- Amazon.co.jp ・本 (475ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101290362
作品紹介・あらすじ
病躯を引きずるように英国から戻ったショパンは、折からのコレラの大流行を避けてパリ郊外へ移った。起きあがることもままならぬショパンを訪なう様々な見舞客。長期にわたる病臥、激しい衰弱、喀血。死期を悟ったショパンは、集まった人々に限りなく美しく優しい言葉を遺す。「小説」という形式が完成したとされる十九世紀。その小説手法に正面から挑んだ稀代の雄編。堂々の完結。
感想・レビュー・書評
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ここまで本当に長かったが、終盤はショパンの「最後」…である
ここで息がつけないような展開で一気にスピードアップしていく
ショパンに死が迫る
何度も喀血し、死と隣り合わせで生きるショパン
少し回復してはまた悪化…を繰り返す
そんな時期にショパンは周りの技術者(指揮者、調律師、医師など)たちの死について、
~一人死ぬたびに彼らばかりではなくその技術までもが道連れにされてしまう
自分が死ねば音楽もしかり
自分の演奏がその死の瞬間にこの世から一切消えてなくなってしまう~
このように考え、何か残したいという思いが強くなる
自らの音楽についての考えをまとめるべく「メトード・ド・メトード」(未完のピアノ入門書)に着手
そして
~創作とは常に死というものと無限に近接する行為
あるいは死そのものですらあるのであろう~
と考える
死を目前にポーランドの家族への思いがいっぱいになるショパン
ショパンは故郷ポーランドを大変愛しており、フランスに亡命したポーランドの人たちに惜しみない援助をしていた
(当初は広く受け入れられ保護されていたが、成功者以外は徐々に居場所を失うのだ 亡命できたら苦難が終わりではない)
若いころに故郷を離れたショパンは最後はポーランドへの母親と姉妹たちへの思いが膨れ上がる
そして、なんとか姉だけを呼び寄せることができるのだ(唯一の救いでホッとできる数少ない場面)
そう、まるで自分がそこにいるかのような錯覚になってくる
ひたひた迫るショパンの死
ショパンを大切に思う人たちの悲しみと深い愛情
ショパンの精神的な苦しみと、肉体的な苦しみ
死と向かい合ったショパンが何を感じ、どう思うのか…
ある空間が徐々に狭まり、空気が薄くなるのに圧だけが増すような感覚
ショパンの生命力が消えていくのと対称に、ショパンを愛するものたちの感情の強さが相まってその描写のリアリティーさが迫るものがあり圧巻であった
そして、この時ドラクロワは…
「憂」「鬱」「虚」「靄」「倦」…
とにかくこんな感じ(漢字…いや、まじめなんです)がいつも周りに漂っている
ピーカンに晴れる日も出てきたのだろうが、まったく記憶に残らない
芸術、人間ドラマ、死、孤独、家族…
多くの要素が満載で、テーマ性も多岐である
読むのに時間はかかるが、かけた時間の価値はある
本書に出てくるショパンやドラクロワ同様に、平野氏が血と肉を削って作品に捧げたのが良く伝わる
そこがこの作品を支えている基盤となり、重厚なものに仕上がっているのであろう
「マチネ…」と本書のあまりにもの違いに驚いたので他の作品の読むべきなんだろう(笑)
さて次は何にしようか…詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「葬送 第二部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01
476p ¥660 C0193 (2023.09.19読了)(2014.01.18購入)
イギリスから戻ったショパンは、少しずつ病状が悪化してゆきます。著者は、その様子を克明につづってゆきます。喀血の様子などは、目の前で繰り広げられているかのように錯覚してしまいます。最後には、とうとうこと切れてしまいます。題名になっている「葬送」の模様も綴られ、遺産の処分の模様も綴られています。祖国ポーランドは、ロシアに占領された状態で、遺産をまとめて保存することは、かなわなかったようです。
読み切るのが、結構大変だったけど、読み終えてよかったです。
【目次】(なし)
十三~二十七
主要参考文献
解説 星野知子
☆関連図書(既読)
「ショパンとサンド 新版」小沼ますみ著、音楽之友社、2010.05.10
「ショパン奇蹟の一瞬」高樹のぶ子著、PHP研究所、2010.05.10
「愛の妖精」ジョルジュ・サンド著、岩波文庫、1936.09.05
「ショパン」遠山一行著、新潮文庫、1988.07.25
「ドラクロワ」富永惣一著、新潮美術文庫、1975.01.25
「葬送 第一部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
「葬送 第一部(下)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.08.01
「葬送 第二部(上)」平野啓一郎著、新潮文庫、2005.09.01
「ウェブ人間論」梅田望夫・平野啓一郎著、新潮新書、2006.12.20
「三島由紀夫『金閣寺』」平野啓一郎著、NHK出版、2021.05.01
(アマゾンより)
病躯を引きずるように英国から戻ったショパンは、折からのコレラの大流行を避けてパリ郊外へ移った。起きあがることもままならぬショパンを訪なう様々な見舞客。長期にわたる病臥、激しい衰弱、喀血。死期を悟ったショパンは、集まった人々に限りなく美しく優しい言葉を遺す。「小説」という形式が完成したとされる十九世紀。その小説手法に正面から挑んだ稀代の雄編。堂々の完結。
ショパン生誕200年のメモリアルイヤーを彩る、美と感動の長編小説 -
やっと読み終わった。
とにかく凄いボリュームで、それはページ数や文字数ということでなく、話の重さ、文章、世界観、何をとっても凄いボリュームであった。
私が読んだ本の中では、共に過ごした時間が一番長い作品だったと思う。
カタカナの名前が主人公である小説は大の苦手だが、これだけ長いと誰が誰なのか明確に判別できるようになる。
世の中には、こんなに美しい文章で表現出来る人が居るのだなぁと、一文一文読む事に感動を覚える程、文章が心地よい。
この作品の中では、たくさんの人物が登場し、彼らの心の動きが丁寧に描かれている。
何故男性作家さんなのに、こんなに女性の心の動きまで熟知されているのだろう。。。
私が読む本の中では、No.1になり得るくらい難解な本だったが、文章の心地良さも過去読んだ本の中では No.1 だった。
もう一度読めば、登場人物の気持ちを、もっと余裕を持って追っていけるのかもしれない。再読必至な本。 -
イギリスから帰ってきたショパンはさらに体調を崩し、パリ郊外へと移住する。ゆっくりと死へ向かっていくショパンと彼を慕い、取り巻く人々とのやり取りが繊細なまでに描きこまれ、読んだあとにため息が出ました。
本書で「葬送」は完結します。もちろん。主人公であるショパンの「死」という逃れることのない結末ですが、一歩。また一歩と死へと向かっていく彼と、彼の音楽を愛し、また、彼の人柄を慕う周りの人々とのやり取りが、壮麗な文体とともに描きこまれます。
渡英し、すっかりと体調を崩したショパンがその体を引きずるようにして戻ってくると、そこもまた、これらの大流行ということで、それを避けるためにパリの郊外に移ったショパン。しかし、彼の身の内に深く巣食った病はその衰えを知ることはありませんでした。
もともと頑健でない彼の体に訪れる長期にわたる病臥、激しい衰弱、 喀血。それを見舞う客たちのくだりは、本当に読んでいて悲痛な気持ちになりました。ショパン自身も何度も主治医を変え、彼らに当り散らし、ついには自分の殻に閉じこもってしまうところには、やはり「病人」としての不安が顕在化したものなんだと思いました。
自らの死期が近いと悟ったショパンは自らの「今後」のことや今までに彼がしたためた楽譜や手紙などの「始末」をするべく、遠くポーランドから家族を呼び寄せ、母親であるサンド夫人と不仲になっている娘のソランジュに彼女と仲直りをするようにいったり、その夫であるクレザンジェにも、真心を尽くした言葉をかけているのが印象的で、改めて彼の繊細な心がこちらにも伝わってくるようでした。
一方のドラクロワのほうも、その詳細が描かれているのですが、ショパンの最後があまりにも印象的過ぎて、彼がなくなった後にしばらくしてから大泣きした。ということしか覚えておりませんでした。
やがてショパンは彼を慕うものに囲まれながらその最期を遂げ、残された手紙や彼が愛用していたピアノ。そして彼の遺体は解剖にかけられ、その心臓は防腐処置を施された上で、故郷であるポーランドに帰る、という場面になると、本当に泣けてしまいました。結局のところ。経済的な都合で手放さざるを得なかったショパンの遺品の数々は彼の弟子であり、彼を慕い続けたジェイン・ズターリング嬢によって落札され、ショパンの家族に寄付されたのだそうです。その後も彼女は生涯にわたって、独身を貫き、ある意味で彼への愛に殉じた、といえると思います。
この豪華絢爛な芸術絵巻、実を言うと重厚すぎて敬遠していた節があったのですが、これを読むように僕の背中を後押ししてくれたのは、誰あろう作家の平野啓一郎氏であり、彼にツイッター上でこれを勧められなければ、おそらく永遠に手にすることはなかったでしょう。この場を借りて、平野啓一郎氏には感謝御礼申し上げます。まことに、有難うございました。 -
第四巻。
最終巻は壮絶な戦いの巻だった。
ある者は病と、ある者は老いと、ある者は失われた絆を取り戻すため、ある者は名誉のため、ある者は愛する人への想いを貫くため、ある者はこの生活を守るため…。
登場人物の全てが皆、何かのために戦っていた。ある者は赤々と燃え盛る炎のような怒りを剥き出しにして、またある者は、青白く燃える焔のように、静かに、でも確かな温度を持って。
読みながらずっと頭の片隅にあったのが、この物語ははたして、何に向けての葬送曲であったのか、という問いだった。
物語の中心が夭折した音楽家の「死」であり、主たるモチーフがその「葬送」の場面であることは言うまでもない。
しかしこの長い物語の中で、著者はもう一人の主人公の言葉を借りて、全く別のあるものに向けていくつかの追悼の言葉を綴っているようにも思えた。
第一巻の冒頭で、プレリュード的にショパンの葬送の一場面が描かれていたことが思い出される。思えばショパンは、この物語では初めから、決定づけられた「死」の象徴として描かれていたのだろう。
それに対してドラクロワは、時に感情的でありながらも常に思索的で、創作に苦悩し、時に怠惰で、より人間的に、芸術家的な側面を強調して描かれているように思った。つまり彼は、少しずつ忍び寄る「老い」を恐れながらも、それでも生きていこうとする「生」の象徴なのだろう。
そのドラクロワが、友人の死を乗り越え、新しい作品へと踏み出すところで物語は終わる。
登場人物たちは皆、他の何物でもない「生きる喜び」のために戦っていたのだろう。
もしかしたらこの物語は、「死」そのものへの「葬送」の物語だったのかもしれない。
読む人の年齢や経験によって、考え方は変わってくるだろう。たとえばショパンやドラクロワと同じ、所謂「芸術家」の人が読んだとしたら? 病の淵にある人が読んだとしたら? 自分自身、作中のドラクロワと同じ年齢になってこれを読み返したとしたら感じ方は変わっているだろう。
人生のうちに一度は読んでおいた方が良い一編。生きているうちに。 -
やっと、やっとのおもいで読み終わりました。初めて見る漢字、初めて聞く言葉、知らなかった音楽、知っていたはずの人物。歴史・政治・流行・思想・産業・地理・芸術・技術・天候・金・革命・名誉・欲・。男・女・大人・子供・家族・血・血・血。「人間」を発見した。なんというか「人間」という生きものを強く感じた。最後のページを読み終わり、上巻の上を(始めから)読みはじめたくなる。
発見の多い、充実した読書でした。 -
さすがに冗長。早くショパン死ねよ、と思ったのは私だけではないはず。
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「人生は大きな不協和音だ」
これを20代で書ききった作者に感銘を覚えました。
こんな描き物をされている最中、作者はすごい濃密な空間にいたんだろうなと、想像すると畏怖を覚えました。
人は死ぬ、という事をこの2部ではずっと突き付けられた時間になりました。
死が身の回りから現代的に忌避されている中、こんな形でしか段々と人へ伝えられなくなってきている気もします。
天才ショパンを通して人生の歩み方を、凡人ショパンを通して死ぬ過程とは何かを問いかける。
読んでいる途中より、読み終えた後の今の方が、頭の中でメロディーを奏でているのがすごく不思議。
思考から他の事が消え去るくらい、いい時間になりました。 -
ジョンジュサンドの気持ちには、あまり共感しなかった。最後くらいは会いに来て欲しかった。
善良な個が集まって奏でられる不協和音。私たちを取り巻く現実世界をうまく表現しているなぁと思った。
曖昧な物が重なって出来上がってる個と共同体。印象派の絵画のような文体を意識して書いたって、平野さんが天才すぎる。
クラシック含め音楽の知識が不十分で、ショパンの演奏会を想像の世界で実感できなかったのが悔しく、今後も勉強していきたい。 -
「ポーランド人とは即ちポーランドだ。ポーランドとは即ちポーランド人だ。
この心のすべてが、いわばポーランドの文化の歴史だ。我々一人一人が感じ取り、考え、生み出そうとするとき、常に感じ取らせ、考えさせ、生み出させているのはポーランドだ。
このからだこそは。ポーランドの土が育んだパンが血となり肉となったものだ。十指の先端にまでその土の恵みを知らぬ箇所はない。」
優美で、神経質なまでに繊細、決して相手を傷つけることのない紳士的なショパンの胸の内にある、ポーランド人としての誇り、ポーランドへの熱い思いが伝わります。
「我々の心に訴えるものは、技量というよりも精神であり、技術というよりも人間である」」という岡倉天心の言葉を思い出しました。
ショパンのリサイタルで演奏された曲を、一つ一つ聴きながら文章を読み、とても贅沢な読書体験になりました。お勧めの読み方です。
「どうして自分は、たったそれだけの思いやりをすら持つことが出来ないのだろう?どうして一切を顧みず、愛する人の為に何かあをしてやりたいという気持ちを抱くことが出来ないのだろう?」
…天才ドラクロワ、切ないです。
この他にも、サンド夫人、ソランジュ、スターリング嬢、どの人物にもそれぞれの人間性やドラマがあり、この小説を重厚なものにしています。
とても贅沢な小説でした。