記憶の中の源氏物語

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著者 : 三田村雅子
  • 新潮社 (2008年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (508ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103110118

記憶の中の源氏物語の感想・レビュー・書評

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  • 細かい文字であとがきを入れて500ページとかなりのボリューム。歴史を追ってその中で「源氏物語」がどう生きてきたかが書かれている。「源氏物語」の文学への影響は感じていたが、権威や歴史へも影響し単純に千年も読み継がれてきたものではないことを知る。青海波の舞、信長、秀吉、家康、7度もの書写をした書写狂いの松平定信、国芳も登場する幕末源氏ブームの頃、明治で消し去られるかと思いきやの復活、与謝野、谷崎の現代語訳。その他興味あることが書かれていた。歴史とともにどのような人々に読まれ、愛され、利用され、非難され千年紀を迎えたか。「源氏物語」に歴史ありだ。

  • 松平定信が源氏物語を7回も書写していたとは知らなかった。

    親も夫も自分も源氏物語まみれの人生らしいが、それにしても売れそうにもない本を3800円の値段で新潮社が売り出す理由は何だろう?

    真面目な本ではある。

  • 一口に源氏物語1000年と言いますが、考えてみればこの間、いろんな人に多くの影響を与えてきている。実は、光源氏を意識した天皇、親王、将軍、政治家たち。そして、実は源氏に登場する不義の子と同じような位置づけの人たちが、崇徳院、清盛をはじめ多くいたこと。また、万世一系といいつつ、その流れからはずれてしまった天皇は光源氏を意識して!? 「光」がつく名前が多いというのは驚きでした。いろいろな時代に跨る光仁、光孝、光格天皇たちです。そして院政期の「青海波の舞」が物語中の光源氏を演じようとした時代背景の中から来ているということも説得力があります。源氏物語が反天皇制のようでありながら、天皇制強化に繋がってきたのではないのか?或いは軍国主義とは絶対に結びつかないが、戦前の道徳では光源氏の一夫一妻として藤壺はおろか、紫上以外の女性が全く捨象されたというのは、面白い話です。分厚い本ですが、実に楽しく読みました。

  • 源氏物語の受容のされかたを各時代ごとに追った論考です。平安時代から昭和まで様々。こういう本が読みたかったのよね〜と思いました。これだけ厚くて3800円はお得。私は特に江戸時代に源氏物語がどのように受け止められていたかが気になるので、読み進めるのが楽しみです。三田村先生の源氏物語研究、もっと評価されるべきだと思う。

  • 今日では古典の原文を尊重するという風潮は廃れてしまっています。すこしでも難しいとなると、現代風の訳文がデカイ顔をしてのさばります。『源氏物語』などはその最たるものですが、かつては原文が絶対的に優位でした。そこに権威があったというわけです。これを突き崩すきっかけになったのがアーサー・ウェイリー訳で、世界的に『源氏物語』が評価されるようになります。正宗白鳥は、「翻訳も侮り難いもので、死せるが如き原作を活返らせることもあるのだと、私は感じた」といった挑発を文壇に投げこみました。

    これに反応するのが、与謝野晶子であり谷崎潤一郎でした。おもしろいのが、晶子は男らしく、潤一郎は女っぽい訳となります。谷崎は冗長な文体でもって積極果敢に独自の『源氏物語』の世界を構築していくのです。このあたりの、戦前の検閲などをふくめた紆余曲折は本文にあたってみてください。谷崎の源氏に没頭した経験はのちの『細雪』に生かされた、というオーソドックスな見解にも、おそらく読者は納得するはずです。

    という感じで本書の一部を紹介しましたが、全体としてみればそれほど読みやすくはありません。なぜなのか、あまりいいたくはありませんが、根本的に日本史への理解が歪んでいるのだと思います。たとえば、権力者という単語がやたらと目につきます。権力にあこがれているのか、あるいは反権力をアピールしたいのか、よくわかりませんが目障りです。天皇制イデオロギーという用語もよほど気に入っているらしく、連発します。力作であることはたしかですが、教養としての歴史観の貧困さには目を覆いたくなります…。

    『源氏物語』が好きで日本史に自信のある人は、本書は有益となることでしょう。しかし雅子のナビゲートにそのままのっかって読んでしまうと、いろんな夾雑物を飲みこんでしまうので気をつけましょう。

  • 2009年蓮如賞(蓮如の没後500年を記念して創設された賞だそうだ)受賞作。受賞を紹介する新聞記事を読んで、おもしろそうだったので図書館で借りてみた。

    源氏物語の本文から離れて、千年の長きに渡って源氏物語がどのように読まれ、受け継がれてきたのかを多くの史料にあたりつつ追った労作。
    「書物」が庶民には手が届かない存在だった過去にあっては、それはとりもなおさず、権力者階級がいかに源氏物語と関わってきたか・利用してきたかの物語だった。
    江戸時代、出版が可能になってからはダイジェスト版として庶民にも親しまれ、戦中は女々しいと退けられ、そして現代、千年紀の大フィーバーに至るまでの、それはそれで1つの大きな物語である。

    「記憶の中の」というタイトルは、「日本人がどれだけ本当に源氏物語を読んできたのか、実はそれは記憶の中のイメージだったのではないのか」という意だとのことだ。しかし、個人的には、政治的に扱われた場面では、「記憶」と言われて思い浮かぶ茫漠とした感じよりも遥かに生臭いものを感じたし、また、本書で触れられている人々の中には、源氏物語を非常に読み込み、生活の一部になっていると言っても過言でないような人もあり、この本全体を総括するものとしてはややミスマッチなのではないかと思った。「記憶」より「象徴」や「イメージ」の方がまだ近いような気ががする。

    源氏物語はある意味、最高権力者たる天皇の后を盗む話でもあり、最高位を覆そうとする有力者が自分になぞらえるのに格好の物語でもあったというのが一番大きな主張だろう。
    最も多くのページが割かれ、著者の筆に力が入っているのは、第二部「青海波舞の紡ぐ『夢』」。時の権力者たちが自らを源氏と重ね、華やかな祭にどのような意味を込めたかが熱く語られる。

    その他:
    ・印刷技術が発達していなかった頃は、物語をとにかく写本するしかすべがなかった。更級日記作者は、断片的に聞き、憧れたけれども、なかなか全巻を読む機会が持てなかった。
    ・色好みの物語の作者である紫式部は地獄に堕ちたという話が中世に流行った。
    ・連歌師・宗祇は都と地方をつなぎ、源氏物語流布に一役買った。
    というような話がおもしろかった。

    著者の歯切れのよい論調は、素人が読んでもおもしろかった。が、断じる姿勢が強すぎるのか、その主張には賛否両論あるようだ。門外漢的には、これがきっかけで源氏物語に興味を持つ人が増えればそれはそれでよいのではないかと思う(無責任な感想で何だか申し訳ないが)。
    権力者にとって源氏物語が、著者が言うほど大きい意味を持っていたのか―― 読みながら疑問も持ったけれど、スリリングな読書時間を楽しませてもらった。

    源氏物語。美しい外見ながら、つくづく化け物のようなお話だ。


    *500ページ、小さい活字の大部である。延長してゆっくり読もうかと思ったが、予約者が多くて延長不能だった。京都在住ゆえの現象なのか・・・?(ちなみに郷土資料コーナーに配置している図書館もあった。そ、そうか、源氏物語関連本は郷土資料なのか・・・)。

    *このスリリングさは、どこか、蓮如賞選考委員の梅原猛氏の『隠された十字架』につながるような気も・・・?

  • 新潮2009年3月号書評より

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記憶の中の源氏物語の作品紹介

1000年の間、日本人は源氏を読んできたのだろうか?ただ、「記憶」の中で継承しただけではないのか。中世から近代まで、天皇家、貴族、将軍たち、戦国大名、女たち、庶民は、源氏をどのように享受し、利用したのか。

記憶の中の源氏物語はこんな本です

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