- Amazon.co.jp ・本 (153ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102060124
感想・レビュー・書評
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数人の閑人が人の幸福について語るが誰一人幸福でないといった、結局口先だけで論じ合うのが関の山というプロローグから始まる本書。トルストイが考える人の真の幸福の生き方はキリスト教に答えがあった。理想(キリスト教)と現実(俗世)的な生き方をする登場人物2人の言い分はともに正論に思える。若き読者は老いるまで老いた読者は死ぬまでの経験する総てが本書150頁の中にあるかもしれない。読みながら自身の過去を想い、先を思い、右往左往する。《彼は喜びのうちなお20年生き延び肉体の死が訪れたのも知らなかった》果たして我が身は。
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俗世間での欲を捨て去りキリスト教に入ろうとするユリウスは、そのつど引き止められ、思い直し元の生活に戻っていく。はたして彼は自分の人生に満足を得られるのか。
小説の形はしているが物語の描写より、対話として語られる、「いかに生きることが人間の真の幸福か」にほとんどが費やされている。
ユリウスのように人生の酸いも甘いも身をもって体験した後であろう、晩年のトルストイが発するメッセージとしてみるのは興味深い。戦争と平和をこの後読み返してみたらまた別の味わいがあった。
他の作品にもある説教くささも感じられるが、テーマへのアプローチが真摯で胸に迫る。突き詰めた結果が虚無ではなく「光」であったなら幸福のうちに死ねるだろう。 -
トルストイは初めて。
揺れ方は面白い。人生のそれぞれのフェーズで彼が考えたこと、パンフィリウスが言ったこと、男が言ったこと、それらが含蓄に富んでいる。
しかし、あの結論で良かったのだろうか? 男の言うことは振り切ってよかったのだろうか。結局あの境地に至るのであれば、もっと早く教団に入っていても良かったのではないか。
結論の説得力のなさは、キリスト教徒として彼が生きている時間が圧倒的に短く、描写されていないからだろう。現世で暮らしいかなる事件を受けてどう変化したかというのは克明に描かれているものの、キリスト教はその外部として、伝聞で聞くだけだ。ほかならぬユリウスがどう生きるのか、どう壁にぶつかるのか、そこを知りたかった。 -
トルストイを読もうとしたら他はめっちゃ長かったのでとりあえずコレにした。よくやる手口。
淡々と宗教参加にゆれる男性を書いている。 -
国家権力、暴力を非難する箇所を除けば、トルストイの語る原始キリスト教と共産主義は似ている部分が大いにあるように思う。
だが、その根本が大いに違うところが肝要であろう。
主人公ユリウスが何度も迷いつつも、現世に立ち止まり、ついに老齢にてキリスト教に入って行く様子は、いまも同じだ。
若い日に神を覚えよとはいうが、神様が手元にお招きになるその時期は各人各様。
たとえ老齢であってもそれでよいのだと改めて思った次第。
しかしなぁ、トルストイは残念ながら、パンフィリウスの住まうところには行けなかったかもしれない。 -
キリスト教に馴染みない自分にとっては正直わかりにくかった。ただ、キリスト教に関するもっと知りたいという知的好奇心が湧いた。とりあえず、短いし何度か読もう。
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家にあったから読んだ。
キリスト教って良いのかなって思った。 -
借本。
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トルストイの時代のロシア正教の教義とは異なる、トルストイ流のキリスト教の理想像が描かれている。自身の考える理想世界を広めたいと考えていた、思想家・宗教家としてのトルストイの姿がここにあるように思う。私有財産の否定など、共産主義的思想の影響をうけたキリスト教原理主義的思想だなというのが私の印象である。
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先輩にすすめられて。
原始キリスト教と現在のキリスト教(プロテスタント)の考え方に大きな隔たりを感じた。