ケプラー予想: 四百年の難問が解けるまで (新潮文庫 シ 38-12 Science&History Collec)
- 新潮社 (2013年12月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102184714
作品紹介・あらすじ
17世紀初頭、大科学者ケプラーは、「同一の球を最も効率よく三次元空間に詰め込む方法は、果物屋のオレンジの積み方と同じ」という予想を立てた。が、一見簡単に見えるこの命題の証明にかかった年月は実に400年。「フェルマーの最終定理」に並ぶ超難問として知られ、20世紀末に天才数学者ヘールズがコンピューターを駆使して最終証明を果たした問題を巡る感動のノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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数学の未解決問題を扱った読み物。未解決問題には、フェルマー、四色問題、五次方程式、ポアンカレ、リーマン予想などいろいろある。未解決問題は定義がわかりやすいがなぜか解けない問題だ。時間も長いし登場人物も多く、読み物の題材としては良いものだ。ケプラー問題は、別名、球の最密充填問題とも呼ばれる。直感的には、面心立方、または六方最密が解なのだが、厳密な証明が最近まで得られておらず、コンピューターによる力技で解かれた。個人的には、関連する接吻数問題(一つの球に最大何個の球が接することができるか)の方が興味深いのだが、あまり掘り下げられていなかった。
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『フェルマーの最終定理』に続いて、長年解けなかった問題の解決シリーズ。
予想していた通り、4次元を越える話は頭がついていけないし、しかもこの問題が解決して一体何の役に立つのか、と思いながら読み進めると、終わりにかけて役立つ例が示されていた。
金属の結晶構造であるとか、船にコンテナを積み込んだり、飛行機やトラックにパレットを積み込んだりするときなど、いわゆる「オペレーションズリサーチ」という数学の分野で役立つそうだ。「オペレーションズリサーチ」って、まさに直前に読んでいた『工学部ヒラノ教授』の著者が教鞭・研究していた分野ではないか。偶然の一致に一人で感動していた。 -
「大きさの等しい球を最も効率よく3次元空間に充填する方法は果物屋の店先にオレンジを積み上げる方法である」というのがケプラー予想を一言で言い表したものです。理系の人なら化学の授業で結晶の充填率を求めた時、六方最密充填の結晶格子と言えば思い当たる人もいるかもしれません。
直感的には当たり前に近いことなんですが、これを厳密に証明するのはとてつもない困難が立ちふさがり、この予想が証明されたのはなんと西暦1998年、ケプラーがこの予想を提言して約400年後のことでした。
ところがその証明がコンピューターをフルに活用した手法であったため、数学界にはそれを証明とは認めないという考えも出てきます。同じ理系の学問でも、物理学や化学といった実験系とは全く異なる厳密性を求める数学という学問が抱える独特の性質を、わかりやすいエピソードを駆使して表現する良書です。何より、この手の科学系の本の翻訳として最も読みやすい青木氏の翻訳なので、安心して読むことができます。
証明そのものの内容は一般読者には難解過ぎるので、その点への理解を求めるのではなく「あー、こんなにいろんな人が関わってたんだ」ぐらいの気持ちで読むのがいいと思います。 -
サイモンシンと比べると読み難いですが、何とか読み通しました。
前半部分の証明は全く意味が分からなかった。後半になってようやく、そもそものケプラー予想の意味合いが理解できてきて、何とかというところ。 -
興味深い題材なのですが、
残念ながらちょっと専門性そしてくどさに難が。
恐らくその手の知識がしっかりある人であれば楽しめるのでしょうが、
素人の私にはついていくのに困難を覚える部分があり、
それが退屈さにつながってしまいました。
一応全部読んだのですが、
中身はまだ楽しいと感じられた前半しか覚えていません…。
でも悔しいのでいつか再読したい。 -
四色問題と同じく、証明にプログラミングを用いられたケプラー予想の話。ケプラーを始め、登場する数学者の人となりも紹介されている。格子条件付ではガウスが証明済みだったり、使用されたプログラミングに線形計画法が使用されていたりと、なかなか面白かった。ただ、Vセル・ボロノイセルや、分割されたセルを球で効率よく埋めるパターンの網羅は難解だった、というかあまり理解できなかった。
ちなみに2014年、Flyspeck projectにてケプラー予想の証明の証明が100%完了したとのこと。 -
ケプラーの人物像など考えたことがなかったので、最初から楽しく拝読。
後半は、ケプラー予想が解けるまでの色々。数学界でもこんなことがあるんだなぁ・・・と。
そして、最後のコンピュータを使った照明は、「フェルマーの定理」の話と対比されて評価されていることも印象的でした。
数学界も意外と保守的なのかなと思ったり、証明の定義を変えれば済むだけのことなのか、それでもきっと違う証明ができるんじゃないかなぁという気も思ったりしながら本を閉じました。 -
図書館で借りたのですが、到底期限内にさっさと読める本ではないので、貸出期限を2回も延長して、さらにこれはムリ!という説明部分は端折って読みましたが、ついに読破しましたよ。
ガウスやケプラー、アインシュタイン、エルデシュなどの有名人以外にもたくさんの、しかも超優秀な数学者たちがこのケプラー予想の証明に関わっていて、その1つ1つの物語がとてもおもしろかったです。
しかし、数学者という人たちは、ほんとうにすごい人たちですねぇ。あらためて驚嘆いたしました。
数学の証明の世界にもコンピュータが入り込んで、400年来のケプラー予想が証明されたわけですが、
音楽のレコードとCDのように、数学の証明の世界でもアナログにデジタルが入り込んで来ているのですねぇ。 -
400年の難問というが果物屋からすると証明する必要もない事実で、物理学者ですら証明の必要を感じない。しかしあくまで論理的に解決しようとするとコンピューターを駆使してようやくたどりついたのがケプラー予想だった。コインを一番ぎっしり並べる方法は?真ん中に1個で周りにぴったり6個、納得できる答えだろう。それでは3次元の場合にはどうか。「1個の球の周りに12個の玉を配置したものは、可能な限りもっとも稠密な重点方法である。」これがケプラー予想なのだが、オレンジを屋台にきれいに並べるとこの配置になる。1段目はコインと同じく6角形に並べ、2段目からはその窪みに並べて行く。QED? しかし話はこれでは終わらない。
意外なことにもう一つの並べ方が実は存在する。1段目には正方形に並べ2段目には同じく窪みに並べる方法がありこれでも結果としては1個の球の周りに12個の球が充填される。しかし実はこの並べ方は上のものと全く同じで見る角度を変えただけのものになる。さらにもう一つ問題が見つかり球の中心が正十二面体になる並べ方もある。球の真上と真下に1つずつ、そして北半球に5個南半球にずらして5個これでも12個の球が中心に接触する。しかもこの配置の場合上下の5つはわずかに動かせるので12個を接触させる方法は無限にあるのだ。
1611年に天文学者のケプラーが出したこの予想は1831年数学者ガウスによって一部証明される。ガウスといえば1から100までを全部足しなさいという学校の先生の問題を一瞬で答えたという有名な逸話の持ち主だ。ゼーバーという並の数学者が248ページ、内定理の証明に91ページをかけた論文で弱い証明と予想を「機能的な方法により見いだされた奇妙な定理」と呼び、わずか40行ほどの説明で格子状の配置であればケプラー予想が成り立つことを証明した。
最後の1988年にミシガン大学のトマス・ヘールズがコンピューターを駆使して完全な証明を果たすまで約400年、関わった数学者は150人を超える。関連して表れる問題もいろいろあり、例えばニュートンは1個の球を接触して取り囲める球の最大の数は12個か13個かというケプラー予想のちょうど裏側の様な問題を12個と予想している。ここで気をつけないと行けないのはもし13個がこの問題の答えでもケプラー予想の答えとはならないということだ。
ヘールズは球が接触する点を結んだネットを想像し、点が作る3角形、4角形・・・と場合分けしてケプラーの配置の場合が8点になるような値を置き他のケースでは8点を超えることはないということを順に場合分けしてコンピューターに得点計算させていった。最終的にヘールズは5093通りのネットを調べ、博士学生のファーガソンが残る1個正十二面体とおなじく5角形が12個ある配置「ダーティダズン」を調べた。ここで面白いのは正十二面体配置は部分的にはケプラーの配置よりも重点密度が上がるところだ。しかし、正十二面体は空間を完全に埋め尽くすことはできず隙間ができてしまう。密度が均一にならないので空間全体ではケプラー配置に軍配が上がる。
こういった問題は一体何に役に立つのかというと、例えばリゾート開発でブロックを同じ面積に分ける方法だったり、携帯の基地局を最も効率的に配置する方法だったりする。自然界でも雪の結晶や蜂の巣が六方最密充填になっているように見える。雪の結晶が6角形になるのはある条件においてなので実は必ずではない、自然の配置は最も効率が良さそうに思える。蜂の巣は同じ空間に出入り口付きのセルを最も壁の量を減らす方法と考えれば良いのだが実は変形の5角形を組み合わせた方が効率的だということも見つかっている。人間に1ポイント。
巻末の付録では55ページに渡り様々な証明がさすがに一部省略しながらのせられているが、とてもついて行けない。多分一番数学に触れていた高校の頃でもこれは無理でせいぜい証明の気配を感じる程度だ。訳者の青木薫さんは「考えてもみてほしい。もしも数学という土台がグズグズだったなら、科学者は何を頼りにすればよいのだろう?」と書いてはいるがせいぜい算数程度しか使わない化学屋としてはグズグズの世界でおなかいっぱいだ。