- Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101249186
感想・レビュー・書評
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平成17年に発行されたエッセイだけど、全く色褪せることなく響いてきた。
特に医療を読み解く言葉の緩和ケアの件。
人生の完成とは、どういうものを指すのか。それは死を間近にしたときに、少年が大事なガラス玉をポケットに忍ばせておくように抱く小さな願い事を叶えることであると。緩和ケアはその最後の可能性を医療者が背中を押してあげる行為だという。
医療者だけではない。最期を看取る家族においても、死に直面する人の小さな願いを叶えることが人生の完成への支援であるように思える。それは看取る側の家族がこうしてあげたい、と願うものではない。その人自身が抱く願い。それを丁寧に聞き取り寄り添うことが大事だと。なるほどそうか、と深く考えさせられた。
また巻末の「意味のある偶然」を体験した後の著者の言葉。
自分の境遇を幸福か不幸かという次元で色分けする意識はない。あるのは内面の成熟か未成熟かという意識。内面に未成熟なところがあってもあせることなく、人生の終点に到達する頃に少しでも成熟度が増していればよしとしよう。
自分の人生にレッテルを貼ることなく、また成熟してないから全てダメ、無意味な人生だったと全か無か思考にとらわれることなく、成熟度を増していくその過程を楽しもうとする著者の人生に対する向き合い方が現れた言葉である。
こんなふうに生きよう。自分も心からそう思える言葉に出会うことができた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書はノンフィクション作家である著者が平成10年前後に書いたエッセイを集めた書籍(平成14年刊行)の文庫版である
著者は、以前は事件事故に関する分野で活躍していたが、その後終末医療というか死生観に関する分野でも著作活動を行っている。
本作は大見出しにも、
・生きるための表現
・生命の言葉を生み出す死
・自分のための言葉
などが並び、著者の活動分野のうち、死生観、特に言葉との関係が綴られている。
> 人の死が避けられなくなった時、自分が他の誰でもない自分として生きたかどうか、その証を必死になって求める。その個性化の道を完成させるのは死である。ユングは個性化の完成を自己実現と呼ん。それゆえに、死は人生の目標と位置づけたのだ。
人は必ず死ぬ。それまでにどのように生きていくのか。そんなことを考えさせられる作品でした。 -
この本から感じたことを簡潔にまとめるのは難しいけれど、死ということは人生の完成への成長に向かったひとつの動きということが感じられた。
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前半は死生観の本です。私が中高年になって本を読み始めたのは 教養と死生観を得るためなので 今の私にはピッタリの本です
後半は医療現場の本です。2.5人称は 専門家としてのクライアントとの中間的距離感を言っていると思うのですが、わかりやすい表現だと感じました。その通りだと思います
たくさんのいい本も紹介されていて、ブックリストに追加ました -
資料ID: C0026643
配架場所: 本館2F文庫書架 -
タイトルと内容がうまく噛み合ってない気がする。が、心を通わせる2人称と冷静客観的な3人称の中間、2.5人称のスタンス。非合理的な「意味のある偶然」を受け止める人生・・・など、考えさせられました。
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2・3年前に買っていた本です。1冊の本としては、本当に久しぶりに手にとる柳田邦男氏の著作です。
柳田氏の著作を集中的に読んだのは学生時代ですから、もう30年以上前になります。「事実の時代に」に始まる一連のシリーズのころです。
当時の柳田氏の考え方における「事実」を扱う姿勢やそれを伝える「ノンフィクション」という手法に対する捉え方は、現時点では少なからず変化しているのですが、本書に採録されたいくつもの小文から、そのあたりの背景を垣間見ることができます。柳田氏の位置取りの変化と不変は、大変興味深いものでした。 -
請求記号: 914.6||Y
資料ID: 91051898
配架場所: 工大君に薦める -
情報氾濫の時代に失われつつある2.5人称の視点。11.9.25