幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)

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制作 : 西村 孝次 
  • 新潮社 (1968年1月17日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102081044

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幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 幸福の王子は知っていた、、覚えていたのよりも大分シニカルな話だった。まずツバメの描写がそうだった。思った以上に俗っぽい存在であって、その心が変わっていく様は上手に描いているとも思うし、またツバメの存在はある種王子のエゴによる犠牲者としても描かれていて、一種の宗教的な存在への皮肉と言う側面も同時に持っている事は初めて気付いた。つまり王子という存在は理想でありながら、同時にその理想性ゆえに犠牲者を生まずにはいられない。また圧倒的な『善』の力が不幸を生むことも、他人を奴隷として従えることもあると言う皮肉が絶妙に表現されていた。
    最期の神の描写は、完全な皮肉だと捉えた。直前に出てくる政治家と同列の存在として描かれていたように感じた。最期に王子に与えられたのは救いではなく生き地獄だったのではないだろうか。
    王子は自分の栄華を生前に楽しみ尽くし、それによって幸福への執着がなくなっていた。それ以上に、死後像となって、人々の生活を見たが故に生前の自分との対比によって『人々から不幸を取り除きたい』と言う意志の元に、自分自身を犠牲にする尊く敬虔な精神の元で第二の生を全うした。そのような王子にとって大切なのは栄光でも黄金の庭で歌い続けることでもなく、ひたすら民の救済であって、神様のやったことと言うのは第一の生において王子の過ごした時間の焼き直しに過ぎない。ワイルドはどこかで決定的に『本当の善行は神にすら理解されえない』と言う絶望を抱えてあの作品を書いたのではないかと思った。だが、それゆえに尊いという気持ちも感じた。一種の迷いのようなものがあり、従来的な宗教心への反発と、本当の信仰の実現を志向していたのではないか。
    他の作品にも悲劇的なものが多かった。これで童話集といって良いのか。というの感覚があった。星の子なんかは、大円団で終わる王道の美談かと思ったら、最後の最後で諸行無常を織り込んでいて、そこまでして皮肉にしたいのか...と言う暗い影のようなものを感じた。

    全篇を通して『捻じ曲がった人間の本性』『人間の汚い側面』を、童話という形で描き出し、その中で同時に、その汚さと対置されるからこそ輝くであろう人間の純粋な思いや強い愛を描き出しているなと感じた。だが全体を支配しているのは圧倒的な諦観と、皮肉と、絶望であった。自分の社会的なものの見方と近いところはあったので共感は非常に覚えた物の、童話として読んでいて後味の良いものではないなぁと思った。

    素敵なロケットや忠実な友人等、箴言として捉えることの出来る会話が多彩な作品が多く、むしろ大人になって読むからこそ価値があるようなものも多いと思った。付箋の消費量が凄かった。

  •         ツバメのエピローグ

     以前、この本の真の主人公はツバメである、と感じたことがある。その思いは今も変わることはない。
     これは何の変哲もない普通のツバメが、幸福の王子に出逢って自らの生き方を変え、愛に殉じる物語である。
     物語とは、読み手の状況や感性によって、どのようにも変貌するものである。

     最初ツバメは南の国を目指して旅をする予定だった。温かい国で仲間たちと、のんびり平和に暮らすつもりだったのだ。毎日何も考えずに、気の向くまま、適当に恋をし、自由に飛び回り、それなりに人生を謳歌していたのだろう。
     
     しかし、王子との出会いでツバメの生き方は一変してしまう。
     この世に生きる真の意味を知ってしまったのだ。人生の同じ方向を向いて生きていける誰かと出逢い、お互いの魂に寄り添いながら生きていくということを。だれかと同じ想いを分かち合うことを。

     そうは言っても、王子とツバメは結ばれない運命であり、このまま王子の傍にずっといるということは、冬を越せないツバメにとって死を意味する。

     少しづつ冷たくなった外気が、冬の訪れを告げる。
     仲間のツバメたちが心配して、一緒に旅に出ようと誘う。王子もツバメに別れを促す。王子にとっても、ツバメは誰よりも大切な存在だったから。

     しかし、ツバメは王子の傍を離れることはなかった。
    例え死期が近づいても、昔いた世界には戻ることができなかった。もう王子と知り合う前ののツバメにはどうしても戻れないのだ。帰る場所はない。王子の隣しか。
     だからツバメは死ぬのだ。冷たい骸を王子の足元に転がせて。

     死ぬことでしか貫けない愛もある。それは人生の敗北ではない。
     
    さあ、高らかと人生を賛歌しようではないか。
    死は恐れるに足らず。
    我が愛は心臓を貫いて血を流そうとも、俗に落ちず。
    その清廉なる魂をとこしえに君に捧ぐ。
     

  • 人のことを上手く使う小悪党、貧しい人々の気持ちを推し量る王子の像など、悪サイドと善サイドが明確に分かれているが、両者が同時に現れることが少ない作品が多いと感じた。短ければ短いほど読みやすく、考えさせられるが、中には60ページ近い話があるので意識は必要かもしれない。

  • 英国ウェールズ出身の作家、オスカーワイルドによる童話短編集。
    文章、特に比喩が美しく宝石のように輝いているのが特徴なようだ。宮沢賢治を思い出させる。翻訳が古いので、やや読みづらく、読み終わるのにやけに時間がかかった。
    全編を通しての特徴としては、動物や植物が擬人化してあり、人の言葉を話す。主人公も長所と短所どちらも持ち合わせていて、童話らしくなく人間臭い。
    著者はゲイであるというだけで、収監されて不遇な晩年を送ったという。気の毒としかいいようがない。

  • 形のない権威・名誉・富・愛などを考えさせる短編集。
    キリスト教をベースとした価値観や文化・美術に関する描写に造詣の深さがうかがえる。

    若い王ードリアングレイの肖像を想起させる美と富の話だった。

  • 読んだのは表題作(原文)と、青土社のオスカー・ワイルド全集(1)日本語訳だけれど、すごく素敵な文章で何度も読みたくなる。
    古典もいいな。

  • 童話と言いつつ,今仮に保育園などで語って聞かせようものなら,保護者からクレームが殺到しそうな内容が多い.

    色々思うところはあるが,一先ず「すばらしいロケット」のロケット花火の,どこか憎めない感じが一番気に入った.

  • **心優しいヒーローになりたい方へ**

    自分がみすぼらしい姿になっても、
    人々のために尽くす心優しい王子。
    王子は私にとって永遠のヒーローです☆

  • 出口治明著『ビジネスに効く最強の「読書」』で紹介

    幸福な王子はなぜ涙を流すのか。哀れなナイチンゲールの好意が迎えた最期。全9編。

  • 『サロメ』で有名なワイルドの童話集。
    「理解されない愛」の物語が多く収録されている。己の身を擲つほどに愛しても届かない、或いは人々がそれを認めない。そのまま悲恋で終わるものもあるが(『ナイチンゲールとばらの花』、『王女の誕生日』など)、神様は見ていて嘉してくださった(『幸福な王子』、『星の子』など)という結末を迎えるものも少なくない。
    『漁師とその魂』は「魂の救済」というものを第一義的に考えるキリスト教文化の中にあって、どんな崇高な魂だろうと心が伴わなければ意味がない、心の中にある愛こそが大事なのではないかと訴えているように思える。同性愛の指向を持っていたワイルドにとって、己の愛を罪と糾弾されることには思うところがあったのではないだろうか。

    童話であるにも関わらず美文で、しっかりと読み応えのある文章。挿入されるエピソードがまた身分の違いのために暗殺された恋人たち、妃をミイラにして逢瀬を繰り返す王といった具合でおどろおどろしい。子ども向けとして扱うべきか疑問だが、そこがよい。
    繰り返し読みたい物語。

  • オスカー・ワイルド「幸福な王子」新潮文庫

    一応、ワイルドの童話全集みたいです。

    表題にもなっている「幸福な王子」は恐らくほとんどの方がご存知かと。子供向けの書籍としてもいくつか出版されている。

    しかし、もし自分の子供がいたら読ませたくない。

    ワイルドの童話はあまりに振り切りすぎている。

    社会主義とキリスト教がかなりギラつく内容も見受けられる。

    ほぼ全ての物語に共通するのは、献身と愛、そして痛み。それこそが全てであり、正しいことなのだと言わんばかりのドヤ顔が目に浮かぶ…。

    そんな9編のなかでも興味深かった作品は次の3話。

    「忠実な友達」
    「若い王」
    「王女の誕生日」

    特に「忠実な友達」とここには挙げなかったが「ナイチンゲールとばらの花」のラストは酷いけど、こういうの好き笑

  • 「幸福な王子」は小さい頃に絵本で読んでもらってたけど、それ以外は初読。「漁師とその魂」が一番すき。影が良い。最後再び一体になったとき、影には歓喜があったんだろう。次点が「わがままな大男」かな。前編を通して、童話っぽく書かれてるだけで童話じゃない印象。結構残酷。もともと童話にそういう側面もあるかもしれないけど。「星の子」も終わり三行がなければハッピーエンドなのにそれで終わらせてくれない。でもそれが良いのかも。

  • 『サロメ』を読んだ後で、偶々人魚の話を耳に。

    『漁師とその魂』
    『サロメ』を引き摺っていたので、此れもまた際どい愛憎劇かと思いきや、魂が独り歩きしている?かなり意外なお話でした。
    魂が振るう弁舌には、自然と異国情緒が揺り起こされます。

    ワイルドの中では、人格、魂、心、と、どういう風に区別がなされているのでしょうか。
    分かないことが多すぎて、気になります。解説を求む。

  • きっかけ:ビジネスに効く最強の読書/出口治明/20140823(67/241)

  • 悲しみに酔いたいだけなのか?と見せかけてそうなるだけだから偽善なんてやめてしまいなさいというお話か?

  • ある人が言いました。

    「私は『幸福な王子』がダイキライなの」


    僕は『幸福な王子』を読んで泣きそうになった。


    鼻につく宗教観のなかでも、
    そこに間違いなく
    生き物に大切な感情が
    しっかりと根付いているように思えたからだ。


    またある人は言いました。

    「善いことをすればそれでいいわけ?
     自己犠牲で幸福を感じろなんて
     それは嘘の善性だわ」


    その嘘の善性に、僕は心を衝かれているのだろうか。

    たとえそこが重く澱んだ湖の底であっても
    屈辱や悲惨を忘れるために
    陽の光を感じることがあったって、
    いいと自分は思いたい。

  • オスカーワイルドの童話集。
    途中で挫折。文章が仰々しいのは古い本だからだろうと読み続けたけれど、『若い王』で投げた。
    うん、これ翻訳ヘタだよね?言葉の古さは好きなんだけど、長い文章はたまに意味がわからない。
    後書きさえもくどい。

    しかも訳者の「解説」が差別的で胸糞悪い。
    1907年生まれが昭和28年だか42年だかに書いたものとはいえ。
    同性愛者とみなすことを侮辱と考えたら、読み方だってきっと歪む。
    話自体は読んでみたいから今度別の訳を探す。
    ⇒ 読んだ。井村君江訳の偕成社版。http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4036515403


    で、読んだ分の感想。
    「幸福な王子」は、素直に本を読んでいた子供時代はあまり好きじゃなかった。
    登場人物全員好きじゃなかったから。
    独善に気を取られて目の前のツバメのことを考えられない王子も、きっぱり断らずに結局王子にダメージを与えるツバメも、身勝手な人間たちも。
    「ごんぎつね」や「赤い蝋燭と人魚」みたいに、ありがた迷惑な展開になるならまだいいのに、こんなんで貧しさが解決しちゃうのも嫌だった。

    今読んでみたら、これは「ツバメが慈善に目覚める話」ではなく、「王子が愛を知る話」なのかもしれない。
    「(手にキスしていいかといわれて)くちびるにキスしなさい。わたしはお前を愛しているのだから」って恋の愛だよなあ。
    ツバメの愛も、葦への自己愛の押し付けと、王子への献身は全然違ってる。
    生前から遠くが見えなかった王子は、銅像になってもやっぱり目の前のことが見えてない。
    そういう、失ってはじめて気づく愚かさの話だろうか。
    神様のオチも含めて、この人の本は斜に構えないと面白くないかも。


    「ナイチンゲールとばらの花」も素直に読んだらひどい話。
    なにもしないで文句ばかりの学生も、理想をおしつけるナイチンゲールも、「○○をするから望みをかなえろ」という勝手な契約をする。
    どうせ勝手な(相手の了承を取らない)契約なら、願いがかなうと信じきることのできたナイチンゲールのほうが幸せなのかな。

    で、こんなひねくれた話2つの後にならんだ「わがままな大男」はまったくわがままに見えない。
    きれいな話には悪がなさ過ぎて普通に流してしまう。

    「忠実な友達」「すばらしいロケット」はセットで読むのがいい。
    モラハラする側もされる側もどっちも不幸だ。

  • 主人公が必ず死んじゃう童話に、子供たちは何を思う?

  • AZUKIさんも影響を受けたというワイルドから。おそらくだが、「Happy swallow」はここからきていると思う。
    アンデルセンの童話と同様、最も著名な童話。表題作をはじめ、ワイルドのすべての童話がおさめられている。
    ’愛’というものに裏打ちされた作品が多く、その残酷さ・美しさ・畏れというものがくまなくちりばめられている。やっぱり愛というものはそういうものなんだなと。
    作品の多くから、キリスト教が連想される。しかし、そうじゃなくても愛はひとりでできるものではないから、空回りも多いし見ていてつらくなる。愛するなら身をもって、そうじゃなければ真実(ほんとう)ではないような気がする。

  • ワイルドの童話は幸福な王子くらいしか知らなかった。子どもに聞かせていいのかな?と思う童話ばかりだった。(実際有名なのって幸福な王子くらいだし…)
    皮肉で残酷な話が多くて、幸福な王子以外に「良かったなぁ」と思える話がなかなかない…。そういうのも含めて素敵な童話でした。



  • 「魔の山」の夢から醒めきらない。


    「魔の山」はともかく重量級でおまけにとても時間のかかった小説だった。
    それを中和するにはどうすれば良いのかわからず放浪している。
    いやになってしまう。
    おまけに次に読んだモノがどういうチョイスか「野火」。
    深い理由もない。
    8月は終戦記念日がある月だからという単純な思いつきである。
    でもそれがまた重い。
    こちらは見た目ライト級、しかし実はチャンピオンみたいな。
    それでしまいには”ぐったり”としている。
    いやどちらかと言えば”しなびたほうれん草”のようにくたりとしている。
    潤いがほしくって、補給源を探した。
    そんな一冊、である。



    昨年読んだ中で一番を飾るであろう一冊が「ドリアングレイの肖像」。
    ワイルドは私にとって突如現れた英雄であった。
    しかしながらその後「サロメ」に手を伸ばし、なんだかしっくりこなかった。
    小説から戯曲に触手を伸ばした結果こういう感覚を得ることが私はとても多い。
    それに例え小説であってもミシマニアを自負しながらも、すべての作品を無条件に賞賛できるかと聞かれたら首は横に動く。
    今回も正直、そんなに期待は込めていなかったが「童話」という響きに安直な癒しを連想し手を伸ばしてみた。
    童話といえども”ワイルドの童話”である。
    我ながらどうかとも思うが、別れてもその後の動向はきになるもの、みたいな。
    そうしたらこれが大当たりだった。



    「幸福な王子」
    誰もが知っている有名な物語。
    私も小さい頃に読んだか、読んでもらったかの記憶がある。
    だから今さらこれを読んだところで新しい発見はないだろうと思った。
    でも、幼い頃の記憶というのは曖昧で、そして物語自体もグリム童話同様に多少の変更が行われていることが予期できる。
    曖昧な記憶を多少明瞭なモノにするのも悪くない。
    芥川同様に新しい何かがつかめるかもしれない。
    軽い気持ちで読みはじめて驚いた。
    こんなに心をすいと掬われるような格調高い表現がされているモノだなんて思いもよらなかったのだ。
    もともと私はリズムのよい文が好きなのだ。
    この本に限っては翻訳といえどもそのリズムを大切にしてくれている。
    ありがたい話である。
    それに加えて、この物語はとても響きの愛らしい言葉をして描かれている。
    そしてこの時代特有の聖書の香りを含んだ言葉の中に、ワイルドらしい現代的なウェットさが潜んでいる。
    それがまた私にはよく響く。
    「童話にしては子供にはふさわしくない」という意見もあるかもしれないが、常に教訓めいた美しいだけの寓話を求めるにはワイルドは適当な人選ではない。
    いくらワイルドが耽美主義者だといわれとうとも、ただの惚けと一緒にしてはいけない。
    結構なニヒリストなのである。
    その上で耽美主義者。
    そこがおもしろいのだ。
    逆に考えればそんなワイルドがこんなにも純粋な部分がかいま見える物語を書いたのはすごいともいえないか。
    確かに子供にはワイルドの童話の二面性はけして理解し得ないだろうと思う。
    しかし単純なファンタジーの部分に楽しみを得られるはずだ。
    それで、良いと私は思う。



    「幸福な王子」は勿論のこと「若い王」と「星の子」が気に入ったのだが、一番は「わがままな大男」である。
    いや、教訓的な教えは確かに薄いかもしれないが多少のねじりを含めて絶妙なのだ。


    「だってこれは愛の傷なんだもの、」


    両手両足に傷という段階で何となく予測できてはいたが、ここの件を読んで思いの外はっとするものを感じた。
    ワイルドに対する深い知識がないだけに、私はワイルドが『ゲイ』であったと言う部分だけを大きく取り、彼が信仰に厚い人物だと言うことをわかっ... 続きを読む

  • すごい人生を送って映画化もされたオスカー・ワイルド。
    どの話も切なくて美しい。
    自分以外の誰かのために一生懸命になれる人には
    幸せになって欲しいなぁ。
    献身的で優しい人が報われないのは悲しすぎる。
    見返りを求めるような優しさは美しくはないけど。
    童話だからオスカー・ワイルドの徹底的な美の追求が
    わかりやすく感じ取れる。

    大人になって読む童話は子供の頃読んだ童話とは全然違う。
    子供が読む童話は感性を金ぴかに磨きあげるのに対して
    大人が読む童話は感性にこびりついたサビを磨き落とす。
    そんな気がした。

  • たぶん、ワイルドがどのような作家か知らない頃に読んだように思います。表題作はあまりにも有名な、王子の銅像と友達になったツバメの話。童話とはいうものの、王子とツバメの語らいが静かに美しく(しかも知的である)、子どもっぽいハッピーエンドではないことに深く感銘を受けました。「ナイチンゲールとばらの花」「王女の誕生日」など、どれをとっても品良く、文章の間が非常に美しい。そして、一瞬の残酷さがキラリとのぞきます。これは「サロメ」などの他の作品と共通していますね。この美しくも残酷なきらめきが西村孝次さんの訳文からも伝わってきます。英語で読めるかたは一読されることをおすすめします。クラシカルですが、「こんな文章書きてぇ!」と思う文体です。

  •  なかなか生まれてこなかった私のために、両親はいわゆる全集ものを揃えて待っていた。童謡のたくさん収録されたレコードのついたもの、美しい絵柄の絵本、もっと大人になってから読むべく、海外文学の全集。母が訪問販売ものに騙されやすいせいもあるのだろうが、とにかく我が家にはそういうものがいっぱいあった。小さな私は、その中から母に物語を読んでもらうのをとても楽しみにしていた。自分で字が読めるようになってからは、私が友達に読んであげた。
    『幸福な王子』は、その頃に気に入っていた物語だ。他人のためにひとつひとつ、自らを失っていく王子、仲間から取り残されても王子とともに善行に尽くす燕。
     哀しいという気持ちもわからぬ子供であったあの頃はもとより、今再び読んでみても私は電車の中だというのに涙ぐんでしまった。
     先日友達が、電車で本を読みながら泣いている人を哂っていたが、私はそれを聞いてがっかりしてしまった。彼女は本を「読めない」人種で、それが悪いことだとは思わないのだが、その人種が「本を作る」仕事を希望しているというのが私には一番理解できない。
     感動を次々と伝えることこそ、私が出版業界に求めていることだからである。ゼロからの発信は動機として私は不純であると思うのだ。(2002/03/23)

    ■過去の文章をさらうのは、心の休まる作業ではない。21歳のときの私は、なんて美しい未来に胸を躍らせていたのだろう。毎日毎日、夥しい本を読み、脳のなかに世界を躍らせていた。過去、現在、未来、無数のものがたりを再生させながら。もういちど『幸福な王子』を読んだなら、私の純粋な情熱は戻るだろうか?

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