- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101313559
作品紹介・あらすじ
「私が本書で論じてきた五人の作家たちの作品に、未来の批評家や読者がどんな評価を与えるかを予知するのは困難だ。しかしながら私にとっては、それぞれに極めて独特の世界を書いた五人が、日本のみならず世界中で記憶され読み継がれてゆくだろうと予測せずにいることも、また困難なのである」――源氏物語で日本と出会い、古典文学を愛する一方、同時代文学の証言者たらんとして現役作家たちと交際してきたドナルド・キーン。その長い年月でももっとも深く人生を交えた五人の作家とその作品への思いを綴った追憶の書。緊急追悼出版。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
有名な作家だから読まなかったりしてきた…
そんな作品や作家をドナルドキーンという海外の方が語る…
それだけ日本を知り愛してくれているのだろう。
少し上の世代の方にはとても馴染みがある方のようだ。
文量はとても薄いので、触れてみたい人にはちょうど良い。 -
今年(2019年)2月に亡くなったドナルド・キーン。日本人以上に日本文学に詳しかった著者の、5人の作家にまつわる思い出エッセイ。個人的にも親しくされていた5人とはいえ、私的交流エピソードよりも文学評的な部分のほうが多く、それぞれの作家の個性、作風の変遷などを簡潔に知れてとてもわかりやすかった。
谷崎、川端については年齢が離れている(二人のほうがずっと年上)こともあり、友人というよりは尊敬していた作家と若いファンのような関係性だけれど、ほぼ同年代の三島&安部公房については親友と断言されており、語り口もより身近な印象を受けた。とくに安部公房については、友人としての著者の思い入れがだだ漏れていて、最後のほうちょっと泣きそうに。
この5人の中では唯一、司馬さんだけちょっと毛色が違うかも。純文学ではなく歴史小説だし、日本でこれだけ人気があるのに、海外ではイマイチうけない理由など分析されていて、なるほど。
余談ながら、5人の作家と著者の生年没年をウィキからコピってきて、生年順に並べ替えるとこんな感じ↓
谷崎潤一郎:1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日
川端康成:1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日
ドナルド・キーン:1922年6月18日 - 2019年2月24日
司馬遼太郎:1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日
安部公房:1924年 (大正13年) 3月7日 - 1993年 (平成5年) 1月22日
三島由紀夫:1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日
個人的に、教科書に載っているような文豪は自分が生まれる前あるいは物心つく前に亡くなっているものだと思い込んでいたので(若くして自死なども多いし)、安部公房が亡くなったときはむしろまだ存命だったことに驚いたりもしたのですが、司馬さんが亡くなったときは、はっきり悲しかったのを覚えています。書店の追悼コーナーで危うく泣くところだったっけ。 -
エッセイというには分析的で、でも評論というには温かく…。5人の文豪たちのエピソードもさることながら、キーン先生の偉大さを感じずにはいられなかった。キーン先生のような方が、日本文学のよき理解者・批評者であったことに、本当に心から感謝したい。
-
ドナルドキーン 「思い出の作家たち」
著者が 谷崎潤一郎 川端康成 三島由紀夫 安部公房 司馬遼太郎 との思い出や作品を語ったエッセイ。
エピソードのチョイスがいい。作家たちの人柄や考え方を知ることができる。安部とのエピソードは 安部の処女小説の背景と直接つながっていて 作品理解につながった
印象に残ったエピソード
*三島が死の2日前に著者に手紙を送って 文士より武士として死ぬ覚悟を示した
*司馬の「国家主義は世界平和の最大の障害である」という叙述に 他の作家を褒めない 安部が感銘を受けた
死のイメージが強すぎる川端と三島の作品、性のイメージが強すぎる谷崎の作品を今まであえて選んでこなかったが
谷崎「細雪」「吉野葛」 川端「雪国」「抒情歌」 三島「金閣寺」「近代能楽集」あたりから読んでみようと思う。
著者が三島の自殺をどう見たかは 興味深かった
*一種の自己催眠であり、作家であるより愛国者なのだと自分を納得させる行為
*いち早く花を散らす桜のように、いつでも命を捨てられる
*桜の花の魅力は 花そのものの美しさより、散りやすさにある
司馬を入れるあたり 著者はさすが日本人。著者の著作に 安部や司馬との対談本もあるらしく読んでみたい
-
日本の文学をキーンさんから分かりやすくひも解いて教えてもらった。読みやすかった。
-
昭和の文豪たちとの触れ合い、そして彼らの作品と人となり、それらに影響を与えたであろう諸要素の考察。5人を通じて、日本人らしさとは何か、が根底にある。個人的には、外国人に「日本の美を表現した」と評価されたノーベル賞作家川端康成と、日本人好みの文体や主人公であるがゆえに翻訳の難しさが伴い、いまだ外国人受けしていない司馬遼太郎の対照性が興味深く感じられた。この2人の作品には所謂純文学と大衆文学という呼び名も伴い、前者が当然の如く高く評価される事情は何なのだろうという点も含めて。あと川端と三島のノーベル賞秘話は、それが真実であるようなリアルさがあり、両者のその後の運命をある程度決めただけに生臭さがあった。
-
ドナルド・キ-ン】が、日本の文豪らとの交流の想い出を赤裸々に語った文学評論。谷崎潤一郎の西洋崇拝、川端康成のノーベル文学賞と自殺の因果関係、三島由紀夫の割腹自殺の背景、安部公房の生い立ちと作品への影響、司馬遼太郎作品の海外紹介の壁など、日本文化・歴史に堪能だった著者が遺した追想集。(N図書館蔵書)
-
谷崎、川端、三島、阿部、司馬の5名に対する親愛に満ちた論評・エピソード集。いずれも著者のあたたかい眼差しが彼らに向けられている。
谷崎:「この新訳(源氏物語)に費やした四年間を、彼自身の創作に打ち込んでいたならばと思うと、やはり残念と言わざるを得ない。」とは、谷崎に対する最大限の賛辞だと思う。
川端:「美しさと哀しみとの賞讃者にして日本初の前衛映画のシナリオ作者、日本伝統の保護者にして破戒された街の探査者(エクスプローラー)この矛盾した様相が作品に与える複雑さが川端を、現代日本文学の至当なる代表者にしてノーベル賞のふさわしき受賞者にしたのである。」も、至言といえよう。私にとっては難解でとらえどころのない川端の本質を、端的に指摘してくれている。
三島、阿部については、にじみ出る友情が行間からたちのぼる。同世代を生きた著者と彼らの交流には心に沁みるものがある。
著者が最後に司馬を取り上げたのには意外な感を否むことができない。しかし著者は司馬の人柄を愛し、彼の類ない格調高き歴史小説の文体が外国人に伝達することが極めて困難であることを指摘しつつ、「歴史を通じた冷静な認識によって、日本とは、日本人とはと問い続けた。彼は、その著作だけでなく、人となりによっても、国民全体を鼓舞したのである。」と結論付けたキーン氏の洞察には感動を覚える。外国の立場から、日本文学を通じて日本とは、日本人とはと問い続けてくれた著者ならではの指摘だといえると思う。