贖罪 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (637ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102157251

作品紹介・あらすじ

13歳の夏、作家を夢見るブライオニーは偽りの告発をした。姉セシ ーリアの恋人ロビーの破廉恥な罪を。それがどれほど禍根を残すかなど、考えもせずに──引き裂かれた恋人たちの運命。ロビーが味わう想像を絶する苦難。やがて第二次大戦が始まり、自らが犯した過ちを悔いたブライオニーは看護婦を志す。すべてを償うことは可能なのか。そしてあの夏の真実とは。現代英文学の金字塔的名作!

感想・レビュー・書評

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  • 第一部の舞台は1935年のイギリス。作家を志す13才の少女ブライオニーは、姉セシーリアの恋人であり自らも密かに想いを寄せる幼なじみのロビーに向けて、従妹のローラに対する破廉恥な行為を告発します。しかしそれは彼女の想像で創りあげた偽りの告発だったのでした。第一部で描かれるのはわずか2日間の出来事ですが、情景描写や内面描写がちょっとやりすぎなんじゃないのと思うくらいに詳細で、かなり読みごたえがあります。
    第二部はブライオニーの告発によって刑務所に服役した後、第二次世界大戦に従軍することになったロビーの視点で進みます。異国の地から追われながらの敗走という過酷な状況の中、セシーリアから届く手紙によって互いを想う気持ちを確かめ合うシーンが心に残ります。
    第三部は見習い看護師となったブライオニーの視点で進みます。ロビーを貶めた偽りの告発に対する罪の意識にさいなまれるのですが、「作家志望の文学少女」という、普通の人々とはちょっと違った自意識のあり様が面白いです。
    と、第三部の途中まで読んで、まあ普通にいい話だけど、詳細な描写にメインのストーリーが負けている気がしたので、世紀の大傑作とまでは・・・と思っていたのですが、ところがどっこい、読者がこの物語に対して思い描いていたであろう世界観を根底から揺さぶるような仕掛けが終盤に待ち受けていました。ミステリの分野ではまれに用いられるこの手法、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、この手の作品でお目にかかれるとは思ってもみませんでした。
    この仕掛けの箇所まで読むに至り、「贖罪」という分かりやすいテーマを掲げる一方で、ブライオニーが見た真実、ローラが見た真実、そして読者が思い描いた真実というように、真実はそれを見た人の数だけ存在するというのが本作のもう一つのテーマであると理解しました。あわせて、過剰なまでに詳細な描写に対して抱いていた違和感が納得感にすっと変わったのでした。恐らく多くの読者は読み終えた後、すぐに再読の欲求にかられるのではと想像します。
    いやはや、世紀の大傑作と呼ぶにふさわしいたたずまいが確かに本作にはありました。20年近く前の作品が今になって復刊された理由は不明ですが、もっともっと売れて然るべき作品だと思います。せっかくだから映画も観てみようかなあ。

  • 古典的な作品を好むわたしも、やっと現代的なイアン・マキューアンにはまりました。といっても21世紀初めの作品なので、遅れているといえば遅れてますけどね。

    で、やっぱり圧倒されました。
    長年読書をしてきて、本好きなのに、作家になりたいとは思ったことはないのですが、マキューアンの文章を読んで「書きたいなあ」と思わされたことは思いがけないです。

    まず、ヒロインたちの住む家(お城みたいな館です)の描写がなんともいい魅力。もちろん原文がいいのでしょうか、魅せられてしまいました。

    そしてプロットも小憎らしい。おとぎ話の要素とミステリーの要素、そしてホラー、ゴシック、、すべて満載。そしてあっけないカタルシスと余韻。

    「第一次世界大戦時」のルポルタージュ風の章は、現代のウクライナ戦争があるだけに臨場感がありました。

    大体、ヒロインが作家を目指している、作家になったらしい。というところがなんとも、興深いですかね。つまり小説好きを手玉に取ってまわしてるようなものですよぉ(笑

    これぞイギリス文学の骨頂かもしれません、と思いましたね。

    ところで、エピグラフに引いてあるオースティンの『ノーサンガー・アビー』読んでない、読まなくっちゃ。

  • いやぁもう、最高。本(活字で記されている)という形を痛烈に意識させられた。振り返るように思い起こすように数頁前に戻ったり、はっとして数章節前に戻ったり、果ては涙をぼろぼろ零しながら最初のページに戻ったり。書かれている事、いないこと。音声や映像ではなく活字であること。ブライオニーとマキューアンの罠にまんまと嵌まった私は、おいおい声を上げて泣きました。

  • 小説家が、小説の中で過去の罪を告白し懺悔することが「贖罪」となるのか、いわゆるメタフィクション(フィクションの中のフィクション)という形式をとった実験小説です。そもそも懺悔という行為自体が神の存在を前提としたキリスト教的なものなので、欧米人にはピンとくるテーマも、私のような無神論者にはあまり響いては来ませんでした。

    『贖罪』 (原題:Atonement) は、個人的な贖罪についての理解と必要性への対応に関して、イギリスの小説家イアン・マキューアンが2001年に書いたメタフィクション小説である。1935年のイギリス、第二次大戦期のイギリスとフランス、そして現代のイギリスという3つの年代が舞台となっている。小説が描いているのは、上流階級の少女のいくぶん無邪気な過失が生活を破壊したこと、彼女がその過失の影の中で成人したこと、そしてものを書くことの本質についての考察である。
    マキューアンの最も良い作品の一つであるとみなされており、2001年に小説部門のブッカー賞最終候補作となった。2010年にはタイム誌が、1923年以来の100の偉大な英語小説のリストに『贖罪』を加えている。
    2007年にこの作品は英国映画テレビ芸術アカデミーにより同名の映画に改作され、アカデミー賞作品賞を受賞。出演はシアーシャ・ローナン、ジェームズ・マカヴォイ、キーラ・ナイトレイ、監督はジョー・ライト。(Wikipedia)

  • この小説は一種の"メタフィクション"作品。メタフィクションとは、小説や映画、アニメなど創作物において、作中であえて「これは作り話である」と表現する手法のことで、つまりこの作品は「小説についての小説」「書くことについて書いた小説」である。
    「贖罪」 は、 第一部・第二部・第三部・ロンドン、 1999年 (エピローグ)の4つの部で構成されているのだが、第三部まで読み終えると、その最後には「ブライオニー・タリス ロンドン、1999年』と署名がされている。そして「ロンドン、1999年」が始まる。そこで、1~3部は、ブライオニーによる作品なのだ、と示され、エピローグで、(小説の中の)現在、1999年のロンドンに住むブライオニーが描かれる。

    この作品のタイトルでもある贖罪を、ブライオニーは、描くことで行おうとしてきた。『何事をも偽らぬことを義務と考え』 改稿を重ねて。 しかし、マーシャル夫妻の金に糸目をつけない法廷活動によって、59年間、出版はかなわなかった。そして、精神機能を失っていくことが既に分かっているプライオニーは、今朝、ヒールを履き敏捷な動きで車に乗っていく健康な従妹ローラを見かけた。だから自分が生きているうちに活字にすることは実現しそうもないことを認めざるを得なくなった。
    ブライオニーは考えてきた。『物事の結果すべてを決定できる絶対権力を握った存在、つまり神でもある小説家は、いかにして贖罪を達成できるのだろうか?』と。そして、今『神が贖罪することはありえないのと同様、小説家にも贖罪はありえない』と言っている。しかし、出版するための『場所を移し、いきさつを変え、粉飾を加えなさい』と言う提案には応じなかったプライオニーは、ロビーとターナーが幸せな結末を迎える、と言う最終稿にしている。 贖罪は達成されない、ふたりに宥されたとは思っていないけれど、その結末は『弱さやごまかしではなく、最後の善行であり、忘却と絶望への抵抗でもある』と思いたがっている。
    読者は知っている。ふたりが1940年には亡くなっていることを。だからこそ、改稿を重ねながら、1999年最終稿の結末にブライオニーが幸せな結末を書いたことは、非常に胸に迫るものがある。

    と、構成や内容についての私の感想はこんな感じなのだが、書評を読んだり、巻末の解説を読んだりすると、この作品が、なぜ【現代英文学の金字塔的名作】と言われているのかが、もう少し深く具体的に分かってくる。
    この作品には、イギリス文学を代表する作家たち (シェイクスピア、 オースティン、ウルフ、ボウエン等々) の作品を引用したり、ひそかに模倣したりしながら、イギリス文学の伝統が封じ込められているそうなのだ。 また、例えば、ロビーを『良き羊飼いのような外見』と表現しているのだが、これはキリストを指す定型句なのだそう。 こうした手法・試みが随所に散りばめられた作品のようだ。
    私自身は、海外の作品をあまり読まない。 現代作品でもそうなので、古典や有名な作家・作品についても知識が無い。だから、そのようなことに感心したり楽しんだりすることは出来ないし、なぜここまでこの作品が評価されているのかを真に理解することは出来ていないのかもしれない。それでも、表現の美しさや構成の面白しさ、描かれている内容について考えさせられること(愛、戦争のもたらす影響など)、そういうことだけでも、十分、読んだ価値はあったな、と思える。

  • これはキツかった…食事とか風呂とか挟んだけどそれでも6時間ぐらい掛けた気がする。
    世界的にも評価されてる作品だから良作なんだろうけど、私には合わなくて文字が滑って全く内容が入ってこなかった。

  • 自らのための備忘録

     「贖罪」というタイトルに惹かれて本書を買ったのはかれこれ15年ほど前のことでした。しかし冒頭の劇「アラベラの試練」の練習部分があまりにも冗長で退屈に感じられ、活字を目で追っているだけとなり挫折→BOOKOFFへ。
     最近、たまたま「つぐない」というタイトルに惹かれて見始めた映画が、あの『贖罪』が映画化されたものだと気づき、小説に挫折したのでせめて映画はと思い最後まで見ました。
     そうしたら、この結末を知った以上、もう挫折することなく一気に最後まで読み切れるような気持ちになり、もっと深く登場人物について知りたいと、一旦売った本を買い直し読むことに。以前は上下巻だった新潮文庫がいつのまにか一冊になっていました。
     「現代の名匠」「現代文学の到達点」「英国文学の金字塔」などと推薦句も読書欲を掻き立てました。

     読書感想というのは、作品や作者の評価であると同時に、読み手の読解能力や現在の感受性も自ずと評価されてしまうと思うのですが、私が歳をとりすぎて感性が鈍くなったからなのか、読解力が落ちてしまったからなのか、残念ながら「読書の喜び」が感じられず、「名作」を味わうことのできないもどかしさを感じた読書体験となってしまいました。
     早く結末に辿り着き、なぜあのような結末となったのか、その経緯や背景を知りたいという、だだそれだけのモチベーションで義務のように活字を「消化」していきました。特にダンケルクの描写は、私には苦痛でした。ロビーがなぜこの戦いに参加しているのか、それは冤罪のためなのか、それとも当時の成年男子ならば誰しもに課せられた義務なのか、もしかしたらどこかに説明がなされていたかもしれないけれど、私にはそれもよくわかりませんでした。
     そもそも「贖罪」とは、作中誰が誰にすべきことなのかも、実は私にはわかりませんでした。本当に償うべき人物は、あの日犯行に及んだ人物でだったのではないでしょうか。どうして13歳の主人公が一身に罪を償わなければならないと思い詰めたのか、私には腑に落ちないものがありました。わすか二日間のうちに、水盤での姉とロビーの姿を目撃し、心密かにロビーへの想いを抱いていた少女が卑猥な手紙を渡され、その上、図書室であのような場面に遭遇してしまい、さらにその夜の大事件を目撃してしまったというのほ、13歳の少女にとっては筆舌に尽くし難い大変な衝撃に違いないのです。少女は「故意に嘘の証言をした」のでしょうか?「思い込んでいただけ」ではないでしょうか?
     いつどの段階で少女は、真犯人に気づいたのでしょうか? ローラは? ローラはいつどの段階で気づいたのでしょうか? 真犯人に気づかなくとも、2人がそれぞれロビーの冤罪に気づいたのはいつだったのか。私の読み込みが足りないだけなのかも知れません。どこかに書いてあるのかもしれませんが、でももう一度、あの「アラベラ試練」「ダンケルク」を再読する気力はないので永久に私には謎が残るばかりです。
     ただ、上記のような経緯で映画を見てから原作を読んだので、映画では描かれなかった「アラベラの試練」が、親戚の子孫たちによって上演されたところに、何故だか胸がいっぱいになってしまいました。
     それでも、なぜタイトルが贖罪なのか、少女は思い込んでいただけではなかったのかなどとずっと感じ続けていたせいか、名作を心ゆくまで楽しむということはなく読了してしまいました。

  • 高校生の頃に読んだ記憶があったのだけれど、読み始めたらあらゆるシーンに全く心当たりがなくて、勘違いだったようだ。読もうと思って買ったまま積んでいただけだったのか、もしくは『初夜』を読んで、それを『贖罪』と勘違いしていたのか。
    とにもかくにも、大作である。1930年代の、邸宅と家族から始まる伝統的なイギリス文学らしさを発端としながらも、緻密に構成された伏線により、どれが真実だったのかが混乱させられ、結局、彼女の贖罪とは本当は何だったのか、というかそもそも贖罪は可能なのかーーといったような疑問を想起させる。一筋縄ではいかない、まこと複雑な構成。そしてオースティン的お家騒動もあり、悲惨な戦争すらある。しかしながら、私は読んでいて思ったのだけれど、複雑だし、凄いし、綿密だし、大作だけれど、こちらを揺さぶる「熱さ」みたいなものが、どうにも欠けている。長編小説だからこそ欲しい、懐の深さが欠けている、とも言えるか。とにかく長いこと読んだ割に、私の胸の奥のランプは灯らなかった。こういう残念さは胸に残る。悪い小説を読むより、「良いはず」の小説を読む方が奇妙な読後感を与える。
    こんなに凄いのに、なぜ心揺さぶられないのか。一説には私の感受性が死んでいるという線もありますが、思うに、登場人物それぞれに対して、それぞれの深くまで私が潜れなかったからなのではないか。ブライオニーの、自分の物語を頑なに信じたい文学少女らしい盲信も、自分の過ちに気付いた時の身を切るような痛みも、なぜか私に伝播してこなかったのだった。では、それはなぜなのか。これはおそらく小説技術の問題だろうが、ここまで来るとさっぱり分からずお手上げである。私に分かるのは、自分の胸の奥のランプが灯ったのか否かということだし、「熱さ」だけがランプを灯すことができる、ということ。
    でも、まあ文句のつけようがなく、大作と言えるものではあるのでしょう。まったく小説を読むというのは不思議な行為だ。

  • 全ての小説愛好家、必読!ウソから始まった衝撃の結末「贖罪」〜名作ゴン攻め「あいうえお」
    https://youtu.be/VSXtHigdqSI

  • すごいものを読んじゃったとまず思った。どんな悲劇が起きるか分かってたので、第一部は読み進めるのが辛かった。異様なまでに細かく心の動きや意識の流れ、情景を丹念に丁寧に描写していて、ついのめり込んでしまう。「ダロウェイ夫人」を思い出した。そして第二部からの怒濤の展開。ロビーやセシーリア、ブライオニーの運命が気になって読む手が止まらない。こういう事かと納得したと思ったら、あれ?という展開になって最後は呆然。作者のテクニックと企みに翻弄された。何でこんな傑作を今まで読み逃してたんだろう。

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