が聞こえてきそうな会話でした。エッセイでもあり、小説でもあり、戯曲でもあるような内容と展開であり、大いに楽しめました。沢木耕太郎さんの著書を読むのはこれが初めてですが、他の著書にも挑戦したくなりました。
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関口良雄の『昔日の客』という渋い装丁のエッセイを読んでいたら、関口さんが登場すると言うエッセイがあるとのことでお借りする。沢木耕太郎はアンソロジーでよんだことしかなかったんだけれど文章もうまいし面白いね。
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かっこいい男といえば、沢木耕太郎である。切れのよい文章、渇いた感性、、、本当に素晴らしい。RPパーカーが好きだとは知らなかった。パーカーってけっこう古い人なんですね。
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山の中で方向を知るにはどうしたらいいかという文章を読んだことがあった。星が出ていたら星で知る。星のないような夜だったらどうするか。木にさわってみればいい、肌のつるつるしている方が南で、苔が生えている方が北だから、というのだ。熊狩りをするアイヌの狩人の智恵であるらしく、同じく山で野宿をする時の焚き火には枯れ木を使わないといったことも記されていた。ヤチダモとかアオダモとかの生木を使っておくと燃え終わっても灰にならう燠になっていて、夜中に目が覚めた時でも最初から火を起こさなくてもすむというのだ。
(P.183-184)
若者は常に退屈している。昭和三十年代の石原慎太郎の小説の登場人物も、常に何か面白いことはないかと叫んでいたような気がするし、四十年代の私だっていつもそう思っていた。退屈で退屈でたまらなかった。すべきことはいくらもあるのに、もっと面白いことはないかと思い続けていた。だから、私はよく街をうろついた。(中略)
「テレビは強制的に貴重な時間を奪う。貴重な、というのは、その時間にすばらしいことができるのに、というのではない。退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。退屈で不安だから、人は何かを考え、作ろうとする。」
(中略)
退屈も捨てたものではないのだ。いや、それどころか、退屈はできる時に深く、徹底的に味わっておくべきなのかもしれないのだ。退屈こそ若者の特権だといえなくもない。
(P. 195-196) -
「暖炉の火って、いいなあ」
と《彼》が言った。
「いいですね」
と私も言った。
文章のひとつひとつが雰囲気があって洒落も感じる。 -
20231224
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沢木耕太郎のエッセイなんてハズレないだろうと思っていたらそうでもなかった。少し穿った見方をすると華やかな芸能人たちとの交友録という感じであまり面白さを感じなかった。
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こんなにも心を奪われる筆致が他の人間によるものだという現実にいつも打ちのめされる。幾度生まれ変わってもこの人になれない。彼の文章は淡々と精緻で、それゆえ酷薄で、何かを書くという行為が暴力的なものだというのがよくわかる。親しい相手について書いているはずなのに、親しさを読者に感じさせない。この人に書かれるのは怖いだろうと思う。
人間らしい熱っぽさや湿っぽさには欠ける淡々とした文章だが、それはけっして彼の存在を読者に意識させないということではない。むしろ、そうして丹念に整形され並べられた言葉たちからは、むせかえるほどに沢木耕太郎という人間の存在を感じる。ところどころに織り交ぜられる謙遜すらも計算づくであることがちらついて見える、自分をどういう人間に見せたいかを意識した文章。そういう自意識の匂い立つような人間のことがどうしようもなく疎ましくて、それでいて惹きつけられてやまない。世界で一番好きな文章を書くひとだと思ってきたが、私は案外このひとが大嫌いなのかもしれない。
好きな声優は音楽を作るひとでもあり、文章を書くひとでもあるが、彼の書く詞や綴る言葉にも同じことを思う。自分のつくるものをあまねく認められたい欲望と、自分を満足させられさえすれば良いという開き直りとの狭間でうまれるものは、鈍く暗く美しい光を放つ。そこに美しさを見出すかは好みだろうが、私自身がそういうものの間でふらふらしているから、同じ気配を感じるものに吸い寄せられてしまうらしい。 -
「沢木耕太郎」のエッセイ『バーボン・ストリート』を読みました。
『王の闇』、『人の砂漠』に続き、「沢木耕太郎」作品です。
-----story-------------
ある時はひと気のない深夜のバーの片隅で、またある日は人いきれのする賑やかな飲み屋で、グラス片手に飲み仲間と語り合った話の数々―スポーツ新聞の文章作法、ハードボイルド、テレビと映画、賭け事にジョークetc…。
そんな話題を素材にして、ニュージャーナリズムの旗手が、バーボングラスのよく似合う15編の洒落たエッセイに仕立てました。
講談社エッセイ賞受賞。
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スポーツノンフィクションの『王の闇』やルポルタージュの『人の砂漠』とは違い、本作はエッセイなので、少し軽い気持ちで読むことができましたね。
以下の15篇が収録されています。
■奇妙なワシ
■死んじまってうれしいぜ
■クレイジー・クレイジー
■わからない
■ポケットはからっぽ
■風が見えたら
■そんなに熱くはないけれど
■運のつき
■シンデレラ・ボーイ
■彼の声 彼の顔
■角ずれの音が聞こえる
■退屈の効用
■寅、 寅、 寅
■ぼくも散歩と古本がすき
■トウモロコシ畑からの贈物
『王の闇』や『人の砂漠』で採り上げられていた人物等に関する内容も含まれており、読んだ直後だったので理解しやすかったこともありますが、
『ポケットはからっぽ』で綴られていた「トム・ソーヤ」のポケットの話題については、自分も子どもの頃に憧れていたことや、
『ぼくも散歩と古本がすき』で綴られていた散歩と古本屋巡りについては、自分もそんな生活に憧れていることもあり、
共感できる部分が多々あって、とても愉しく読むことができました。
印象に残ったのは以下の内容かなぁ。
『ポケットはからっぽ』
≪人はいつ青年でなくなるのか≫というテーマに対する「沢木耕太郎」の答え。
「年齢でも結婚でもなく、生命保険に加入した時なのではあるまいか。
命のカタを誰かに残さなければならない、残したい、と思った時に彼は青年期を終えることになる。」
そっかー、そんな考え方もあるよなぁ… と素直に感じた。
『風が見えたら』
東京国際女子マラソンで敗れた「ゴーマン美智子」のコメント。
「レースの翌日、「ゴーマン美智子」は新聞を見て愕然としたという。
優勝者の「ジョイス・スミス」の談話の中に、沿道の観客があれほど多かったにもかかわらず、まったく「気がつかなかった」と語っている部分があったからだ。
そうなのだ、勝つためにはそれくらいでなくてはいけないのだ。
周囲の風景に気持ちが奪われていた自分が負けるのは当然なのだ。
そういえば、以前はレース中にあのような雑念が湧いたことは一度もなかった。
自分は負けるべくして負けたのだ。」
ラグビーしていても一緒ですよね。
周りが見えないくらい集中できたときは良いプレーができていると思います。
他の競技にも通じることなんでしょうね。
『寅、 寅、 寅』
『鞍馬天狗』が娯楽作品(≠芸術作品)として扱われ賞から抹殺された際の「嵐寛寿郎」のコメント。
「ゲイジュツ、関係おまへんおや。
そらまあ、ベスト・テンやら賞をとる役者もおらな、カツドウシャシンは成り立っていきまへん。」
「そら五十年も役者やってきて、胸を張っていえることなど、かけらもおまへんけどな。
お客を楽しませてきた、これだけはまちがいないことダ。
鞍馬天狗やらむっつり右門、子供だましを飽きもせいでと、エライさんはおっしゃるやろう。
だがそれだけ長くつづいた、これはお客に指示されたからや、ちがいまっかいな?
勲章、もらわないでよろし。」
この心意気、好きです。 -
実に巧いエッセイ集だと思った。沢木耕太郎はどの宗派にも属さない一匹狼の書き手として、世に存在する紋切り型を斬りミクロな出来事に対して自分なりの筋を通した意見を綴る。その筆致はさながらホームズのような名探偵/アームチェア・ディテクティブ的……と言えば大げさかつトンチンカンだろうか。だが、彼のスタイルは現代の高等遊民的な、微妙に軽さと重さがブレンドされた色合いを備えているように思う。読み返し、彼の批評家/クリティックとしての資質の侮れなさを知った気がした。この著者がどう「現代」を捉えているか知りたくさせられる
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エッセイというには少し重めですが、あくまで少しで、まぁ気楽に読めました。
でもエッセイって本当に時代を感じさせるなぁ。 -
【推薦者】
スポーツ文化学部 スポーツ国際学科教員 山口 和之
【学生へのメッセージ】
1980年代、多くの若者は世界に憧れ、わずかな旅費と共に旅立ちました。当時バックパッカーにとってバイブルだったのが、著者の「ミッドナイトエクスプレス(深夜特急)」です。同著者による、旅をテーマにしたエッセーが紹介本です。本書のページを繰ると旅への想いが募ります。
▼配架・貸出状況
https://opac.nittai.ac.jp/carinopaclink.htm?OAL=SB00539313 -
山口瞳は本書解説にて、本書が《直木賞の候補作品よりも遥かに小説になっている》と語っている。
まさに本書は小説を読むように軽やかに頁を繰るエッセイだ。
私が印象に残っているのは、
・井上陽水の宮沢賢治に対するアンサーソング
・人がいつ青年でなくなるのかという見解
・古本屋はどんな店でも貌をもつ
という話だ。
特に、作家という職業の方が古本屋に対してどのような思いを持っているのか気になっていたので、大変面白く感じた。 -
洒落ていて、適度に硬さがある知的な文章。こんな文章、書いてみたい。題材は様々だが、どれも興味深い。ちょっとした話が、いろいろな作品と繋がっている。おもしろい!ビールがほとんどの私だが、これからはトウモロコシ畑からの贈り物、バーボンを飲んでみようとも思った。
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記録。
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いろんなテーマからなる15編のエッセイ集で、当時の講談社エッセイ賞受賞作。時々こういうのを読むと著者がどういう人なのか知れていい機会。読みながらなんでこのタイトルなの?って不思議に思ってたけど、最後を読んでそういうことかぁって納得。
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何気ない内容ですが、読んでいる時は、とても心地好い気分になれます。沢木耕太郎さんの文章力の為せる技ですね。
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山王書房について言及がある『ぼくは散歩と古本がすき』のために読んだ。最初にその章を読んで、改めて最初から通読。自分が好きな文章ではないと思いならが読み始めたのだが、野呂邦暢さんが長崎に戻る前に『ブールデル彫刻写真集』を購入する下りでうるっときてしまった。更に『角ずれの音が聞こえる』の最後の一文を読んだ時にぞわっと鳥肌が立った。これはずるいと思うオチなのだが、随筆で鳥肌が立ったのは初めて。
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「彼らの流儀」を読んだときほどではなかったが(もともと狙っているところがちがうのだから当たり前ではあるが)、やはり面白く読んだ。この人のエッセイは自分の文章に酔っていそうで、酔っていないところがいい。
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2018/1/26-1/31
30年前に書いた沢木耕太郎のエッセイ。まだ楽しむには読書量も知識も浅く、めちゃくちゃ苦しかったー!数行読んで眠くなるのは、知らない固有名詞から来るものなのか、ただ単に俺の頭が悪すぎるのか、とにかく先に進めず何度もやめてしまおうかと思った。
井上陽水の話にはグッと来た。ワカンナイを聞こう。
悲しいかな、この時の作者は自分より年下なわけで、これだけ生きていく過程で人間というのは変わるものなのだなと感じた。
もっともっと読書をしよう。 -
いろいろなよもやま話が詰まった本。
ルポライターだけあってすごく鋭い。
1番面白かったのは井上陽水の歌の話。
まさかワカンナイという歌はこんないきさつでできたのか。
ほんとバーボンとよく合いそうな話が多い。 -
軽く読んでいけるエッセイ集。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を元に「ワカンナイ」という曲を作った井上陽水の話が面白かったのと、退屈を真に味わうことができるのは若者の特権という説が印象に残っている。 -
沢木耕太郎さん好きなんですが、私自身、格闘技や競馬といった男性好み(?)のスポーツに興味がないので、そういう話になるといつも親しいけれど恋愛感情は持っていない異性が熱く語ってるのを聞き流すかの如く右から左へと流し読みしてしまうのです。でもとっても楽しそうに熱く語っているので、「好きなんだなぁ」ってなんかこちらまで嬉しくなってくるし、本や映画やお酒なんかの話もこれでもかと言う程豊かに拡げていくから、その教養の広さと深さに感嘆する。数ある作のうちでも著者と対話してるような気持にさせてくれる本。挿絵も素敵。【キーワードメモ】トム・ソーヤ―のポケット/井上陽水と宮沢賢治/有楽座/古本屋の「白っぽい本」
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ネタは若干古い所もあるがためになったり、感心させられるところの多い名エッセイですね。アスリートインタビューから記事になるときの記者の創作は本当だろうか?いずれにしても笑えました。
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2015
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『深夜特急』の沢木耕太郎による、1984年発表のエッセイ集(1989年文庫化)。1985年の第1回講談社エッセイ賞を受賞している。
沢木氏は、本作品発表時点で既に、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞(1979年)、『一瞬の夏』で新田次郎文学賞(1982年)を受賞しており、「ニュー・ジャーナリズムの旗手」と注目を集めつつあった。
沢木氏は、この後もノンフィクション作品のほか多数のエッセイを発表していくが、他の著者のものと最も異なるのは、ひとつのテーマを持ったエッセイの中で複数のエピソードが絶妙な絡みをもって語られることであろう。最初に提示されたエピソードから、いつの間にか魔法の絨毯にでも乗ったように他のエピソードへ飛んでいくのだが、最後には自然にまた元の場所へ立ち戻っている。
テーマは、スポーツ、映画、ハードボイルド、ギャンブル。。。
バーボンでほろ酔いになるような、なんとも言えない心地よさを味わえる作品である。
(2013年1月了) -
かっこいい、シブい作品でした。昭和のにおいを感じつつも新鮮な気持ちで読了。最後の古本屋さんのエッセイでは様々な思いが過りました。2年半前に他界した叔父が古本屋を営んでいて、遊びに行くといろんな本(もちろん商品)を見せてくれた。私の読書好きは叔父からもらった古本が始まりといっても過言でないでしょう。すばらしい本を教えてくれた伯父との別れの日は、涙が止まらなかったな。。。と、話は逸れましたが。。。図書館で借りた本でしたので、購入して熟読してみたいと思いました。
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読もう読もうと思ってはや十数年w
ようやく読みました。
こういうのを読んでいると男って本当に馬鹿だなあ、と思う。
自分の流儀とかあり方とか行動様式とかそういうものにこだわって自分を縛ってるところがあるなあ、と。
そういう不合理な生き物なんだなあ、と。
昨今、自分も含めそういうところを合理的に割り切るようになっていてそれはそれでいいんだけど、なんとなく味気なくなっているのでありますなあ。
ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった。
男がピカピカの気障でいられた -
ハワイへの往復便で読む。
お酒を飲みながら著者が友人・知人と語った話をもとにかかれた小粋なエッセイ集。
読みやすく、著者の独特の目線で見る様々な物事がとても楽しめた。
また、どこかの旅のお供にしたい一冊。