- Amazon.co.jp ・本 (503ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103353140
作品紹介・あらすじ
かつての激戦地・硫黄島。そこに生きていた人々が、現代の私に語りかけル。祖父母の故郷・硫黄島を墓参で訪れたことがある妹に、見知らぬ男から電話がかかってきた頃、兄は不思議なメールに導かれ船に乗った。戦争による疎開で島を出た祖父母たちの人生と、激戦地となった島に残された人々の運命。もういない彼らの言葉が、今も隆起し続ける島から、波に乗ってやってくルルル――時を超えた魂の交流を描く。
感想・レビュー・書評
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傑作!
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好きな滝口悠生さんの長編小説。文章がいい。「これは対話と呼ぶに足ル、と重ルは思っていル。」 ここ好き。
いつもの軽妙で誠実な語り口から広がる世界。過去と今、未来。現実と空想、縦横無尽。
硫黄島で生活していた人たちは私の頭の中にいるし私の頭の中からどこかへ呼びかけている。 -
太平洋戦争末期と現代。
物語は時空を行き来しながら進む。
70年以上の時間を隔てた人物から届く電話、メール。
今を生きる若者が導かれるように縁ある地に足を運ぶ。
不思議な物語。だが、この構成だからこそ強く伝わるメッセージが確かにある。
これまでの滝口作品とは一線を画す作品。
傑作。 -
読み終えて、ぽろぽろぽろとしばらく涙が止まらなかった。
完璧に本の世界に入り込み、読んだ後もあれこれと考えを巡らせてしまう小説は、ああ、本当に読んでよかった、と心から思える小説で、まさにこれはそんな1冊だった。かつて硫黄島で暮らした人々の声を聴き、平穏だった日々を共に懐かしく想い、辛くて悲しくてたまらなくなった。そして、本の中の彼らは今、どうしているんだろう、と思っている。
恥ずかしながら硫黄島については、ニノが出ていた映画も観ていないし、激しい戦場だった、くらいのことしか知らなかった。
この分厚い本の1/3ほどを読み終えた時、私の伯父が亡くなった。たぶんこの本を読んでいる最中でなかったら、こんなに伯父のことを思い出すことはなかったかもな、というくらい、幼い頃の鮮明な記憶をたどった。(硫黄島に住んでいた祖父母やその兄弟たちを思う登場人物たちの思いが重なっていたからかもしれない。)伯父は優しくていつもニコニコしていて、おしゃべりではないが、小さな冗談を言う人であった。90歳だった。
告別式の朝、持ち歩くには重たいな、と一度は薄い文庫本を黒いバッグに入れたのだけど、いや、やっぱり続きを読みたいな、と入れ替えた。久しぶりの新幹線で移りゆく景色を横目にぐんぐんと読み進めた。
伯父は両手では収まりきらないほどの理数系の資格を持っていて、体調を崩すまで現役で仕事をしていた。勤勉で人望が厚かったのだろう、両手が2つあっても足りない程の見事な献花が並べられていた。
私の従姉妹の息子でもある伯父の孫、Sくんが「じいちゃん、」と遺影に語りかけるように、何のメモを見ずに弔辞を述べた。じいちゃんの血を濃く受け継いだと言う彼と伯父の想い出は、羨ましくなるようなアカデミックなものばかりで、あまりの立派さにクラクラしそうになったが、その中で「じいちゃんがいなかったら硫黄島に行くこともなかった」という言葉を聞いた時、声が出そうになった。戦争のこと、歴史のことを伯父から多く学んだという。式が終わりロビーへ出ると、入る時には気づかなかった、受付横に並べられた写真が目に飛び込んできた。伯父が大切にしていた品々と共に並べられたその写真には「日米硫黄島戦没者合同慰霊顕彰式」とあった。Sくんを見つけて、これ読んだ?とバッグの中から本を取り出して見せた。「読みました」と嬉しそうに言ったように見えたSくんとは、いい小説だよね、と軽い会話を交わすことしかできなかったけれど(私がその時全部読み終えてなかったせいもある)、なぜ伯父が硫黄島へ行っていたのか、近々きいてみようと思う。
そんな偶然みたいなこともあって。硫黄島のこと、そこで暮らした人々が確かにいたことや、親戚付き合いがあまり盛んではない家系だけど私にも祖先がいて、彼らにも暮らしがあり、ご飯を食べ、笑ったり泣いたりしながら誰かを想い、生き、死んでいったことを思った。
中学や高校の国語や総合の時間は、1年を通じて『水平線』を読む、みたいなことをしてもいいんじゃないかしら。ホントに。
忘れてはいけない大切な過去を、素晴らしい作家さんの手腕で私たちの身近な物語として届けてくれる。小説を読む醍醐味だ。 -
クリント・イーストウッドの映画で有名になった硫黄島。戦前は住民がいたなんて知らなかった。
硫黄島に残り亡くなった家族、そして本土に疎開して生き残った家族とその子孫の物語。リアリズム小説なら並行世界的に描かれるところだが、この小説では超常現象的に両者が交わり、そしてそれはとても自然に書かれる。またリアルに表現されているはずの現代パートも微妙にズレて両立する。
最初はその荒唐無稽な内容に違和感を覚えるんだけど、だんだんその世界に馴染んできて、世代的に遠く離れた人々が身近に、逆にリアルに感じられるようになる。不思議な話だ。
硫黄島の砂糖工場で使われる牛フジに最も共感を覚えるというのは、自分としてどうか。
「真剣さは毒だ。真剣になっているうちに、自分じゃなく誰かべつの者のよろこびが自分のよろこびであるかのように思ってしまう。他人のよろこびを俺がよろこぶのは俺の自由だが、他人から、そいつのよろこびが自分のよろこびであるかのように惑わされて騙くらかさせるのは御免だ。だから俺はあれからずっと自分の真剣さを疑っている。なるべくふざけていたい。大事な話や、大事なものについて考えるときほど、真剣さに呑みこまれてしまわないように。」
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時系列と語り手が移り変わるので、最初は戸惑うが、惹き込まれて読んだ。硫黄島、父島の戦中戦後の家族の物語。現代を生きる孫世代との謎の交信が不自然でなく描かれ、謎への興味に引っ張られて読めた。
硫黄島に米軍が上陸して戦場となっていたことを初めて知ったし、そもそも島の存在を知らなかった。内地に引揚げる家族と別れ、島に残らなければいけなかった人達の悲惨な運命。描写は淡々としていながら、それぞれの人物が語り手として登場することで飾りのない心情が伝わる。終わっていない終わり方も良い。 -
夏の季節に読めて良かったです。複数の本を同時並行で読み進める癖があるから、読み終わるのに1ヶ月くらいかかってしまったけど。
たとえば長い一日などで感じた、日常の中の些細なことの自分・他者の拡がりや、茄子の輝きで感じた、過去の自分の記憶の漂いみたいな、滝口さんの哲学たちが、時間軸や物理的にも拡張された壮大なスケールで展開されてゆきます。
壮大なスケールと言っても、SFみたいなあり得ない世界というわけではなく、まぁ見方によってはそうかもしれないけど、なんだか本当にあるような、ファンタジーとかって分類する意味がないような、日常のものとして語られていく。その語りが、悲哀に満ちた劇的な最期ではなく、硫黄島で死んでいった人たちの生活そのものを私たちの生活の地続きとして感じさせます。
過去の遠い出来事として薄れつつある戦争も実際にはあって、私たちと変わらない、語られない、残らない人たちが、それぞれあっけなく簡単に死んでいったということを実感として持っておきたい。
ただ目の前のことを受け入れる、理解しようとせず、疑おうとせず、そのまま受け入れる自分を受け入れたい。なにせ、確かなものなど、本当の一つもないのだから、と思いました。
もっといろいろなことを考え、想ったのだけど、すぐどこかへいってしまう。けど、そんなもんだよな、人の感情や記憶なんて。どこかにいってるだけで、確かにあって、確かに想ったことだけおぼえていれば、そのうち何かのきっかけでふわっと思い出すでしょう。 -
私には混乱が多くて読みにくかった。疲れた…。