- Amazon.co.jp ・本 (582ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101441214
作品紹介・あらすじ
大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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テレビ番組「探偵!ナイトスクープ」に寄せられた一通の投書。
”大阪の人は「アホ」と言い、東京の人は「バカ」と言う。ならば、その境界は?”
バカバカしくて面白い、という事で、調査開始。
東京駅から東海道を西下し、「アホ」と「バカ」の境界線を探る。
が、そこで予想外の出来事が起こる。
名古屋駅前で第3の言葉「タワケ」が出現したのだ。
また、番組出演者から九州では「バカ」を使うという証言も出る。
「アホ」「バカ」の分布は東西で単純に二分割されるものではなく、もっと複雑らしい。
番組自体も予想以上の反響があり、「アホ」「バカ」分布の調査はさらに大掛かりに。
全国を対象にしたアンケートも実施した。
その結果、見えてきたのは様々な種類の人を罵倒する(あるいは逆に親愛の情を示す)言葉の分布。
そして、その様々な言葉は、京都を中心とした波紋のように、何重もの同心円状に分布していた。
それは民俗学者の柳田國男が「蝸牛考」で提唱した「方言周圏論」そのものであったのだ。
当初、番組の1企画であったものが、放送終了後も著者は、継続調査し、方言に関する学会で発表するまでになる。
本書は、のべ3年にわたる「アホ」「バカ」調査の過程と結果をまとめたもの。
カバーの裏に「全国アホ・バカ分布図」がついている。
「アホ」「バカ」という言葉ひとつを取り上げただけでも、日本各地で様々な表現の仕方がある、というは本書で初めて知った。
この分布図を見て、「アホ」「バカ」表現の様々な種類に思いを馳せたり、自分が住んでいた地域では、どんな言葉が使われていたのかを探すだけでも面白い。
ただ、すべての言葉が「方言周圏論」で説明できるものではないだろう。
言葉の種類によっては、ある場所(街道、川や山脈など)を境にキレイに分かれているものもあるかもしれない。
例えば、言葉ではないが、うどんのつゆの関東風と関西風は関が原が境界らしい。
関が原は中山道・北国街道・伊勢街道の交差する場所で、大軍が集まりやすい場所であったため、「天下分け目の戦い」の場所になったが、同時に物流の分岐点(もしくは交差点)でもあったためらしい。
言葉の分布にも影響を与えていそうな気がする。
「全国アホ・バカ分布図」は、そういう想像も広げさせる。
ところで、全国各地の「アホ」「バカ」に相当する方言に共通するものは、直接、人を罵倒する表現ではなく、何かに例えるケースが多い、というもの。
間抜けな(と考えられていた架空の)動物に例える、仏教の用語を用いて、中身の空虚さを表すなどの例がある。
昔、新聞記事か何かで、恋人に会えない苦しい気持ちを着物の帯をきつくしてしまった事に例えた和歌を欧米の人に紹介したところ、「なぜ、直接、”苦しい”と言わないのか」という反応が返ってきた、という記事があったのを(おぼろげな記憶だが)思い出した。
「婉曲的な表現」を好むのは日本人の国民性なのだろうか。
他の国の「アホ」「バカ」表現と比較すると、文化の違いが明確になったりして、面白いことだろう。
とにかく、こういう「庶民が普通に使う言葉」にこそ、お国柄が出てくるのだと思う。
だが、このような言葉ほど、今回の調査のような事がない限り、注目されることもなく、使われなくなるとひっそりと消滅してしまう。
建築家ミース・ファン・デル・ローエは
「神は細部に宿る」
と言ったそうだが、
「神は”どうでもいい事”に宿る」
とも言えそうだ。
あくまで「ときどき」ではあるが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本を読んでいる、と50代半ば以上の知人に言うと、決まって「ナイトスクープの?」と言う。「探偵!ナイトスクープ」自体は知っていて、見ていたが、一企画がこれほど世に知られていたとは!テレビ界の色んな賞を獲っていたそうだ。
番組は、例の如く一視聴者からの調査依頼から始まった。関西はアホ、関東はバカ、果たしてその境界線は?!
当初の予定では、探偵のロケを見せ、失敗して終わるはずだった。しかし、番組終了後の上岡局長の指示により、調査は続行。さすがインテリ上岡龍太郎。
視聴者からのハガキに始まり、調査そのものの方法に試行錯誤し、全国の教育委員会へのアンケート調査、多数のアルバイトを雇い、伝手を駆使しての大学の先生方への聞き込み、数多くの一次史料をあたり、ともはやテレビマンの域を越えた学者ばりの調査。しかし学者と違ってテレビ局と言う一気に全国調査できる組織網と資金で調べ上げていく。
調べた結果は、柳田國男『蝸牛考』を遥かに超える、京を中心とした円が何重にも広がって行く、豊かな「アホ・バカ」のバリエーションだった。
番組では、その調査結果を元にした、大きな日本地図を作って見せた。
当初は言語の周圏分布ではなく関ヶ原あたりで分断、、という論調であった上岡局長も、今や作家・放送作家として活躍の百田尚樹も、著者の執念の調査に、完全に納得したようだった。
本では、その調査の過程、つまり著者の思考過程をも詳細に記し、ある時は同僚とのバカ話、ある時は故郷の思い出等も盛り込み、楽しい読み物になっている。
調べるにつれ、柳田國男が途中で自説を引っ込めた言語の周圏分布論に対して、紛れもない自信を持って行く著者。ついには、苦心して「アホ」と「バカ」の語源にまでたどり着く。
著者の一貫した考えとして、「アホ・バカ」は、人をストレートにけなす言葉であるはずがない。必ずなにかワンクッション置いた柔らかな意味が語源であるはずだ、と言う論で進めていく。
この姿勢が最終的な語源へとたどり着く拠り所となる。
読み終わった時、この本の副題にもなっている、はるかなる言葉の旅路を並走してきた感覚になる。私も日頃しゃべっている方言の見方が変わる。
ちなみに、この調査で調べ上げた「アホ」と「バカ」の語源については、かの有名な日国(『日本国語大辞典』日本最大の国語辞典)にも後に収蔵されるところとなる。 -
相手を罵倒する時に「アホ」というか「バカ」というか。その地域差…どこが区切りになるか。そもそもアホとかバカとかの語源は何か。
を、突き詰めて行く過程は非常に熱っぽく面白かった。
が、結論はどうも承服しがたい(感覚的にだけど)。 -
これで、探偵ナイトスクープがブレークした、懐かしい話です。
わたしが学生の頃なので20年以上前だよね。でも、今読んでも、おもしろいです。
ただ、差別用語に対しては、単純に嫌悪感を表明しているのですが、もしかしたら、それらの言葉も、元々は、違った意味、柔らかい意味があったのではないかと感じました。
はじめは、柔らかい意味であった言葉は、もしかすると使われていくうちにだんだんと、キツいイヤな意味を持って行ってしまう性質があるのかもしれません。
そして、その言葉が、古く、キツくなった故に、また新しい言葉が 生み出されなければならなくなってくる。
そのサイクルが、分布として残っているのではないかと思いました。
そして、かなしいことに、関西の「アホ」も、このころに比べると、だいぶんキツい言葉になってきたのかな~。
テレビで、聞くことも少なくなった気がします。
ボクらは、バカと言われるとキツく感じたけど、今の子たちは、アホと言われるとそれと同じぐらいキツく感じるのかも。
それは、今時の子どもの心が弱くなったとか、そういうこととは関係なしに。
そしてまた、なにか新しい言葉がうまれてくるのかなぁ。 -
かなり真面目にやっておられますし、内容も面白いのですが、なんせ分厚い。
途中で挫折しかけました。 -
出発はテレビ番組の企画だが、松本さんの考察と行動力がすごい。
方言とはなんなのか?認識が新たになる本である。
方言はかつてはほぼ必ず京の言葉だったのだ!
(もっと言うと京の言葉はさらに中国の言葉だった)
柳田國男の方言周圏論を年頭に、アンケート調査からその適用を見事に果たすプロセスが見事。
沖縄の「ふりむん」=「惚れ者」の解き明かしは一つのクライマックス。
そこから、罵倒語をめぐる日本人のメンタリティにも迫る。
バカの元々の意味が「狼藉者」という把握もすごい。そして、バカがもともと東京の言葉ではなく、実は京の言葉であったことも!
事実としては、かつて言葉が京から広まる速度が1年に1キロというのが面白い。 -
上岡師匠が亡くなられたということで再読。
ほとんど内容覚えておりませんでしたが、なかなか面白かった。本当に方言周圏論が理論的に正当なのか?この内容だけでは判断できませんでしたが、良い意味でテレビだから許されると。
とにかく楽しませること、そこには若干のいかがわしさがあっても、作り手も見る側も承知の上で虚構の中で真摯に踊る。
これ読んでいると現在のテレビってその使命を終えたのかなぁと思わなくもなく。 -
アホ・バカのような普段使っている言葉ではあるものの、非常に根気強い調査によって導き出された結論が語られており、意義のある研究だと思う。それがまた面白く語られるので、飽きることなく読むことができた。京都出身の私には京都が文化の発信元であったことが誇らしくもあった。
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日本語特に方言に興味がある人は必読。