手のひらの京 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 2114
感想 : 180
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101266534

作品紹介・あらすじ

京都に生まれ育った奥沢家の三姉妹。長女の綾香はのんびり屋だが、結婚に焦りを感じるお年頃。負けず嫌いの次女、羽依は、入社したばかりの会社で恋愛ざたといけず撃退に忙しい。そして大学院に通う三女の凜は、家族には内緒で新天地を夢見ていた。春の柔らかな空、祇園祭の宵、大文字焼きの経の声、紅葉の山々、夜の嵐山に降る雪。三姉妹の揺れる思いを、京の四季が包みこむ、愛おしい物語。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『京都』にどんなイメージを持っているでしょうか?
    
    “古都”、”世界遺産”、そして”伝統文化”と、『京都』という都市が持つイメージは他の都道府県以上に集約されてくるようなところがあるように思います。このレビューを読んでくださっている皆さんの中にはもちろん『京都』で生まれ育ってという方もいらっしゃるでしょう。しかし、多くの方は修学旅行で行った、旅行でよく行く、といったようにいっ時の滞在場所という位置付けの方が多いのではないかと思います。

    しかし、旅でいっ時滞在するのと、長くその街に暮らすということではそこに見えるものも違ってくると思います。『一つ通りが変わるだけでがらりと変わる町の雰囲気、きっと他の都道府県にはない複雑な京の歴史が絡んだ、なんともいえない閉塞感』、そんな感覚が、そこで生まれ育った者には感じられるという『京都』。それは、『確かに京都は、よく言えば守られてるし、悪く言えば囲まれてる土地』という感覚にも繋がってくるのだと思います。

    この作品は、そんな『京都』で生まれ育ち、今も一つ屋根の下に暮らす三人姉妹の物語。そんな三人姉妹を通して『京都』という街の魅力に触れることのできる物語。そして一方で、『旅行でなら他の土地に行けても、いざ完全に出て行くって決めたときは、簡単にはここから出られへん』という『京都』の街を三人姉妹の姿の向こうに垣間見る物語です。

    『京都の空はどうも柔らかい。頭上に広がる淡い水色に、綿菓子をちぎった雲の一片がふわふわと浮いている』という空を鴨川から見上げるのは主人公の奥沢凛。『春の花の季節が終わったいま、鴨川からすぐ近くの京都府立植物園では』何が見られるのだろうと思い、携帯で『薔薇だ!洋風庭園には約三百種類の薔薇が咲く』と調べて『姉たちを誘って植物園へ行こう』と計画する凛は、『腰の重い綾香姉』と『すぐ忙しぶる羽依ちゃん』のことを思います。そんな時『ハヤシライスの材料、買ってくれた?』とメールが届き、買い物をして帰ると姉の綾香が調理を始めていました。『夕食番は三姉妹で交替制』という奥沢家。『私も主婦として定年を迎えます』と、『父の定年のタイミングでおごそかに切り出した』のが『二度と食事は作らないという母の宣言』でした。そして、『自宅での手料理が当たり前の家庭で育った凜は、外食に憧れて』いたものの、『半年も経たないうちに外食の濃い味に辟易した』という凛と同様に姉たちも同じに考え『当番制の夕食作りがスタートし』ました。しかし、結局長女の綾香に一回三百円の『夕食税』を払って『晩ご飯の用意を代わって』もらうことの多い羽依と凛。そんな凛が自室へと入ると『凜、ちょっと聞いてよ』と、羽依が入ってきました。『ありえなくない?』と付き合っている前原のメールを見せる羽依。『入社式後の新人研修でさっそく彼氏ができた』と喜んで話をしてきたのは『まだ凜の記憶にも新しい三週間前』のこと。相手はなんと『上司の前原智也』で、彼からは『付き合っていることを絶対に社内の人間にもらさないでね』と念を押されたという羽依。『情が無いならさっさと別れたら』と言う凛に『このまま別れたら羽依の名前がすたるわ』と返す羽依。そんな時『凜、羽依、ご飯よぉ』と綾香の声がし、父も一緒の夕食が始まりました。『祇園の歌舞練場に都をどりを観に行ってる』と今日も夕食に不在の母。そんな中、『姉やん、羽依ちゃん、植物園に薔薇を見に行かへん?』と誘う凛に『よろしくない反応』を見せる姉たち。『父さんはさそってくれへんのか?』といきなり訊いてきた父も結局予定が合わず『一人で見てきたらええやないの』と言われた凛は、『みんなに断られて色を失ってしまった』薔薇園ツアーのことを思います。そんな凛は自室に戻って寝転びました。『ここにずっと住み続けたら、私は三十を過ぎても、四十を過ぎても”子ども部屋”にいることになる』と思う凛。『飛び出すきっかけは、自分で作るしかない』と思う凛。そんな凛は大学院を間もなく修了し進路をどうするかに思い悩んでいました。しかし、姉の綾香も羽依もそれぞれの人生でそれぞれの悩みを抱えています。そんな三人姉妹の一年が京都の街の季節感溢れる描写とともに活き活きと描かれていきます。

    『「手のひらの京」は、「細雪」を読んで感動して、その影響を受けて書き始めた作品です』とおっしゃる綿矢りささん。そのお話を伺って私の頭にピン!ときたのは少し前に読んだ三浦しをんさん「あの家に暮らす四人の女」でした。”ざんねんな女たちの、現代版「細雪」”と帯に書かれたその作品。それは、谷崎さんはこんなコミカルな作品は絶対に書かないでしょう!と突っ込みを入れたくなる三浦さんのエッセイの世界と一体化したような独特な世界観の物語でした。一方でこの綿矢さんの作品は、『”姉妹もの”で大阪や東京といった色々な都市を振り返るという手法が素敵』という点から、ご自身の出身地でもある京都を舞台とした三人姉妹の物語が綿矢さんらしさに溢れる比喩の表現を背景に描かれていきます。

    ということで、上記で触れた観点の中から三つを取り上げてみたいと思います。まずは比喩の表現です。綿矢さんというと、「蹴りたい背中」の冒頭の『さびしさは鳴る』という圧巻の表現に、いきなり感じ入ってしまったのが未だに強く印象に残っています。芥川賞作家さんとしての綿矢さんの凄さを垣間見ることができるのがこの独特な比喩表現。そんなこの作品の冒頭は『京都の空はどうも柔らかい』と始まります。『頭上に広がる淡い水色に、綿菓子をちぎった雲の一片がふわふわと浮いている』と続くそんな空を『清々しくも甘い気配に満ちている』と、主人公の凛は鴨川から見上げます。空を形容する時どんな言葉が思い浮かぶでしょうか?”よく晴れ渡った空”、”澄み渡った空”、そして”高い空”といった表現は思い浮かびますが『柔らかい』という感覚は独特です。そんな『空』に対する表現は、その時々の凛の心の有り様を描写するかのように『どこまでも広がる空』、『のんびりした薄い空』といったように幾度か登場します。そんな空のことを『どの土地で見上げようとも、空は世界じゅうで一つにつながっているはずだが、やっぱり周りの景色が違うと、同じ空には見えない』と思う凛。京都から見える空を『柔らかい』と冒頭に語った凛の京都への想い、この比喩表現には、そんな彼女が育った京都という故郷に対する愛着の強さが感じられるようにも思いました。

    次は、この物語の舞台ともなる京都についてです。「細雪」と同じ時期に川端康成さんの「古都」も読んで、『現代の京都で暮らす姉妹ならどんな話になるんだろうと思った』という綿矢さん。そんな綿矢さんはこの作品にこれでもか!という位に、魅力溢れる京都の街の風景を描いていきます。それは、京都に住んでいない人間でも良く知っているようなメジャーなものでもその光と影の部分を必ず対にして登場します。まずは、京都最大の祭りである『祇園祭』です。『だれか連れといっしょに行ってこそ楽しいもの』というその祭りは逆に『運悪くあぶれたら大人しく家に引きこもる』という側面があると書く綿矢さん。そんな場に『なぜいま私はたった一人で祇園祭を目指しているんだろう』と『四条目指して足早に歩』く綾香。単なる背景ではなく物語と一体化した京都が上手く描かれます。また、幾度も登場するのが、京都と言ったら、という有名な川・鴨川です。美しい描写の一方で『夜はやはり恐ろしい』という側面が描かれます。『かつて合戦場であり、死体置き場であり、処刑場であった歴史を、ふとした瞬間に肌で感じ、戦慄する』というその描写。京都に長く暮らす者だからこその長い歴史に基づく感覚が物語に深みを与えてもいきます。そして、そんな京都の描写は、言葉にも登場します。京都出身の綿矢さんだからこその自然な京言葉で満たされた作品ですが、特徴的にこんな言葉も登場します。『母親は語尾に”知らんけど”とつけるのが口ぐせだ』というその言葉。『断定した物言いを避けたがる、いかにも関西風の口ぐせ』というそんな背景を説明した上で以降の母親の会話にこの言葉が度々登場する巧みな演出は、母親の性格が言葉を通じて上手く伝わってきます。そして、最後にご紹介するのが『京都の伝統芸能』と皮肉をもって紹介される『いけず』です。『ほとんど無視に近い反応の薄さや含み笑い、数人でのターゲットをちらちら見ながらの内緒話』によって『ターゲット』を芸術的なほど鮮やかに傷つけるというその行為。『いけずは黙って背中で耐えるものという暗黙のマナーがある』というそんな行為の標的にされる羽依。そんな場面でまさかの行動を取る羽依が描かれていく物語中盤。イベント事だけでなく、こういった人間関係の描写など、この作品が兎にも角にも京都と切っても切り離せない、京都を舞台にしか描けない作品に仕上がっていると感じました。

    そして最後は、この作品が三人姉妹を描いた作品であるということです。姉妹を描いた作品は多々ありますがこの作品では、その三人にランダムに視点を移動させ、その思いの違い、見えている相手と内面の姿を上手く対比させながら描いていきます。『私は、自分のなかにある現代の姉妹像、今を生きる20代初め、20代半ば、30代初めの三人姉妹を書きました』と綿矢さんがおっしゃる通り、同じ一つ屋根の下に暮らす姉妹であっても、その年代によって見えてくるものが違ってくる、そんな視点が上手く描かれていきます。『それぞれ悩みを抱えつつ和気藹々として、本音でぶつかってるけどあまり喧嘩しないという』三人姉妹。その一方で、どこか京都という街に閉塞感を感じ『飛び出すきっかけは、自分で作るしかない』と東京での就職にこだわる凛。『自分のモテに対して自信があ』り強気で鳴らす一方で『学校よりも複雑な力関係、上下関係が働いている』会社の中で『いけず』の対象ともなってしまう羽依。そして、長女として頼り甲斐のある側面を見せながらも『子どもを作らなきゃ、でもその前に結婚しなきゃ』と焦りを隠さない綾香、と三者三様の姉妹の描写は、物語の中から飛び出してリアル世界にその姿を感じるほどに活き活きと描かれていきます。そんな姉妹のやりとりを追っていくのもこの作品の読みどころです。お互いのことを深いところで想いあっている、仲の良い姉妹ならではの気遣いの妙を見せる三人姉妹。そんな”姉妹もの”の面白さを存分に楽しめる、そんな物語でもあるように思いました。

    『少し高いところから見ると本当に街全体が山に埋もれているみたい』という京都の街。そんなイメージが『手のひらに乗っているよう』とおっしゃる綿矢さんならではの比喩表現の魅力満載なこの作品。京都の街、言葉、そして習慣についての描写が単なる物語の背景でなく物語と一体化して雰囲気感豊かに伝わってくるこの作品。そして、年代の微妙に離れた三人姉妹がそれぞれに思い悩む一方で、お互いのことを深く思いやる、そんな姉妹の細やかな感情の機微を感じることのできるこの作品。

    三人姉妹それぞれの目から見える京都の街を通して、京都に始まり京都に終わるという位に、京都を、そして綿矢さんの京都愛を強く感じた、そんな作品でした。

  • 京都に生まれ育った三姉妹。
    父の定年後に母も主婦業を定年すると宣言し、三姉妹交代しての晩ごはん作りから始まる物語は、長女が少し結婚に焦りを感じていたり、次女は自他共に認めるモテ女だというくらい常に恋愛している。
    三女は大学院生だが、就職先は京都を出て…と考えている。

    この三姉妹の性格はバラバラなのに何故か喧嘩もなくお互いに喋らずともわかっている感じなのが、とても心地よかった。
    折々に京都の名所とともに四季の彩りを感じ、静謐で厳かな気分に浸れるのもよかった。

    住めば都ということばもあるけれど、頑なに京都を出ない両親にもっと魅力を教えて…と言いたくなるほど。

    京都は観光というイメージが強くて、移住するという気持ちがおこらないのは、どこかで拒否されるような気がするからだろうか?
    偏見かもしれないが…。
    なぜか、もっと京都を知りたいと思った。


    • workmaさん
      湖永さんの書評を読んで、読みたくなりました
      湖永さんの書評を読んで、読みたくなりました
      2023/10/23
    • 湖永さん
      workmaさん こんにちは。

      三姉妹の三女・凛の京都が好きだからこそ、外から見てみたいという願望が、ある意味羨ましいと感じたのが印象的で...
      workmaさん こんにちは。

      三姉妹の三女・凛の京都が好きだからこそ、外から見てみたいという願望が、ある意味羨ましいと感じたのが印象的でしたが、長女の恋愛の行方や次女のスカッとする物言いも面白かったですよ。
      これでもか、とストレートに伝わってくるのでなくじんわりと京都愛を感じた物語でしたね。
      2023/10/23
    • workmaさん
      ほほぅ…(ФωФ)。さらに読みたくなりました!
      ほほぅ…(ФωФ)。さらに読みたくなりました!
      2023/10/23
  • ずっと読みたかった本だったが、先に鷲田清一さんの『京都の平熱』を読んでいて良かったと思い、おそらく、読む順番が逆であったら、ここまで心動かされるものは無かったのかもしれない。

    というのも、この小説は、京都生まれの「綿矢りさ」さんだからこそ書くことの出来た、内から見た京都に暮らす人々の思いが、そこかしこに詰まっていて、更には、京都ならではの興味深い事柄も面白く書かれており、物語を楽しみながら、京都の知られざる一面も知ることが出来る、京都に焦点を絞った、家族の素晴らしさを教えてくれる、エンタテイメント作品だと思います。

    その京都ならではの事柄を、いくつか書くと・・

    『京都は商売が上手くなった。(略) 和の伝統と今っぽさを織り交ぜた京の雑貨が増えた』

    『昔ながらの町家をカフェやレストランにしたお店も好きで、むき出しの梁を見ながらトマトパスタを食べたりしていると、地元の人間には無かった発想だ、京都を住む場所としてではなく、もっと夢のある歴史深い場所として捉えられる人の視点だと思ったりする』

    『改めて私にとっては海といえば琵琶湖なんやな』

    『自分の故郷に帰ってきたからほっとしてる、だけが理由やない、京都の風に身体を洗われる感覚があるな』

    『京都人なら、どや、やなくて、どうや、やろ』

    『地縛霊っていう言葉があるけど、京都にひっついてるのは“地縛”の方や』

    他にもあげるときりが無いが、京都ならではのクリスマスやお正月に、美しいが夜は恐ろしく感じる鴨川、そして水墨画の世界そのものの、うっすらと雪の積もった夜の渡月橋の上と、その一つ一つの綿矢さんの描写には、京都に対する特別な思いを、細やかに滲ませた印象があり、こうした説得力があるからこそ、物語にもより彩りを与えるのでしょう。

    そんな物語は、京都生まれ同士が結婚した、京都から出たことの無い奥沢家の両親と、それぞれに個性的な三姉妹の一年間のお話であり、三姉妹にスポットを当てつつも、最初は父の定年のタイミングで、「私も主婦として定年を迎えます」と宣言し、二度と食事を作らなくなった母も、なんだかんだ言って、子どもたちを気にかける矛盾さや、三姉妹の長女「綾香」はつぶらな瞳、次女「羽依」はうすい唇、三女「凜」はふっくらした頬と、定年後に穏やかに暮らせるようになってから変化した、母の顔かたちに、三姉妹のそれと似ている部分が現れた事に、確かに繫がっている絆のようなものを感じられた、親子の物語でもあります。

    あっ、もちろん、父の「蛍」も女ばかりの家族に、確かな存在感を持ってます(半径徒歩一時間以内にある神社すべてに初詣に行くのが趣味なのも、京都人ならではなのだろうか)。

    ここからは、三姉妹について、順番に書いていきますが、まずは図書館職員である長女の綾香で、おっとりとした京美人の雰囲気とは別に、子どもを作らなきゃ、でもその前に結婚しなきゃ、といった焦りを感じるようになり、それは、父と母のメールの浴衣姿のツーショット画像に苦笑いするくらいの末期状態だと自覚するほどであったが、とあるきっかけで出会った男性との、瑞々しさがありながらも、胸の内では、あれこれ必要以上の心配を抱いてしまう、けれど、少しずつ冷静な視点でも見られるようになってと、そんな恋なのかどうか分からないところから、少しずつ変化していく思いの過程を、とても繊細に面白く描いており、特に印象的だった台詞は、「なんや、恋愛小説とはえらい違うなぁ」。

    続いて、初社会人で背伸びをしたがるあまりに、計算高い行動をする、次女の羽依で、他のレビュアーさんも書かれている「いけず」は、確かに印象的で、こと悪目立ちを避ける京都の文化のなかで、何一つ周りに遠慮することなく自分のアピールポイントを自慢する羽依は独特で、スカッとするものもありましたが、私が最も印象的だったのは、その後に待っていた、京都の知られざる恐ろしさに比べて、人間のなんと愚かでみみっちい、器の小さきことよと思わせる出来事であり、これをきっかけとして、「いままでどうして人間の本質を見ようともせず、些細な点ばかり見て相手に評価を下していたのだろう」と、自己嫌悪に陥る羽依だが、これはちょっと違うと私は思い、確かに最初はその台詞通りだったのかもしれないけれど、その結果、変わることの出来た羽依と、変わることの出来なかった者との差はあまりに歴然としているのに、そう思えない羽依は、ある意味、自分に対してとても厳しい人なのだろうなと思い、それを経た後のクリスマスのとあるシーンは、ちょっと辛く切ないものがあったが、それでも羽依ならば大丈夫だと思える、したたかさも感じられ、特に印象的だった台詞は、「批判は誰にでもできる、実行に移すのが一番難しい、って年いっても気づいてへん男は出世しいひんね」。


    そして、最後は三女の凜で、私が最も心動かされたのは、彼女の思いでした。

    『いつか京都を発つかもと予感があってからは、この町のどの景色も目に染みる』

    『写真に撮れない故郷の優しい色合いを瞳の奥に、しっかり閉じ込めておきたい』

    大学院に通う凜は、本書に於いて、何度も京都から離れたい思いを吐露しているが、それは京都が嫌いだからではなく、好きの裏返しというと語弊がある気もする、京都人ならではの繊細な一面を垣間見られることが、外からしか京都を見られない私からしたら、何とも悩ましくもどかしいが、本人はあくまで必死であり、その切実な思いは、

    『谷の底で長い年月を経ても未だ風化されず微かに残っている、涙の気配がいまもなお、まるで誰かが泣いているみたいに生々しく部屋全体に広がってゆく』

    『なにかを得るためじゃなく、なにかを失うために。つけた先から足跡が消えてもいい。私の香りはどこにも残らなくていい、存在を消したい。死ぬのとは違う形で、息を吹きかけられたろうそくみたいに消えたい』

    に表れており、これらを読むだけだと、何をそんな大袈裟なと思われるかもしれないが、ここに、生まれてからずっと京都という地で暮らしてきた、凜にとってはこう感じられたという、京都の持つ、数え切れない程ある中の一つの顔を見たような気にさせられて、あくまで理解し合えるのは京都人だけと感じさせる、そんな京都ならではの特別感があるように思われました。

    しかし、だからといって、凜のその京都への思いは、鬱屈としたものだけではなく、それは、広島から凜と同じ大学院に進学した、京都を好いてくれる友達の「未来(みき)」の、外から見た京都を知ったことで、改めて京都の素晴らしさを実感した、その晴れやかな気持ちも印象深い。

    『一つ通りが変わるだけでがらりと変わる町の雰囲気、きっと他の都道府県にはない複雑な京の歴史が絡んだ、なんともいえない閉塞感。京都であり故郷であるこの地に長年いると、決して嫌いではなく好きなのに、もやもやした感情が澱のようにたまってきて、もがくときがある。そんなとき未来の瞳から見た“美しい京都”に触れるとほっとする』

    そんな複雑な思いを抱いていた凜は、自らの努力もあって、ついに東京のとある大手企業へ就職出来る機会を得て、両親に相談するが、そこでの思いもよらぬ全面拒否の反応に、凜は愕然とさせられるとともに、その理由を勘違いされたことに、凜の感情は爆発する。

    『私がつらいのは、京都が嫌いになったから出て行きたいって言ってると思われることやねん』

    不覚にも、この台詞で涙が出てきた私の率直な気持ちとして、おそらく、ずっと京都から出たことのない両親からすれば、出て行く理由がそれしか思い付かなかったのかもしれないが、凜が上記の言葉に抱いた思いというのは、友達の未来のように、改めて外から自分の故郷を眺めたい気持ちもあったのだろうし、好きだけれど、好きだからこそ、感覚的にずっと付き纏っていた、その言葉に出来ないモヤモヤを解消したい思いは、絶対に譲れないと言っているわけであって、凜にとっては、それでも自分の中で最も特別で好きなものである、故郷を否定されたことに、まるで自分自身を否定されたような、そんな絶望感を抱いたからこそ、あれだけの怒りを表明したのだと感じ、その絶望感が我が事のように身体中を駆け巡ったやるせなさに、涙が出たのだと思う。

    タイトルの『手のひらの京(みやこ)』は、凜が紅葉の山を見て感じた、『まるで川に浮いていたのを手のひらでそっと掬いあげたかのような、低い土地に囲まれた私の京(みやこ)』にあると思うが、それはあくまでも、内から見た視点の一つであって、きっと外から眺めれば、その京は違った様相を呈するような気もするし、見方を変えれば、それは、いつまでも誰にも見せずにそっと包んでおきたいと思えるような、かけがえのない素敵な京なのかもしれない。が、それは結局、凜のように、自ら動いてみて実感するしかないのかもしれない。そんな勇気を読み手側にも奮い起こさせる、凜にとって、初めての一歩に至るまでの複雑で繊細な葛藤には、京都ならではの複雑で多様な魅力が潜まれているからこそ、より切なく、京都への思いを新たに呼び起こさせる魅力もあるのだろうと感じました。

    また、その後の展開での、両親の気持ちを推し量った描写や、その胸の内を知ることで感じさせられたことにより、場面こそ違うが、『親と子の関係は年齢とは違う軸で成り立っているのだろう』の一文も印象的で、それは物語の終盤での、奥沢家の家族のあり方からも実感させられた、凜が傷ついたということは、両親も傷ついたことでもあるといった、家族とは、縦ではなく横の繋がりであることに、改めて「親と子の関係とは何か?」ということも考えさせられて、そこには、三姉妹も両親も対等に描ききった、綿矢さんの、京都の家族の物語へのこだわりを感じさせられ、それはきっと、表紙の「今日マチ子」さんの絵のように、時には怖さを感じさせる時もあるけれど、こうして穏やかで、思わずゆったりと座って眺めたくなる、他には無い、京都ならではの屈託のない、取って置きの美しい景色のようなものなんだろうなと思うと、何だか見ていて愛おしくなってきます。

  • 最近気づいた!多分私は、仲の良い3姉妹が出てくる本が好きだ。自分にない状況「3姉妹」に憧れがあるから...?

    このお話ざっくり言えば、3姉妹奥沢家の日常話。淡々とした毎日なのに、どんどん先が読みたくなる。

    そして綿谷さんの本は、この本が初読。様々な感情や状況の表現の仕方に、ほおぉー上手い!(←いやその目線は失礼)と唸ることしきり。京都の「いけず」も入りつつ、笑いも忘れず。
    舞台は観光地京都だけど、暮らしている人しか分からないようなニッチな場所や感想が所々出てきて、観光客とは違う地元の人しか分からない目線が読んでいて面白かった。

    そして私も、京都人じゃないけど言うな〜。
    会話の締めの「........やろ。知らんけど」

  • 京都に生まれ育った三姉妹。
    生い立ちは同じでも 三人それぞれの 性格・生き方・考え方。彼女達の年相応の悩み揺れる想いを 京都の景勝地と四季を贅沢に織り交ぜて書かれている。
    京都の日常を小説にするとは ちょっといけずやわ。京都のこと好きなんだわ感も漂っているし。
    「若草物語」や「細雪」など姉妹を取り上げた小説は 各時代ありますが、現代の姉妹像として惹かれるものがありました。

  • 京都で生まれ育った三人姉妹。彼女たちの日々の生活の中でさざ波のように生じる心の揺れを、京都の四季の移り変わりとともに、丁寧に、繊細に描く。

    長女の綾香は、図書館司書として働く31歳。周囲が次々と結婚し、焦りを感じつつも、過去の恋愛のトラウマにとらわれてなかなか動き出せないでいる。
    次女の羽依は、京都の大手企業に勤める会社員。勝ち気で人目を引く美人の彼女は、うまく立ち回るのが得意でもてるのだが、女性からの反感をまともに受けて啖呵を切ってしまう頑固な不器用さも持ち合わせる。
    三女の凜は、バイオを研究する大学院生。卒業したら京都を出ようと、ひそかに東京の企業への就職活動を進めているが、そのことを家族に言い出せないでいる。

    本書では、三姉妹の関係性がとても上手に描かれている。
    三人それぞれの人生の岐路に、他の二人が時には本人のいないところで話し合いながら、適度な距離感を持って相対する。三人いると小さな「社会」が生まれる、という点で、三人きょうだいは二人きょうだいとは決定的に違う。私も三姉妹なので、この関係性には大いなる共感をもって読んだ。

    本書ではまた、京都という土地柄が、特に三女の凜に大きく影響していることも描かれる。著者の綿矢りささんは京都の出身。京都に対する凜の複雑な想いは、綿矢さんのリアルな実感でもあるのかな、と思う。
    私の実家は中途半端に都市に近いベッドタウンで、経済的に自立したら家を出ていくのが当たり前のように思っていたので、三女の凜を除く姉二人が社会人になっても実家で暮らし、結婚後も実家近くに住むことを暗黙の了解としているところや、凜が就職を機に京都を出ることに対して「一つの結界を破るくらいの覚悟」をしないといけない気持ちは、正直自分にはピンとこない。ただ、京都出身の私の友人たちは、京都で就職し、結婚しても実家近くに住む人が確かに多く、「出ようとしても、やさしく押し戻される」京都という土地の力は、あながち凜の感覚だけの話ではないのかもしれない、とも思う。

    祇園祭や大文字焼き、鴨川の納涼床などの風物詩が、生活の延長としてさらりと描かれるのも本書の魅力の一つである。京都に宿る土地の力に少々恐れを抱きつつも、この地で暮らしていきたい、と思わせる古都の底力を感じさせる小説である。

  • 京都の旅から帰って2日目に読み終えた。京都国際漫画ミュージアムから八坂神社近くまで、はじめてのデートでほとんど会話もせずに歩いた長女綾香のコチコチの姿は、その距離の大変さを実際体験しているだけに、「おいおい、そんなに緊張してしまったらダメでしょ」と思ってしまう。そのあと、毎夜のように電話する宮尾さんのマメさが功を奏して上手いこと行くのではあるが。

    旅のあとのせいか、さりげなく置かれている京都の景色や温度、人の接し方、美しさの一つ一つに共感する。三女の凛が魔物に追われる夢を見るのも、共感する。たった3日間居ただけだけど、京都の街には、至る所に将門や道真の怨念があったり、室町時代から続く流した赤ん坊のお地蔵さんが居たり、異次元に続く迷路のような路地裏が存在したりしたのである。綿矢りさは初めて読んだ。これが芥川賞作家なのかと思うくらい、直木賞好みの文章だった。映画にもなった『海街diary』と似ている所もあり、読んではないが『細雪』や『古都』のように失われ行く京都を描いた作品でもあるらしい。現代の等身大の京都を描いて、もし旅の前にこの本を読んでいたならば、この本の「舞台巡り」を計画していたかもしれないぐらい、琴線にふれた本だった。

  • 京都を舞台にしたとても雰囲気の良い物語。京都出身の綿矢さんだからこそ描ける世界だと感じた。両親と暮らす20〜30代の3姉妹を中心とした話で、とにかく引き込まれた。性格の全く異なる3姉妹だが、仲が良く、落ち込むこと悩むことがあっても、他の2人に相談することができ心強いだろうなと思う。理解ある両親も温かい。一年を通じた京都の街の様子や、京都を地元とする一家族の日常生活の様子に触れられ面白かった。これからも、どうか笑いの絶えない賑やかな家族でいてほしいという思いで読了。

  • 解説にあったとおり、「細雪」を思い出させるお話。三姉妹がそれぞれ似てないけれどみんな可愛くて、ご両親も素敵で、京都の町が地元民によって語られる描写がのんびりと、でもキリッとしていて好きだなあ。以前「かわいそうだね?」がイマイチ合わなかったので避けていたけれど、これは全体的に好き。

  • 綿矢版『細雪』(読んではないが)ということで興味をもって、綿矢りさ初読。
    代々京都に暮らす一家の三姉妹、彼女たちがそれぞれの年相応に揺れる心を、京都の情景や祭礼を背景に、美しい筆致で描き出した物語。
    京都に生まれ育った著者にしか書けない作品だろうし、さすが、芥川賞受賞作家だと改めて思う。
    題名の『手のひら』とはどういうことかと思っていたら、東京への就職を両親に反対され、家を飛び出し橋の真ん中でたたずんでいる時の、三女の気持ちとして綴られていた。
    「なんて小さな都だろう。まるで川に浮いていたのを手のひらでそっと掬いあげたかのような、低い山々に囲まれた私の京(みやこ)。

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著者プロフィール

小説家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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