- Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101290539
作品紹介・あらすじ
「ついに証明した! 俺にはやはり恋人がいた!」。二年間の悪戦苦闘の末、数学氏はそう叫んだ。果たして運命の女性の実在を数式で導き出せるのか(「大日本凡人會」)。水玉ブリーフ、モザイク先輩、マンドリン辻説法、見渡すかぎり阿呆ばっかり。そして、クリスマスイブ、鴨川で奇跡が起きる――。森見登美彦の真骨頂、京都を舞台に描く、笑いと妄想の連作短編集。
感想・レビュー・書評
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森見さんが京都と四畳半をこよなく愛でている事はわかる妄想短編集。
京都の学生生活が楽しかったんだろうなあと思います。
妄想が激しすぎて、なんだかわからなくなってしまった。
四畳半神話体系とは、関係ないかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
苦しく鬱々とした大学受験を乗り越えた諸君。あるいは、早々と推薦入試に合格して高校生活最後の春休みを満喫したキミ。もしかしたら、ヒョイヒョイと軽~く試験を突破してきたあなた。おめでとうございます!
これから始まる大学生活をとっても楽しみにしていることでしょう。サークルに、バイトに、男女交際に、飲み会に、あ、もちろん勉強も。想像するだけで、ウキウキしちゃいますね。
こんなこと言っちゃダメかもしれないけど、キラキラ眩しい笑顔の可愛いキミたちには、まだ必要のない物語かもしれません。
一度読んだところで「???」となってしまうのではないでしょうか。
でも。
入学式には満開だった桜が散り始めた頃から。
理想の自分像や、いろんなこと楽しまなきゃイケナイ強迫観念なんかに、少しずつ疲れてきちゃう人もいるんじゃないでしょうか。
「あれ、何だか空回りしてる?」なんて自己嫌悪に陥っちゃたり。
そんな時にこそ、この物語はあなたの中にスコンと入ってくるタイミングかもしれません。
いいじゃないですか、その孤独、その敗北。
さぁ、四畳半王国を建国した国王となった男の話に耳を傾けてみましょうよ。
「広い世界の中に愛すべき四畳半があるのではなく、愛すべき四畳半の中に世界がある。」
この新世界の秘密を解き明かしたとき、キミは涙を流すかもしれません。
どうか、諸君に、阿呆神のご加護がありますように。祈ってます。 -
「四畳半王国建国史」
『四畳半王国見聞録』は短編集ではあるのだが、各短編は舞台を同じくしており、「阿呆神」という神様が共通して登場する。
この構成は『宵山万華鏡』と同じだ。
「四畳半王国建国史」は全体としてみるとプロローグにあたる。
「蝸牛の角」
『四畳半神話体系』の「私」や樋口師匠が登場する。
『熱帯』の物語の入れ子構造に近い構成。
「真夏のブリーフ」
柊と楓さんの寝言は、作中の雰囲気からすると面白く聞こえるかもしれない。
しかし、『夜行』などの作品に通ずる、はっきりと正体のわからないホラーっぽさを少しだけ感じた。
「大日本凡人會」
他作品でもよく描かれる阿保な大学生の話というジャンルに一番よくあてはまるのが本作。
もし私が能力を得るとしたら、モザイクを外す能力は捨てがたいが、妄想的数学証明の能力がかなり強いので魅力的。
「四畳半統括委員会」
人の話に振り回されて結局正体が掴めないこの感じは『新釈走れメロス』の「藪の中」に似ている。
「グッド・バイ」
一つの短編として区切られてはいるが、この短編だけでは何の話が分からないとおもうので、実際のところ「四畳半王国開拓史」に続く。
「四畳半王国開拓史」
エピローグにあたる。
作品全体を通してみると、いつも以上に他作品との関連や似ている構成が多く、過去作と最近の作品の中継地点にあるような短編集だった。
明らかにファン向けなので、著者のほかの作品を読んでからでないと楽しみは少し薄いかもしれない。 -
森見さんの本は、どれも面白いです。
読んでいるとグイグイ引き込まれ、一気読みしてしまいました。
京都が舞台になっていらるのがいいですねー。学生時代を思い出します!
ぜひぜひ読んでみて下さい。 -
現実なのかファンタジーなのか、他の森見作品よりも混沌としていて、長い夢を見てるようだった。蝸牛の角の構成が好き。
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森見さん、好き放題やってるな!(もちろん良い意味)と思いました。
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も一回くらい読まないと全容が把握できないくらい広大な話。四畳半のくせに。。。
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続編ではないにしても『四畳半神話体系』に連なる物語と言えるかもしれない。
日常と非日常のほんの小さな狭間を楽しむ物語だった。
だらだらした日常のなかに少しだけ不思議なこと、クスっと面白いことがあり、ふとしたことが広大で深遠な宇宙的なるコンステレーション(布置連関)にはっと気づくように、まるで悟りに近いようで全く異なるくだらなさに直面する事があるような気がする。
この物語は京都、四畳半、大学生といくつかのサークルという極めて限られた時空間での物語である。
しかし、かつて松尾芭蕉の詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」について、宇宙的な深遠さと静謐さとコンステレーションを見出した人たちがいたように、この物語もまた極めて狭小な世界に無数の宇宙が誕生し、そして重なり合い、離れていくさまを感じるような気もする。
手が届きそうでいて同時に森閑さに深淵を覗き、手が離れる。
ミクロコスモス、バタフライエフェクト、なんでもいいけれどもこういう物語や交流に惹かれるのかもしれない。
日常と非日常、或いは凡人と非凡人、友人以上恋人未満、こうした事の狭間にある宇宙的で深遠な繊細さを楽しむ物語だった。
『たとえなんでもない一日でも、我々はつねに何事かを学び、立派な大人になっていくのだ』(p.124) -
森見氏の良いところが逆方向に向かっていってしまったような…。森見氏の本を読むならこの作品を最初に選ばない方がいいかと。