- Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103700029
作品紹介・あらすじ
彼女は誰より深く孤独を味わい、だからこそ出会いは恩寵となった。カルヴィーノ、タブッキ、サバ、そしてユルスナール。人を愛し書物を愛し、たぐい稀な作品を紡ぎ出した須賀敦子。無垢な少女を信仰へ、遥かヨーロッパへと誘ったものは何だったのか。その言葉の示す意味をあらためて読み返す――。彗星のごとく登場し知と情熱をたたえた忘れ難い佳品を遺して去った、伝説の文筆家の核心を辿る。
感想・レビュー・書評
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自分はまだ須賀敦子の作品がどの様に特別で、何故に未だに多くの読者を魅了するのか分かっていない。
著者の様に、彼女の生い立ちを遡ってまで彼女を内面から理解したいと思わせる位だから、自分としても彼女の作品に触れてその魅力を感じてみたいと思う。
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須賀敦子さんと交流のあった松山巌さんが、敦子さんの作品をふたたび読み返し、ゆかりの地を訪ね、お付き合いのあった方々に会い、彼女の足跡をたどります。
私は須賀敦子さんの大ファンで、たいていの作品を二回以上読んでいるうえ、他のかたが敦子さんについて書いた本も複数読んできました。
だからこの本にある引用文の多くに記憶があります。
須賀敦子さんはもう亡くなってしまって、新しい作品を読むことはできないけど、このような本が次々出版されるのはとても嬉しいことです。
この本では特に、聖心女子大を卒業してから一年して慶応大学院にはいり、一年してフランス留学したことについて、今までよくわからなかったことが、松山さんの推察で見えてきました。
そしてフランスに行くところでこの本は終わっているので、続編を期待しています、松山さん。 -
須賀敦子のことは、エッセイでいろいろ知った気になったいたが、こうして作家である知人によって書かれた人物伝を読み、いろいろ新たに知ることができた。
またすぐにでも、須賀敦子の本を読み返したいし
この先何度でも読んでいきたい。もっと長生きして、今の日本についても語って欲しかった。 -
今年の読書を締めくくる「須賀敦子の方へ」。須賀敦子の足跡を松山巖が辿る「考える人」に連載された大著だが、連載中はともすれば執拗とでも言いたくなる著者の視線に耐えられず放って置くしかなかった。松山巖の小説には日本酒にいつに間にか飲まれてしまうような惹かれ方をしてしまうのだが、ノンフィクションにおける真摯な態度には近寄り難さがあると思う。ましてその対象が須賀敦子ならなおさらである。
自分は須賀敦子の良い読者とは言い難い。須賀敦子の書くものには、少々例えは悪いが、写字室に篭りひたすらに先人の為した思考を羊皮紙の上に残されたものから読み解こうとする中世の修道士たちの放つ、黴臭さのようなものを感じてしまう。その黴臭さは、今のように研究論文をデジタルで検索する世代には、もしかすると共感されないかも知れないが、学術誌のバックナンバーを求めて書庫を這いずり回った記憶を持つ世代には、暗い部屋と、果てしもなく思える引用論文の数と、自分の思考の小ささといったようなものが、瞬く間に呼び起こされる匂いなのだ。それは選ばれた人々による精神活動であるという思いを強制し、より多数の選ばれなかった人々を瞬時に排斥する。勝手な思い込みと承知しているものの、その黴臭さの喚起する連想故、近寄り難さを感じるのである。
しかし、単行本となった連載は大部であるにもかかわらず、ずんずんと引き寄せられるようにして進む。何よりも松山巖の辿った足跡から垣間見える須賀敦子の人間臭さが、そして、その凡庸とも見える悩みが、近寄り難かった須賀敦子をぐっと身近に感じさせる。戦後という時代を考えれば華やかにも見えるキャリアの裏側に、人間関係や信仰と現実の狭間に捉えられ苦悶する須賀敦子の姿があったことが、容赦のない松山巖の探索の手によって明らかになるにつれ、どんどん須賀敦子に対する興味が湧いてくる。
この旅に明確な終止点はない。それは須賀敦子の足跡を辿り切っていないと松山巖があとがきに寄せている意味だけではなく、須賀敦子を辿ることは写字室の名もなき修道士たちが連綿と繰り返してきた精神活動と同じ道を辿ることを意味するからでもある。その道に気づいたものが託され、そして未来へ託すもの。その道の果てしなさを知る。 -
須賀(ガスちゃん)の幼少期からの人生、お人柄がクリアに浮かび上がる。日英仏そして伊と4か国語を自由に使いこなした文章家の魅力的な人生だ。幼少期に夙川に住み、小林聖心小学1年の時の「そーでアール」という授業中の返事!とてもやんちゃで元気な少女。それにしてもいつも笑顔で誰とでも親しくなり、かつ厳しさを備えていた魅力的な人間像。父の影響で須賀は森鷗外の「渋江注斎」の五百という女性に魅かれていた。16歳の頃は近くの夙川カトリック教会の地下室(海軍の医薬品備蓄倉庫)で働くが、ここも空襲に遭ったさなかのこと!しかし須賀の著書には生々しい戦争記憶の記述は全くないそうだ。印象に残る文に出会った。「読書はほんと対話するだけではない。本を読んでいたときに起きた感情、友人との会話、その時代、暮らし、じつに様々な瑣末なことまでも一冊の本は記憶を蘇らせる。一冊の本は読書をしたときの日記であり、過去からの手紙でもある。それだけに須賀は乱読した本よりも、あの時代に熟読した本を選んで、「遠い朝の本たち」とした。」著者は建築家・作家として須賀に親しく接した。「雰囲気がある人だった」というのは、須賀の文章の香りからも感じられるとおりだと思う。