- Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101354125
感想・レビュー・書評
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#3472ー89ー295
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「百万回生きたねこ」の絵本作家著者のエッセイ集。短編集となっていて、時間をおいても読めた。辛口々調で、文末の一言の中にも、ハッとさせられる場面もあり、楽しめました。タイトルが魅力で、この本を手にしたんだろうか?。著者も書かれてるように 『本を読むことは、怠惰な快楽であった。....私が飢えていたのは活字ではなく怠惰な快楽と現実逃避であった。』自分もそんな気持ちで手にした一冊だったのだろう!肩肘はらずに読めた一冊だった。
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「私が飢えていたのは活字ではなく」
書き手だからこそ言える一言ですね。
これも耳が痛いです。「私が飢えていたのは活字ではなく」
書き手だからこそ言える一言ですね。
これも耳が痛いです。2012/05/30
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100万回死んだ猫の作者佐野洋子さんのエッセイ集です。母親としての視点、娘としての視点などいろんな視点から読める作品になっていると思います。僕としては、ペットのブサイク犬モモのエピソードが素晴らしいと思いました。作者ならではの人生観が表現されていて、僕はこれが読みたくてこの方のエッセイ集を読んでいるようなものです。
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トイレ本として読了。
リラックスタイムにはもってこいの一冊。
「ちょっと、佐野さん。もっと素直に行き
ましょうよ!」と肩をポンとたたきたくなる
ようなエッセイ。
ちょっとひねた感じの著者の着眼点や見方も
十分楽しいけれど、この本の中に登場する著者
の友人たちというのが、これまた輪をかけて
ひねた人たちだったりして、ますます楽しい。
類は友をまちがいなく呼んでる。 -
「私は総ルビのアルス児童文庫を実にくり返しまき返し読み、いつか自分にもこの様な幸運と不運がめぐって来るのではないかと期待した。実際のところ、終戦の大連で、私達さセーラーどころではないせっぱつまった運命にかき回されていたのであるが、コーリャンのおかゆをすすりながら、なおかつ私はセーラーに同情していたのである。今、私は父を見上げた人間だったと思う。いかなる時も父から安手の同情をひき出すことは出来なかった」(p.15)
「「あなたはお転婆で、明るいけど、本当じゃないわね、本当に明るい人は黙っていても明るいのよ、あなたが静かにしているとこっちまで淋しくなる」 それが私への非難なのかほめことばなのかわからず、しかも、胸がドキドキして甘ったるく満足して、そして永久に傷ついた」(p.30)
最初の章がいい。
それにしても、たびたび伺える「インテリ」への反感と憧憬入り混じる感情、この市民的感性が、氏の作品がひろく読まれた要因のひとつなのかなと思ったりしたり。
「外へ出ると小さな広場で子供達が遊んでいた。ゴムとびをしながら歌をうたっている。私には歌と叫び声の区別ができない。そして私はここへ居るべきではない、早く自分の本当の家に帰りたい、と思う。帰りたいと思うと自分が旅しているとしみじみ思えて、ああ旅してよかったと思うのである。」(p.200)
「要するに母は自分の考えなんかないのである。あるのは世間の常識と後指さされる恐怖なのである。二十のときはボーヴォワールなんか尊敬した。女は女として生れるのではない女になるのだなんて神託かと思った。子供を産むとボーヴォワール? そんな人居たっけね、子供が居ない人はいいよ気楽で。これは私が云うのではない私の中の母が云う」(p.238) -
佐野洋子さんのエッセイ。こないだ読んだ『シズコさん』みたいじゃないお母さんのこととかやんちゃな息子のこととか書いてあった。
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皮肉だよねー
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784101354125 -
佐野洋子は、楽しい。肩の力を抜いて読める。
それは、彼女が本音で包み隠さず、こそこそと語っているから。もしくは、そう感じさせる筆力がある。
リラックスして、面白く読めます。 -
資料ID:C0018734
配架場所:本館2F文庫書架