廃疾かかえて (新潮文庫)

  • 281人登録
  • 3.78評価
    • (19)
    • (50)
    • (32)
    • (5)
    • (0)
  • 34レビュー
著者 : 西村賢太
  • 新潮社 (2011年4月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (177ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101312828

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

廃疾かかえて (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 秋恵シリーズだったがDVメインでなく面白かった。
    安定の西村賢太。

  • いずれ罵倒語一覧をつくる。

  • おもしろいわー。

  • 自分のやりたいように生き、後先を考えない様、まるで幼稚でロクデナシと言える主人公。
    三編の短編、いずれも同棲する女性がおり、よくその女性に好き放題やるのが本作の本質。読んでてウンザリしてしまう為体。起点は同じだが指針が異なるのは面白い。だが、やはり主人公の行動にはウンザリしてしまう。私小説作家の極みここに在り。

  • ヒトデナシっぷりは先に読んだ『小銭をかぞえる』収録の2編よりは和らいでいる感じ。というか、続けて読んだもんで麻痺した。荒んだ風景だが、同時にコミカルな要素も感じられ、どんよりとした暗澹さはあまりないのが救いではある。
    今回は、貫多の身勝手で粗暴な行いよりも、秋恵の許諾してしまう態度に病巣を感じてしまった。
    果たして、秋恵はパート先で知り合った優男のところへ逃げ去った後、幸せな暮らしをしているのだろうか。いやしてない。かなりの確率で殴られ、再び肋を折られ、金をせびられていると思われる。いまも王子のスーパーでレジ打ちのパートを続けたりしないで欲しい、のだが。

  • おもろい。笑った。

  • 苦役列車の続編的なものだったので読んでみた。
    北町貫多シリーズの短編仕立て。
    昼一時頃、満腹になった主婦達がソファに寝そべって
    毎日定刻に始まるドラマに目をやりながら「ふぅん...こんな人たちもいるんだー。」などと食後のお菓子をほおばりながら、そんなことをつぶやきそうな内容。
    廃疾を抱えた主人公にもそろそろ飽きてきたので
    西村賢太著の本はこれで打ち止めかな。
    私小説でなければ手に取ることもなかったであろう一冊。

  • 損得よりも、こだわりやその場の欲に任せて動く。なんて正直な私小説。男なら、共感できる部分があるだろうし、最低な野郎だと思う部分もあるだろう。ただ、最低な野郎と思った所で、自らが隠し持つ一面に触れられた気がして、これまた妙な正直さ。汚い兄貴の小便を、自らと変わらぬ排泄行為としてリアルに想像するような、西村賢太の生き様はそんな雰囲気を醸すのである。

  • 進撃の巨人OP「紅蓮の弓矢」
    歌詞の中に「嚆矢(こうし)」と出てきます。
    「ものごとのはじまり」という意味なのですが
    意図しないとなかなか使えませんよね。
    でも、西村賢太の作中にはするっと出てきます。
    あと「奇貨をとれ」とか。
    タイトルの「廃疾」もしかり。

    言葉の多様さ、崇高さに見合わない下劣な主人公の行い....ギャップにやられている気がします。

  • だめんず北町貫多シリーズ(笑)。で こういう男と付き合える女子にも なんか共通の傾向がありまして。
    でも「精神的露出狂」って言葉にはすごく共感。ずっと常識をおそれて人生迷子やってると たまにこうゆう極端な振る舞いを見て あたしももうちょっとなら好きにやっていいかもと背中押される気がする。

  • まったくもって終始ざわざわさせてくれる。
    自分の過去を振り替えさせられ、またざわざわさせられる。

    そして西村賢太中毒になってしまった。

  • ダメ人間とその連れのお話し

    3編通じてとことん下衆でダメな男ですな
    お金があったら使ってしまうのはどうしようもないダメ人間の特徴

    そんな輩がなぜか藤澤清造のためのお金だけはちゃんと確保していたりするのが謎だ

  • 愛すべきロクデナシ、北町貫多。ここに収録されている三篇の小説はそんな彼の『魂の軌跡』でありその愚かしさとバカバカしさに不謹慎ですが、その中にある『笑い』を見るのは私もまた心の裡に同じものがあるせいか?

    ここしばらくはずっと西村賢太漬けの日々を送っております。ここに収録されている3編の小説はいずれも彼の経験が色濃く反映されていて、改めて彼のたどった人生のすさまじさを感じさせます。

    最初にある『廃疾かかえて 』では人のいい秋恵が大学時代の友人である久美子に多額の金を貸したということがわかってから、その詳細をどんな手段を使ってでも聞き出そうとする北町貫多の陰湿なまでの暗い衝動が描かれておりました。

    2番目の『瘡瘢旅行』では貧困と梅毒の末期症状で脳をやられ、芝公園で凍死した大正期の無頼派作家・藤澤清造の歿後弟子を 任ずる私がひょんなことから発見した『師』の文章が掲載されている 稀覯雑誌を求め金欠も何のその、同行を渋る女と地方へ買い出しに行くというもので、目的の雑誌を手に入れるためには古書店の店主にあの手この手の策を繰り広げ、目的が達成されると女にも感謝の気持ちを示すが、実は彼女にはすでに…という展開で関係の終わりの時期であったことが察せられます。

    やはり、その中でも圧巻だったのは最後に収録されある『膿汁の流れ』でありまして、秋恵の祖母が病院に入院し、彼女が祖母のところに帰郷し、残されて存分に羽目をはずす貫多が描かれます。彼の元に秋恵が当座の生活費として残していった十二万をこれまた見事なまでに飲んで買ってと、自分の欲望の命ずるがままに使い切る場面はまさに圧巻で、その際に食べていたチャーシュー麺やクラタンにレバカツがほんとにうまそうで。そして連日連夜の買淫による『射精遊戯』。さすがに罪の意識を思ったのか祖母の葬儀を終えた秋恵が帰ってきたときにはその労をねぎらおうとするのですが、彼女は貫多が葬式にも顔を出さないと彼のことを父がなじっていたことを伝え、それに激高した貫多との間で大喧嘩となるわけですが、しかし、彼の中で『ある計算』が働いて珍しく彼のほうが折れることになります。その『ある計算』とはご自身で確認していただきたいのですが、これを最初に読んだときには大笑いしてしまうとともに、どこまでも自分の欲望に忠実な彼をむしろうらやましくさえ思ってしまいました。

    彼の小説は好き嫌いがはっきりと分かれると思いますが、興味を持った方がもしいらっしゃれば幸いに思います。

  • 笑ってしまうゲスさ
    天才だと思う

  • 破滅型私小説の典型です。

    主人公・北町寛多(=一目で西村さん本人と分かるネーミング)に与えられている大前提は、「お金がない」「我が強すぎる」というもの。まあ、自分の傍にいると一番面倒くさいタイプの人間ですよ。

    これだけだと、どうしようもないダメダメ人間であって、読むのもウンザリ・読んでいてイラつくといった印象なのですが、さにあらず。

    収録されている3篇ともに、同棲相手の女性・秋恵との会話のやり取りがなんとも滑稽で、無性に愛おしくなってしまうのですね。言葉の選び方など、幾分、諧謔を弄している印象も受けましたが、それは小説の中でのやり取りなので無問題、いいスパイスになっています。

    単なるグダグダの私生活、といってもグダグダなのは寛多だけであり、秋恵はいたってまともなので、当然に会話のベクトルはまったく別の方向を向いているのでおかしい。それで止む無く寛多の折れることが多いのですが、と思ったら、またすぐに寛多の逆上⇒暴言&暴力。

    「なんだ、この男は。とことんまで最低の下衆野郎じゃないか」といって、本を投げ捨ててしまいたくなる人もいるでしょう。でも、このやり取りを楽しめる人の方が、本を投げ捨ててしまう人よりもラッキーに思えます。現実にこんな状況に置かれたくはないですけどね、男であれ女であれ。

    西村さんの作品はいずれも、自分のダメな部分を充分すぎるほどに描き尽くしています。潔い、というわけではないのでしょうが、そのスタンスが却って、読者に得も言われぬ爽快感を与えているのでしょう。

    好き嫌いが極端に分かれる作品(作家)だと思いますが、僕は好きです、西村さん。

  • 人間って
    おろかしくて
    おもしろくて
    おそろしいね。

  • 嫌悪感を通り越して、病み付きになる一冊。

  • 西村賢太氏の純文学的な語彙センスと貫多の落語口調、その2つが物語にテンポの良さと深みを加えている。秋恵も優れた人物ではないが、彼女と対比して貫多を徹底的に自堕落な人物に描き、且つその点を自身も冷静に分析しているところが私小説ながらも読者を引き込む要因だろう。本書は特に酒井順子氏による「解説」が俊逸。「落差」という視点はなるほどと思わされた。

  • この人の内容と古臭い語彙と漢文調の言い回しの組み合わせがほかにない魅力のなのだろうと思う。ユーモアと細かな心情の分析もあるが。これを映像化するって無理だ。
      「膿汁の流れ」ラストで脱力した。ああなんつう身勝手さと男の性欲よ。我欲の塊を制御することない正直さに参った。私淑する私小説作家のためならなんでもやるということに感心した。彼にとっての神なのだろう。ただし自分だけの神だ。

  • 2012/4/18購入
    2012/10/4読了

  • 面白い。この作家さん、大好きだわー。

  • 西村賢太の本はこれが3冊目。そろそろ飽きるかと思いきや、飽きない。一気に読んでしまう。
    どうにもならないダメ男(「廃疾」って言ってるくらいだし・・)の話なのに、読んでいて不快感があまりない。
    一人称が「おれ」じゃなくて「ぼく」っていうところがひとつのポイントかと。
    独特の文体もクセになるんだよね。

  • 「「 言っているうちに興奮の余り声が震え、目頭まで熱くなって、女の横頬を思いっきりひっぱたいてやるべく手を振り上げたが、咄嗟に首を縮めて目を固くつぶった女に一瞬哀れを感じ、僅かに踏みとどまる。しかしすぐにその憫諒は持って生まれた邪悪な冷酷さに打ち負かされ、ビンタの代わりに口中の唾を、女のおもてにまともに吐きつけてやると、女は何か喚いて立ち上がろうとしたが、それを押さえつけ喉からせせり上げた二発目を吐きつけると、その青痰は背けた顔の左耳辺にベタリと付着し、そこでようやく女は幼児のような泣き声をあげ始め、私は尚とその髪を摑んで引きずり廻し、喚き叫ぶ女に謝罪の言葉を強要して、それを何回も述べさせたのである。」(「瘡瘢旅行」)

     う~ん。最悪だ。相変わらずの西村節全開である。暴力振るっているし、唾や青痰を吐いたりと、キチゃないし。この人の短編集をこれまで三冊読んだが、良い話は一つもない。男として最低な話ばかりである。しかし、次なる最低シーンが予想される箇所になると「おおっ、クるか」と、期待してしまう俺は最低なのだろうか?相手をどんどんと暴力的に、精神的にも追いつめていく様を読んでは、「コイツ最低やのぅ」と思いながらもちょっと笑ってしまうのだ。ここまで女性蔑視な作風を俺は、知らない。

    今回の短編集で引っ掛かった暴言を以下に羅列する。

    「黙れ、不妊症。てめえみてぇな低脳と、カンバセーションしてやるぼくじゃねえぞ。何が、セクハラ、だ。昨日今日覚えた言葉を得意気に振り廻すな!」

    「違う。違う。ぼく、おまえ以外の女に興味なんかあるものか。何、さぞかしそいつは面の皮の厚い、ひねくれ根性がおもてに表れた芋ブスに違げぇあるめえと、それをちと確認しようと思っただけの話だよ」

    「黙れと言ってるんだ、この、オリモノめが! 聞いた風な事をぬかすなと言っているのが分からねえのか。口で言って分かんなきゃ、てめえはまたアバラをへし折ってやるぞ」

     よくもまあ、次から次へと出てくるもんだ。出てくる単語がストレートに汚いし、品がない。引用していいのか俺もためらってしまう。しかし、今回の短編集読みながら、ふと思った。これって、ホントの話?西村賢太は実話を少し脚色して小説にしている、といった旨の発言をしていた。が、西村賢太の小説に出てくる同棲相手と同棲した期間は、一年ほどである。しかし、この同棲相手との話は、西村賢太の作品では、シリーズといっていい位よく出てくる。で、どれもが暴力的で、下品で、卑屈な話ばかり。たった一年間で、こんなにも色々な事が起こり、その度に最低に振舞えるのだろうか?西村賢太は、読み手へのサービスと、己のキャラの確立のために創作している部分も多々あるのではなかろうか?
     少し前、テレビ番組で西村賢太が母校の小学校で、授業を行っていたが、そのときの小学生に接する態度が、「実はこの人、いい人なんじゃ」と思えるくらい、優しかった。最近は、ワイドショーのコメンテーターとして、よくテレビにも出てるらしいし、本当は、小説に書かれているような乱暴な人間ではなく、バランス感覚がある、それなりの常識人なのではなかろうか? まあ、単に外面が良いだけかもしれんが。

     俺としては、小説通りの乱暴者の成功者でいて欲しい気持ちと、本当はいい人だったら、おもしろいなぁ、という気持ちが入り混じっている。

  • あれから著作をあらかた読んだけれど、この短編集がいちばんおもしろかった。貫多と秋恵の同棲シリーズ3編で構成されていて、あいかわらずの修羅場が続くのだが、とくに「瘡瘢旅行」での「今のはアウトだよ」からはじまる情けなくも壮絶なやりとりは出色で、怒り狂う貫多とそれでも追求をやめない秋恵の対比が最高だ。「黙れ、不妊症。てめえみてえな低能と、カンバセーションしてやるぼくじゃねえぞ。何が、セクハラ、だ。昨日今日覚えた言葉を得意気に振り廻すな!」「……やっぱあんたは本当にアウトだよ。最悪のセクハラ男だよ。一種の、性犯罪者だよ」「黙れと言ってるんだ、この、オリモノめが!」って、このへんのくだりなんか名言(迷言?)連発で笑い死ぬかとおもった。直前につづられた畳み掛けるような指摘と、恫喝された直後に放つトドメの一言「あんたは女子の敵だよ」が効いている。(貫多の)暴言と(秋恵の)正論のコントラストが絶妙だ。以前「暗渠の宿」の感想に「著者の分身である主人公は、どちらの短編でもセクハラ&モラハラ三昧のとんでもないミソジニスト。なのに、それらの描写がなんら不快感をもたらさず、それどころかかえって爆笑をうむ不思議」と書いたのだけれど、やはりこの痛快さは秋恵の存在によるところがおおきいのだと気づく。セクハラ、モラハラを臆せず批判し、居直ったミソジニーに猛然と立ち向かう、彼女の気丈さと賢さがあってこそ、主人公のクズぶりがかがやくのだ。

  • 主人公のダメ男ぶりに拍車がかかり、ダメすぎて笑ってしまうほどで、無頼派といった古風な呼び方で読んだら暗くなっちゃうから違うな、こういうダメさになんかいい呼び方ないかなー、みたいな本。
    女が読むとちょっと引いてしまう過剰な暴力描写はこの本にはあまりなく、もはや喧嘩がヒートアップしてしまう時期は過ぎ、二人の仲がひえびえとした終焉に向かってることに気づかされる。
    うまいなー、とつくづく感心したのは、「膿汁の流れ」の中で、恋人が家を空けた数日間に主人公が放蕩の限りを尽くすくだり。単に主人公が飲み食べ買いしている様子をスケッチしているだけなのにこんなに読ませるなんてすごいし、こんなに楽しそうに遊ぶ男を、しばらく小説の中で見たことなかったよ、どこまで文章が上手なんだこの人は、と思った。

全34件中 1 - 25件を表示

廃疾かかえて (新潮文庫)を本棚に「読みたい」で登録しているひと

廃疾かかえて (新潮文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

廃疾かかえて (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

廃疾かかえて (新潮文庫)を本棚に「積読」で登録しているひと

廃疾かかえて (新潮文庫)の作品紹介

怪し気な女ともだちに多額の金を貸していた同棲相手の秋恵。その人の好さに暴力的な衝動をつのらせていく、身勝手な男・北町貫多を描く表題作。大正期の無頼派作家・藤澤清造の歿後弟子を任ずる金欠の貫多が稀覯雑誌を求め、同行を渋る女と地方へ買い出しに行く「瘡瘢旅行」他、敗残意識と狂的な自己愛に翻弄される男の歪んだ殉情を描く、全く新しい私小説。

ツイートする