音と言葉 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102024010

感想・レビュー・書評

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  • 難しい!わかんない!笑
    読むには勉強不足すぎました…。でも、演奏する側、聴く側に求められるものをどう考えているのかが何と無くわかった気がします。

  • 2021/9/28

  • 本当にも15年も昔に読んだ本だけど今大人になって読み返すのも感慨深い。

  • クラシックというのは、なぜ同じ曲を何度も演奏するのか。そういうプリミティヴな質問はよく聞かれるけれど、この本を読めば、その「同じ曲」の再現がいかに危うい状況から為されているかがわかる。「再現芸術」と言ってしまえば説明がつくようにも思われるけれど、けっしてそのひとことでは治まらない、楽譜から音楽への変換、歴史的な方法論、進歩によって破壊された方法論、方法論を超えた、再構築とも言える楽曲の再現。しかし自由奔放な解釈に対しては、極めて慎重にならなければならない――。

    この本はクラシックだけの話に収まらず、
    芸術そのものに対する態度にも触れている。

    「すべて偉大なものは単純である」

    これはゲーテの言葉だけれど、これがこの本のいちばん最初に置かれている。クラシックという相当に複雑な芸術に携わる人間が、これを引用したというのが面白い。

    少し長いけれど、その一文に関わる部分を引用します。

    「「全体の中に、魔神的なものが存在している」と芸術家ゲーテは言っています。非有機的な世界はこの種の「全体」を知りません。非有機的な世界は限界というものを持たず、ただ無限にひろがろうとします。ここで言っているような意味においての「全体」という概念を持ちうるというのは、我々自身人間として、有機的な生命に所属しているからなのです。私たちは有機的に思索し、有機的に感覚します。すべての有機体、すべての植物、すべての動物はこの意味において、私たちにとっての一つの「全体」を形づくります。
     一つの「全体」はこのように、「単純」でなければなりません。我々がそれを「全体」として見ること、すなわち、もうすでにそれを単純化しているのです。「総て偉大なものは単純である」ということは同時に、また我々が「偉大」として感じるものはすべて有機的な世界に属している、ということを意味します。

    我々の身に染みついてしまった、ただただ無限に拡がろうとする非有機的な世界観からは、単純で偉大なものは生まれ得ない。フルトヴェングラーは、科学の時代にあって、その単純である全体を掴むことが如何に難しいことになったかを語っている。それは、21世紀の今日も変わることなく芸術家の眼前に据えられた問題だ。

  • 少々品位のない評論集から、一気に格調高いエッセイ!?ニーチェとワーグナーの関係なんかもまさに下衆の極みだけど、著者にかかると芸術と哲学の切れない関係を表していてとても興味深い。ますます、クラシックが面白くなってきた。

  • 10年サイクル再読本

  • まず本書はクラシック音楽の伝統のなかで書かれたものであることに注意せねばならない。そこには、ドイツ的なもの、バッハやベートーヴェン、ワグナー、ブラームスの音楽があるのである。本著は、そのなかでも一流に属する思索であろう。

  • クラシック音楽を聴く者であればその名を知らぬ人はいないであろうフルトヴェングラー。

    言葉の一つひとつに重みがあった。

  • クラシックとどうしても折り合いがつかん当方では歯など全く立たない本。クラシック愛好家の皆さんがどう読むのか?それを聞かせてもらいたい。よって★評価はいい加減の極みにあるやも。
    唯一の手応えは、指揮者は音楽を通して作曲家と、更には社会と、人間と向き合うんだという命題に真摯に取り組む人達なんだということが垣間見えたことかな。

  • さっぱりわからん。。

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