- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103040521
作品紹介・あらすじ
泣いてるのはたぶん、自分の無力さに対してだと思う、わかんないけど。海辺のちいさな部屋で。もう二度と訪れることはないかもしれない東京で。延々と改装工事が続く横浜駅の地下通路で。そして、タイの洞窟にサッカー少年たちが閉じ込められていたあの夏、きみは部屋から姿を消した。どうしようもなくこんがらがっていく世界を生きるわたしたちの姿を演劇界の気鋭が描きだす、15年ぶり待望の第二小説集。
感想・レビュー・書評
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チェルフィッチュの演劇はまだ観れていないけど、岡田利規の書く小説はやっぱり好き。けっこう短めの小説が多く、長めのものが読みたいと思っていたので、表題作「ブロッコリー・レボリューション」を読めてよかった。三島由紀夫賞受賞作でもある。そりゃ獲るよ、獲らなくたって勝手にあげる。
(本書でも、語りの視点に関してもいろいろ実験的な試みがなされている。例えば1人称であるにもかかわらずなぜか語り手が全知であったりして)
表題作は2人称小説。語り手の男はある時ふいに妻に去られた。その妻に語りかけるかたちで、以後、妻がタイで暮らす様子が語られる。
が、繰り返し、「ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども、」と書かれているとおり、「ぼく」は妻の行方を知らないながらも、失踪した妻のその後を把握しているというねじれた構造。そこが不気味でもある作品。
岡田作品の特徴としては、描写はかなり正確。例えば、横浜駅がかなり執拗に描写される。
同時に話し言葉が妙に生々しく、両者がせめぎあいながら小説が進んでいく。たいしてストーリーもないのだが語り口が魅力で読み進めてしまうのだ。
可笑しみも、ある。「ショッピングモールで過ごせなかった休日」の、奇妙なラップには爆笑させられた。基本、ゆるい語りが笑いを誘う。しかしこうした可笑しみはすぐに、やるせない悲哀へと転化させられる。
意外にも、岡田作品を底のほうで駆動させているのは、激しい"怒り"ではないかと気づいた。
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内容(駅で立ち尽くす人、パン屋)の面白さの分、語り手の不明瞭な(誰かは分かるがどの視点から、というのが曖昧)文体は良かったが、小説としての終わり方、一挙手一投足の説明に違和感を感じてしまった。
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一文が長く、ひらかれた漢字が多く、段落も少なく、と話によってはとても読みづらさを感じてしまった。視点がマクロになったりミクロになったりした点はユーモア。
表題が1番好きだったけど、どの話も起承転結が曖昧で不思議な読書体験だった。 -
村上春樹に近い文体かな?
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そこで起きてることやその人の気持ちを知らない人の側の視点で語られる。ストーリーに盛り上がりとかはない。自分には読みづらい文書だった。
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めっちゃ面白く読んだ。岡田利規ってもっとなんていうかシラけている感じがあると思ってたけど、ここに収められてるそれぞれの短編も表向きそのような他者性というのを低体温な感じで描写しながらではあれ、そのじつ、かつてはここにあったかもしれないけれど少なくとも今はここにはない何か、みたいなものを信じようとしているのかもしれま千年、それはやはり暗澹たる時代のせいなのか?
楽観的な方のケースが最もお気に入り。 -
岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00627582
海辺のちいさな部屋で。もう二度と訪れることはないかもしれない東京で。延々と改装工事が続く横浜駅の地下通路で。そして、タイの洞窟にサッカー少年たちが閉じ込められていたあの夏、きみは部屋から姿を消した。どうしようもなくこんがらがっていく世界を生きるわたしたちの姿を演劇界の気鋭が描きだす、15年ぶり待望の第二小説集。(出版社HPより) -
2022年の小説にしては、古い印象がしました。80年代のポストモダン小説だと言われれば、違和感なく読めたと思います。
人称や小説の枠組み自体を操作しようとする意気込みは感じられますが、その意気込み自体が古めかしさを漂わせ、それはいいとしても、よくある実験小説の枠組みからは抜け出せていないように思えました。言葉選びは良かったです。