- Amazon.co.jp ・本 (466ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101307039
感想・レビュー・書評
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私も10年前、ニュルンベルクから、レーゲンスブルク、パッサウ、そしてウィーンへとドナウ川に沿って旅をしたことがあり、この物語の主人公達が旅するのと全く同じ順番にドナウ川沿いの街がでてきて、私も見たその時の風景を思い出し、凄く懐かしく、もう一度訪れたくなりました。
母親と若い愛人、娘と恋人、といった異色の二組が、ドナウに沿って旅を進めるごとに、どんどんこの物語にはまっていきます。母親の愛人である長瀬という男が訳有りで、母親と旅をすることになった経緯や、長瀬という男がとても興味深く、ページをめくっていくのが楽しくて仕方がない。
ドイツから始まる彼等の旅が、ドナウ沿いのドイツの街、ドイツを経てオーストリアに入るドナウ、ウィーンの街、それぞれの風景、そして旅の途中で出会う人々と共に描かれているのが一層魅力的で、その彼らの旅が、ウィーンから先はどうなるのか?下巻もいっそう引き込まれそうでワクワクします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まだ自由に異国に行けない時期だけに
少し異国の匂いがするようなお話でした。 -
母が突然ドイツに旅立った。
追いかけてみると17歳も年下の男と一緒。
娘としては衝撃の事実。
別れたドイツ人の青年とよりを戻し、母を追いかける。
お話のプロットは秀逸。
死を望む人間を救えるのか。
人間の生とは。
悠久の大河ドナウを舞台に物語は進む。
下巻での決着ご楽しみ。
随分以前に読んだ本書。
おぼろげな記憶とは違う内容だった。 -
ドナウ川をたどってドイツからルーマニアまで旅する二組の男女の物語。突然家出をした母と年下の愛人、母を追って旅に出た娘とドイツ人の恋人が7カ月にわたり、さまざまな国をめぐります。お嬢様育ちで無垢な心を持つ母、絹子とドイツで5年間働いたこともある知的な娘麻沙子。ふたりが3000キロにも及ぶ旅でどう変わっていくのか。思いがけないストーリー展開とともに、興味深く読み進むことができます。レーゲンスブルグ、パッサウ、ウィーン、ブダペスト、ベオグラード、黒海、それぞれの土地で出会う人々や風景の描写がとても魅力的。東西が分断されていた時代の物語なので、今と状況は違いますが、土地の持つ情感や雰囲気は、失われずに残っていることでしょう。
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忘れ物はない?
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母から借りた本
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今で言うモラハラ的な夫を捨て突如家出した母、絹子
ドナウ川に沿って旅をしたいという手紙を受け取った娘の麻沙子は母を引き止めるため、かつて自身が過ごした西ドイツへ飛ぶ
かつてのドイツ人の恋人シギィと再会し、共に母を追う中、絹子が17歳年下の愛人、長瀬と共にいることを知る
やがて、二人を見つけた麻沙子とシギィの4人はドナウ川を下る旅に出る
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まず、もう古い!
1988年刊行…ってことは35年も前!!
言い回しも古臭い
『〜ですわ』とか『〜しましたの』とか
それがいい味出してるっちゃ出してるのかもしれない…といい方向に考えてみる
とっても分厚い上にやや冗長的なので時間かかった
こんなんが下でも続くのか…うーん…とは思うが続きも気になる
絹子と同年代だけに17歳も年下の彼とどうなっていくのかも気になるし
昔の東欧の共産圏についての描写は興味深い -
母絹子が父との離婚を決意しドナウ川を沿って黒海に向かう旅に出ることを手紙で知った麻沙子は西ドイツに向かう。そこはかつて自らが青春時代を過ごし、自らの臆病さから共に人生を歩まず去る事を決めた恋人がいる場所。恋人ジークフリートと再会し、再び恋に落ちたが母は17歳年下の長瀬道雄と旅に出ていることを知る。
母を見つけた麻沙子とジークフリート、母絹子と道雄の4人旅が始まる。 -
☆1982年筆者6か国(西ドイツ、オーストリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア)取材旅行 1983年11月5日~1985年5月28日 朝日新聞連載小説
29歳麻沙子 50歳母
P35 ドイツジョーク きれいな娘がいつも豹の背に乗って散歩した。あるとき、娘は豹に乗って森の中へ入って行った。娘の姿は消え、豹がお腹を大きくさせて帰って来た。
P56 フランクフルト ドームと呼ばれる聖バルトロモイス教会の近くの橋を渡ると、マイン川の南側にりんご酒の本場であるザクセンハウザンがあった。
レーゲンスブルク(雨の砦の意) ローマ時代起源、中世の商都→きっと立ち寄るハズ
ヴァルハラ神殿…長瀬はさっき、神殿の入口で、この世のものとは思えない田園風景を前にして、絹子を娘に返す場所をヴェルト村か、あるいはほかのバイエルンの村々のいずれかに決めた。
グリュウワイン
借金4億6,000万円・460万マルク
パッサウ ドナウ川とイン河の合流地点で、西ドイツの東のはずれ。オーストリアとの国境の街
…聖シュテファン寺院の大聖堂の前に来て歩調をゆるめた。礼拝か、あるいは見学かを終えて出てきた巡礼団の団体がひしめいていたのだった。多くは老人たちであった。それぞれ胸に名札をつけ、引率者がきちんと整列するよう促している声を無視し、大聖堂を背景に記念写真を撮っていた。シギィは巡礼団の老人たちをかきわけ、イン河のほとりへ降りる石段を下った。右手に長い橋があった。その橋を渡ればオーストリアである。
ヨハン・シュトラウス号は、3時24分にウィーン西駅へ着いた。
尾田 シェーンブルン宮殿
麻沙子「まだ6歳か7歳のモーツァルトが、この宮殿でマリー・アントワネットに、いつかぼくのお嫁さんにしてあげるって言ったそうですわ。伝説ですから本当か嘘かは判りませんけど」
「デザートは、ホテル・ザッハーのチョコレート・トルテにしませんか。ぼくがご馳走しますよ」
麻沙子「私、ホテル・ザッハーって、あんまり好きじゃないわ。コーヒー・ショップには、日本人の若い女の子がうようよしてるんだもん。どうせ女性雑誌で読んだんだろうけど、ホテル・ザッハーでチョコ・トルテを食べるためにウィーンへ来る二十歳前後の女の子がいっぱいいるのよ。一度、ウィーンの駅で訊かれたことがあるわ。ザッハー・トルテって、どこで売ってるんですか、なんて。そんなお菓子、どこにもないわよ。ただのチョコ・トルテじゃないの。私、日本人で嫌いよ」
P386 ホテル・ザッハーは、オペラハウスのちょうど裏側、ケルントナ通りの入口から少し横に入ったところにあった。四人はコーヒー・ショップの窓ぎわの席に坐った。
「デーメルっていう喫茶店があるんです。そこのチョコ・トルテも、ホテル・ザッハーのチョコ・トルテもおんなじ味ですわ。昔、ホテル・ザッハーとデーメルとの間で、チョコ・トルテの本家争いがあったんです」 -
長いフライトの✈️旅路で読みたい〜
名作です