東京都同情塔

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103555117

感想・レビュー・書評

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  • 圧倒的な世界観。143ページに様々なテーマを散りばめ、それらがバラバラにならずに繋ぎ止められているバランス感覚は素晴らしい。東京同情塔ではなく、東京都同情塔っていうタイトルも、読めば素敵。
    たしかに言葉には定義がしっかりされているものの、その扱い方次第で、どのようにも使えてしまうという側面があり、カタカナに関して比較的否定的なことについては、逃げ的にカタカナをつかうことの警鐘であって、それは公募数ベストの昭和塔ではなく、東京タワーとしたことを肯定するエピソードからもうかがえる。
    言葉とはとてもむずかしいもの。AIで言葉を手軽に扱える時代に投入し、どうなっていくのだろうか。「ChatGPTを5%駆使して書かれた小説が芥川賞を受賞した」という受賞時のニュースがSNSなどで様々な伝わり方をしたのも、なんだかこの作品を表すようで面白い。

  • 2023年下期芥川賞受賞作品

    最新の芥川賞ということで図書館で借りて読みました。

    いきなり余談ですが4月に県庁所在地から田舎の少し寂れた市に引っ越して来ました。居住する市の人口が前と比べて8分の1ぐらいになりました。今までは図書館で話題の本を予約しても数十人待ちなんてのはざらにありましたが人口が少ないだけあって予約も少なくすぐに私の順番がやってきました。田舎暮らしの利点をとても享受しております(笑)

    本題です。
    多様性やコミュニケーションが大事だとの世間の大合唱に一石を投じる物語です。(表面上の)コミュニケーションが「できる」ことと、言葉の(本当の)意味が「わかる」ことが隔絶されつつある社会への批判とまではいきませんが強烈な違和感が訴えられている作品だと読みました。

     女性建築家の牧名沙羅は日本語で十分意味がわかる言葉を、外来語や和製英語に置き換える日本社会の傾向に批判の目を向けます。作品の中で、国立競技場のすぐ横にできる新たな東京のランドマークと言うべき巨大タワー「シンパシータワートーキョー」は牧名が設計したものだが牧名はカタカナ名称を嫌い「東京都同情塔」と名づける。

    しかもこのタワーというのか塔というのかは刑務所なんです。読むとわかるんですが、ここもなんとも言えず現代社会への皮肉が効いています。

    また牧名や登場人物が使う生成系AIは意思も持たないのにコミュニケーションができてしまうツールで作品内では塔とともにシンボリックに描かれています。

    牧名があえて下卑な差別的ワードで入力したときもこのAIは律儀にきれいな言葉で回答して、差別的ワードがよろしくない理由まで説明してくれます。
    だがこのAIは意思や感情を持たないので言葉に重みがないんです。なぜならば生成AIは過去の膨大なネット上の言葉拾い集めた大規模言語モデルで、質問に対して出現率の高くかつ優等生的な回答を示すプログラミングだからです。

    AIとのやり取りは、人間対人間のコミュニケーションとは絶対に違うんだという著者の訴えが迫ってきました。AIとのやり取りは、コミュニケーションが滑らかに続いていながら「喋った先から言葉はすべて、他人に理解不能な独り言になる」ことを著者は危惧しています。

    生成AIのメリデメは巷間よく言われていますが、この作品ぐらい深いレベルでコミュニケーションの危機を訴えたものは、めったにないと思います。

    また多様性を尊重し過ぎたり、嫌なもの見たくないもの聞きたくないことをオブラートに包んだ先の現代社会の近未来が著者なりの思いを込めて描かれていると感じました。

    何だかとりとめないですが以上にしておきます。

  • 祝芥川賞。

    生成A Iを駆使して執筆したという今どきの作品。

    東京都同情塔は刑務所のような施設だが、収容される人は従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた「ホモ・ミゼラビリス」=同情されるべき人である、といにも今どきありそうな設定で笑ってしまう。
    しかも東京都同情塔は、新国立競技場(ザハ・ハディドの設計のやつ)のすぐそばというロケーションで、入ったら出たくなくなるような住み心地の良い「言葉にならないほど幸せ」な施設。

    とんでもないですわね。

    で、この小説のテーマはおそらく「言葉の存在意義」なんだと思う。
    人間が言葉で理解し合えないのなら、何のために言葉は存在するのか?という。

    難しいけど、知的で読んで満足できる小説です。
    さすが、芥川賞!

    ♫魔法のコトバ/スピッツ(2006)

  •  本書を読んで最も考えさせられたのが、「言葉」についてでした。カタカナ言葉の横行だけでなく、多様性・共生等の美辞麗句が氾濫し、SNSの取り上げ方にも違和感を覚える機会が増えたのも一因かも。
     加えてAIが進化し、私たちのコミュニケーションの基本である「言葉」は、この先どうなってしまうのか、と心配してしまいます。

     本書の主人公は、気鋭の女性建築家・牧名沙羅。物語の舞台は、ザハ・ハディドの新国立競技場の幻影が残る新宿御苑。現実と未来が曖昧になった幻視体験のような印象を受けました。
     彼女は超高層の刑務所を設計し、自ら「東京都同情塔」と呼ぶも、「シンパシータワートーキョー」に決定。彼女は嫌悪し悩み続けますが‥‥

     九段理江さんは、こうした日常の違和感を建築物の作り手の立場と絡めて描き、現代社会に蔓延する欺瞞を見事にかつ鮮やかに暴いていると感じます。切れ味抜群です! ユートピアとディストピアは紙一重でしょうか? 危険性の示唆でもありますね。
     加えてその作品構築の手法に、或る意味嫌悪する文章生成AIを活用する点など、とても革新的と言える気がしました。
     『東京都同情塔』という韻を踏んだ書名も含め、芥川賞受賞はさもありなんと思えました。

  • 新しいカタチのディストピア小説だった。 
    近未来の東京が舞台で、「シンパシータワートーキョー」の名前で、新しく高層の刑務所を建てる
    建築家の物語で、建築家はその名前に違和感を抱いている。 すべてをカタカナで表現することに
    違和感を持つ。 そこで、新たに名前の候補にあがつたのが、「東京都同情塔」だった。 
    第170回芥川賞を受賞した話題作。 
    生成AIで、文章を創り上げた部分があると、話題になった。

  • ザハの国立競技場が完成した日本が舞台。犯罪者は同情されるべき存在とされ、刑務所「シンパシータワートーキョー」の計画が生まれた。建築家・牧名沙羅はデザインコンペに応募すべく、自問自答を繰り返しながら未来を拓く。

    読み始めから牧名沙羅の思考が、きめ細やかなシャワーのように降り注がれる。彼女の脳内で響く言葉の波打ち際をさまよう。その中で共感のアンテナに引っかかるものが出てきて、言葉の粒は物語の海へと流れ込んでいく。「東京タワー」(一般公募で十三位)という名前になった経緯が面白かった。一般公募で人気一位の「昭和塔」は確かに、未来を示す建築には古めかしすぎる。建築家は現在ではなく、未来を見据えて建築する職業病があるという。都市や風景への影響を考えたら、建てたらもう取り返しがつかないから、という話もよかった。

    カタカナを構造物として辛辣に語るところも好き。外来語も自在に取り込む厚顔無恥さと、日本語よりも意味合いをまろやかにする建て前のような空洞さも持ち合わせているよね。その傲慢な親和性に気づかされてハッとさせられた。「シンパシータワートーキョー」というそれっぽい名前を、拓人の一言によって「東京都同情塔」という語呂がいい日本語へ還元するシーンは痛快だった。

    物語としても「理想と現実」「本音と建て前」「アンビルト」がテーマとして流れている。現実では白紙撤回になったザハの国立競技場と、その対になる東京都同情塔はまさに現実には許容されることはない理想(アンビルト)な存在なんだろう。
    「犯罪者は環境に恵まれなかった同情すべき人々だ。我々が自身を優れた存在だと思い、彼らを一括りにして排斥する方が罪深くて冷静さを欠いている。彼らを東京都同情塔で幸せに暮らさせることが平等さなのではないだろうか」という寛容さの裏側にある差別意識のおぞましさがいいよね。

    そして、日本人の「本音と建て前」についても抉ってくる。SNS上で声高に発せられるきれいな言葉に個と心はあるのだろうか。独り言をつぶやく媒体が変貌し、正義感、正論という建て前に支配された環境で語られる言葉は、AIが生成した言葉と何が違うのか? いや、AIは問われたものに嘘はつかない。ただ、日本人は建て前という服を着て、裸の本音を陰から振り回している。外から見たら王様の服は透明で、裸だと見えているのに。本音と建て前を使い分ける日本人と、真実と噓とはどれだけ遠い? 大人になることはつまり、きれいな建て前を使い分けることなのか? 心の中にそびえ立つ東京都同情塔は、ぼくを見下ろして問いかけ続けている。

    牧名沙羅は『違国日記』の高代槙生を建築家にして、その思考を眺めていたらこうなりそうって感じた。現代的な生もののテーマを取り扱いつつ、東京都同情塔というキャッチー(やっぱりカタカナ使うよね 笑)な建築を描くことで、物語と哲学性へ自然と入っていける作品にもなっている。


    p.3
    バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来。

    p.13
    私はカタカナをデザインした人間と酒が飲めない。美しさもプライドも感じられない味気ない直線である上に中身はスカスカで、そのくせどんな国の言葉も包摂しますという厚顔でありながら、どこか一本抜いたらたちまちただの棒切れと化す構造物に愛着など持てるわけがない。

    p.19
    いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じもしない。人間が「差別」という語を使いこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない。好奇心を持つことができない。「知りたい」と欲望しない。

    p.51
    「私は心を探すことから始めなければいけない。四十を過ぎてからそれをやろうとすると、おそらく諦観が進みすぎているのと、保身に走りすぎて冷静な判断が下せなくなる。あるいは冷静な判断しか下せなくなる。冷静さと正しさに関連性はない」

    p.105
    こういう話をすると必ず主語のサイズに批判が殺到するわけだが、私はある時期から日本語を喋る日本人がみんな、一塊の同じ生き物に見えるようになった。同じチューリップが並んでいるだけでそこに個性なんかない。ゆるキャラの着ぐるみみたいに沈黙と中立的な微笑みを着込んで、本音と建て前、ウチとソトを使い分ける、器用で嘘吐きで奇麗な黄色いチューリップだ。奇麗な嘘をつくのに慣れすぎて嘘をついている自覚さえもない。いや、君たちは厳密には嘘をついてすらいないんだ。私はこう思う、君たちの使う言葉そのものが、最初から最後まで嘘をつくために積み上げてきた言葉なんじゃないのか?

  • 2023年下期の芥川賞受賞作品。ここ数年の芥川賞では、「コンビニ人間」「ニムロッド」「むらさきのスカートの女」並みに興奮して読み終えた。日本人と日本語の業をつい考えてしまった。日本版ディストピアは、独裁者ではなく大衆の同調圧力が支配する。静かに怖い。

  • 帯に「AI時代の予言の書」的なことが書いてあり、世間でもAIを駆使して作った作品だと話題になっていて、とても興味が湧いた。

    読んでいて発見だったのは、「AI」について考える時、「言葉」の問題が必ずついてくるということだ。AIは世界に無数に散らばっている言葉を分析して学習して、そこから言葉を生み出す。だからこの作品を読んだときに「日本語」について考えることにつながるのかと思った。

    常々カタカナ語には頭を悩まされている。現代文の授業をする際、カタカナで書かれた小難しい言葉を見ると、日本語で書けばいいじゃないかと思う。確かに便利な側面もあるけれど、多くの人が知らない言葉(使っていけばそのうち広まるんだけれども)を、わざわざ使おうという感覚は理解できない。
    その先にあるのは、「日本人が日本語を捨てる」という未来なのかもしれないなと、半分くらい作品に共感した。

    それから「同情」については、人間の本性に迫るキーワードになっていて、そちらはそちらで興味深かった(これはもう少し自分に落とし込まないと語れない)。

    芥川賞に選ばれる作品は、なまものだなぁと思う。理解するのは難しいし、すんなり読めないもどかしさはあるけれど、これからの時代を考えるにあたって、この作品を読めて良かったと毎回思わされる。

  • 第170回芥川賞受賞作品。
    執筆には生成AIを活用されとのこと。

    ザハ・ハディド氏設計による新国立競技場が建てられた世界線(現実では隈研吾氏設計)における日本が舞台。

    「犯罪者は同情されるべき人々」という考え方から、犯罪者が快適に暮らすため「シンパシータワートーキョー」が建てられるという。
    建築家の牧名沙羅は、そのネーミングに寛容になれない。
    タワーの名前だけではない。
    片仮名表記が多い世の中、カタカナにすればなんでもマイルドな印象になり角が立ちづらく、不平等感や差別的表現でさえ回避できてしまう。
    そんな世の中に、沙羅は寛容になれないのだ。

    冒頭から、身の回りの言葉や出来事について、その定義を自問自答してゆくスタイル。
    例えばホテルのシャワーヘッド。
    ミストモードにはウルトラファインバブルという最新テクノロジーが搭載されているらしい。
    「ウルトラファインバブル搭載」→「かつてない超極小泡が実現」→「体を洗う」行為を意識的なものへと変えていく→こんなに奥深くまで洗浄されることを、本当に望んでいたか?
    といった感じ。
    他にも、東京タワーの名称決定について振り返る。
    そして沙羅は、"日本人が日本語を捨てたがっている"と考える。
    そして"日本人が日本語を捨ててしまったら、日本人ではなくなってしまう"とも。

    彼女と入れ替わるように語り手となるのは東上拓人。
    彼は沙羅に気に入られたのを切っ掛けに、この塔に関わってゆくこととなる。


    この小説、文壇でべた褒めされてますね。
    記者会見も含めて大反響みたいで。
    初めて経験する切り口は、確かに面白かった。
    けれど読み終えてみれば…う~ん…好みではなかったというのが正直な感想。

    なんでもカタカナにしてしまうことの是非。
    いかにもコレが正解ですといった体で答える生成AI。
    血の通った人間はどう対峙してゆけばいいのか。
    言葉を通して人はどれほど理解し合えるものなのか。
    本作はSFを纏った純文学という感じだった。

    「外来語由来の言葉への言い換えは、単純に発音のしやすさや省略が理由の場合もあれば、不平等感や差別的表現を回避する目的の場合もあり、………角が立ちづらいからという、感覚レベルの話もあるのだろう。」

    「「全性別トイレ」と設計図にメモしておいたら、ファイルをシェアした直後に「ジェンダーレストイレ」と修正されていたことがあった。」

    「名前は物質じゃないけれど、名前は言葉だし、現実はいつも言葉から始まる。」

    「そんな私たちが言葉を通して何かを本当に理解し合えるなんて思わない方がいい。」

    「自分の心を言葉で騙していたことが、すべての間違いの根本的な原因だ。」

    • 傍らに珈琲を。さん
      途中、登場人物がAIに質問するシーンがあるのだけど、その時のAIの返答がね、出だしの部分だけ本当に執筆中にAIから返ってきた文章を採用したり...
      途中、登場人物がAIに質問するシーンがあるのだけど、その時のAIの返答がね、出だしの部分だけ本当に執筆中にAIから返ってきた文章を採用したり…してるらしい。
      不思議な時代になったよねー。
      私も小説は人が書いたものを読みたいし、アートなんかも同様。

      いや、文句言いたくなるよね 笑
      作品中でも、「そんな塔、建てるな!」ってデモがおきます。
      2024/02/11
    • おびのりさん
      こんばんは。
      これは読みたいなと思っています。
      いろんな作品が出てきていいと思っている。
      (確かに万年筆で書いてほしいけど。)
      紫式部が今パ...
      こんばんは。
      これは読みたいなと思っています。
      いろんな作品が出てきていいと思っている。
      (確かに万年筆で書いてほしいけど。)
      紫式部が今パソコンで小説書いているって知ったら、そんなの創作ではないわ、とか思うかもしれないでしょ。既に漢字が書けなくて変換に頼っている事も、始まりの一歩かもしれない。
      ただねえ、明治の人達の翻訳能力を考えると英語そのまま使うにしても、なんか良い訳欲しいよね。
      2024/02/11
    • 傍らに珈琲を。さん
      紫式部が今パソコンで………なるほど。
      今回の九段さんのAIの使い方は、面白い試みだとも思ってます。
      創作部分をAIに任せた訳じゃなくて、作中...
      紫式部が今パソコンで………なるほど。
      今回の九段さんのAIの使い方は、面白い試みだとも思ってます。
      創作部分をAIに任せた訳じゃなくて、作中のAIの回答部分の冒頭(話し始め)をAIに任せたというものだから。
      だから作品の創作を任せた訳じゃないんだよね。
      …って、意味通じてますか?私、説明下手だな~(汗)
      2024/02/12
  • 第170回芥川賞受賞作
    九段理恵『東京都同情塔』
    主人公は、通称シンパシータワートーキョーと呼ばれる新しい刑務所の建築に携わる建築家、牧名沙羅(マキナサラ)。
    本人は、このシンパシータワートーキョーという通称に抵抗を覚えている。
    この女性の思考は、とても興味深く、感銘を受けた。
    頭の中に検閲者がいて、発する言葉一つ一つを取捨選択する。更に、この言語を積み上げ、作り出して行く事が、建築という自分が携わっている仕事に繋がっていくと信じている。いや信じたがっている。
    本書を読み、そこで感じるもの、思う事を今、ここに記している訳だか・・・
    本当に伝えられてる?
    本当に分かって貰えてる?
    そんな事を考えさせてくれる良作だと思った。
    人は、言葉で表現し、言語を使い思考を表現するが、言語のみで思考するのだろうか?
    喜怒哀楽を言語で表現する為に言葉に変換しているのであれば、奇しくも本書に登場する生成AIの様ではないかなどとも思ってしまった。
    日本語を母国語とする我々日本人は、器用に外国語を取り入れ、翻訳し使いこなすが、外国人には、嘘つき呼ばわりされ信用されてないとも言われている。
    言葉は、進化している。
    古事記、枕草子、源氏物語は、もはや原書では、読めず、現代語訳や解説が必要であろう。
    芥川龍之介も夏目漱石もしかり、江戸川乱歩も横溝正史も読みずらいと思う昨今
    日本語は、何処にいくのだろう?
    感情や思考を表現する言語は何処に?
    などと考えてしまう作品でした。
    改めて芥川賞受賞おめでとうございます。

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