- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103030218
作品紹介・あらすじ
12万体におよぶという異形の神仏像を彫った仏師・円空。謎多き生涯や、創造への歓喜あふれるその芸術性、深く篤い宗教思想を読み解きながら、円空を日本文化史上の重要人物として大胆に位置づける、渾身の力作500枚。
感想・レビュー・書評
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江戸、1632年美濃生まれ。7歳の頃、幼くして母を亡くし、浄土真宗寺に入り出家する。
20代前半、白山信仰と出会う。密教を学び、神仏習合に触れる。洲原神社を詣り、西神頭家と出会い、仏像作りをはじめた。
各地に仏像を刻み表しながら、修験道として、各地を回り、旅をし続けた。弘前、むつ、津軽、北海道。美濃。伊勢志摩。飛騨高山。愛知、岐阜を中心にして、十二万体の造仏を目指したとされるその軌跡は、関西から以東の日本中に示されている。
神仏習合という、日本が手にした思想は、泰澄が導いた白山信仰がその嚆矢となった。
水の仏、十一面観音への信仰は自然への崇拝からはじまった。澄んだ水をもたらす白山。白山の雪解け水は川を流れ、田に水を運ぶ。農業という営み、生きるための恵みを人間にもたらす。自然への尊崇と、仏教が結びつく。日本本来の自然を表す神々と、仏教という生きる意味を見出すための方法が合わさって、生きることの新しい在り方を作り出したものが、白山信仰という姿だった。農民といふつうの人々にも共感できる、神様、仏様の世界。神仏習合は日本らしい、日本という風土にあった、文化になっていく。
8世紀の天然痘の流行。人口の25%が死亡したと伝えられる状況に、泰澄がその祈祷で悪疫を鎮めたという伝説が残っている。疫病とパンデミックは、鎮魂と国家の再編という目的で新たな日本の形を作るきっかけとなった。仏教という信仰の力を取り込んで、鎮護国家のための国分寺・国分尼寺、そして東大寺の建立という大事業が行われた。仏教を国家の背骨に据えることに、日本の神々も手を貸し手を取り合うという物語が紡がれ、そもそも、仏の姿形を変えた存在が神であったという、同一の存在だという本地垂迹の捉えが、新しい国、社会、日本を作っていくことに何ら誤謬を与えない、なめらか変革をもたらした。天皇家の氏寺として、東大寺ができる。興福寺を中心とした奈良仏教勢力が抵抗したことにも、八幡信仰、仏教守護の神となる八幡大菩薩が宇佐から東上し、行基が従ってその祝福を表したことで、新しい宗教国家システムが有無をいわさず成立することになった。泰澄からはじまり、行基が現われ、神仏習合という日本らしい想像力が社会を形づくり文化を為していった。その線上に円空も生きていた。
円空が抱いていたのは、白山信仰と弥勒信仰だ。
江戸という時代はすでに末法の世。釈迦の時代、正法ははるか彼方。像法もとっくに過ぎて、世界はもう末法を生きていた。正しき仏の道は大きく失われ信仰は消えかけている。そんな時代を円空は生きていた。とてつもない長い時間をかけて、仏になるということや救いを得るということが、選ばれた特別な人間だけではなくごくふつうの誰でもが手に入れることができるものだと、仏教という姿がいまの形に辿りついたことと、その素朴さ、誰でもが簡単に手にはいるといことの代償として、仏や信仰が大きく消えかけている、そんな状況に円空は生きていた。それらを守るためにこそ自らが生きるのだということを信じていた。誰しもが仏になれるんだよ、という思いと、失われつつあるものでもそれらは決して消えていかないという信頼。日本の神々が昔もいまも仏を護る存在として息付いているということを、木を彫り、木という姿の神、仏の姿を取りだすことを追い求め決してやめなかった。56億年後という未来に必ずある、弥勒菩薩が仏陀となって表れすべてが救われるという物語が、円空を生かしていく信仰だった。
‘円空は自らを「乞食沙門」と名づける。彼はまさに乞食の如き生活をしていた。彼の住んだところは主に人里離れた山の中の岩屋、あるいは町に住んでも、襖もなく寒い風が吹きつけるあばら家であった。そしてぼろの墨染めの袈裟を着て、妻もなく、世間に関わることもない身だとつくづくわが人生を顧みているのであろう。
…円空は斑鳩の法隆寺で修行し、法隆寺の僧・巡堯春塘から血脈を授けられた。そのような自分が、住む家も持たずに飢えに苦しんでいる。乞食は、釈迦が一生にわたって行なった行である。良寛もまた寒い越後国で乞食を行うことによって、釈迦のように仏になろうと志した。円空もそのような乞食を行うことによって釈迦と等しい人間になろうとしたのであろうが、乞食生活は苦しい。彼はしばしば飢えに苦しんだことだろう。
…「かつかつ守玉のおもかな」というのは、やっと命を守ったという意味であろう。ひもじい日々が続き、生き続けられるかどうか分からない。そういう時に誰かが餅をくれた。その餅はすばらしい餅であり、神ではないかと円空は喜んでいるのである。
…飛騨の冬は寒い。その寒い冬に円空は薄い袈裟しか着ていない。良寛も、灯もない部屋で寒い冬の夜を過ごす孤独を歌っている。円空は良寛以上に、灯もない部屋で薄い衣をまとって寒い冬の夜を過ごす孤独を味わったと思われる。しかし、円空は、そのような生活に結構満足しているようである。
…良源が完成させた「天台本覚論」は、天台仏教と真言密教を総合したものであると私は思う。そしてその中心思想は「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現される。つまり、一木一草すなわち動物ばかりか植物も含めたすべての生きとし生けるものの中に仏性があり、生きとし生けるものはすべて成仏できると言う。それゆえに深山にある杉の木にも仏性があるはずである。その杉の木に仏の形を写すことは、極めて自然な行為である。この歌はまさに円空仏制作の精神そのものを物語っている。
…こうして深山の木は苔の下に朽ちもせず、円空によって仏とされ、後世長く人の世を照らす鏡になった。円空が作った十二万体の仏像は今や数千体しか残らないが、それらは芸術的にもすばらしい作品であり、そしてまた仏法のすばらしさを教えるものとなたtのである。私もまた円空仏と出会うことによって、いっそう仏教の教えの深さが分かるようになった。円空に対して深い感謝を捧げたい’
楽しそう、嬉しそうに、仏像が佇んでいる。お顔が、温もりに溢れている。それを見るだけで、円空がこの世をどう生きたのかがぼくたちにも伝わってくる。乞食という生き方は、何かが不足しているのではけっしてなく、その反対に、これだけは手放さないと、これこそが自分が持ち続けたいものだと、自らの生をかけて示すものを手に入れていることの喜びが溢れていて、すべてが満たされているのだと、僕は思う。仏さまの、神さまの微笑みや何ともいえない慈愛がこぼれおちるような表情や佇まいが、やさしくてあたたかくて、いつまでも見ていたくなる。明王や護法神たちの、荒々しい様子も、同時に愛嬌や剽軽が存在していて、その滑稽さがこちらを微笑ませてしまう。円空が取り出した像は、末法の世に長く存在し続け、いまの僕たちにも、そこに生まれ生きていた命の、世界の姿をじんわりとでも確かに想像させてくれる。
仏になるとはきっと、大切なものを見出して手放さない、それだけは自分のそばに置き続けるという、迷うことのない生き方に出会う、その幸せのことなのかもしれない。 -
★★★☆
作者說明円空的傳統系承襲泰澄,行基,雕木雕佛,並且完成神佛習合的思想。円空從美並村白村信仰開始雕刻生涯,並且前往東北北海道旅行,回到故鄉,又再前往伊勢等地旅行。作者將其生涯第一階段白山信仰的寫實時代,第二階段彌勒信仰和護法神時代,第三階段是確立獨自的白山信仰以及三尊像的時代(十一面觀音、善女龍王、善財童子)。另外作者還針對他的和歌和繪圖進行說明。作者也對部分円空學者的見解提出批評。
這部作品雖然入手時覺得蠻厚的,但感覺內容意外地淺顯,甚至有點好像還不足以成書的感覺,跟作者其他的書比起來厚度累積略嫌不足,毋寧說是針對先行研究加以批評,然後就時代順整理円空的足跡。就思想部分的挖掘,個人期待應該要更深才是。此外這本書作者提到自己的身世,從小和母親死別,成為伯父養子的經過,因此他對圓空的解釋充滿自己對母親的思念,這讓我想到他對法然的解釋,兩位都相當執著於女人成佛。當時讀到法然還沒有特別的異樣感,不過這本的解釋不禁讓我覺得似乎對母親的意念這種作者個人的投射過度地強烈,是否可以盡信?
無論如何這本書確實引起我對圓空強烈的興趣。也不禁感嘆,美術史主流以外很容易被忽視。說奈良時代都是金銅佛,說鎌倉時代之後雕刻已走下坡,美學意識是如何云云,這種概括性的主流說法其實排除了很多特殊性,也讓這些特殊性(不管實態如何)的光芒被掩蓋,相當遺憾。 -
4-10-303021-6 374p 2006・10・30 ?
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笑いが究極!
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「隠された十字架」を読んでから思ってますけど梅原さんの批判って結構鋭いというかキツイですよね。相手の学者さんがまだご存命だったら絶対喧嘩沙汰ですよ。
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東京国立博物館で「仏像」見て、円空の作品に感化された。哲学者、梅原猛もここ最近、円空のとりこになっているらしい。円空の仏さま、もっとたくさん見たい。
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未読。11月15日購入。