苔のむすまで

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104781010

作品紹介・あらすじ

考古学から現代美術まで、世界のアートシーンを沸かせつづける美術作家の時空を超えた初評論集。

感想・レビュー・書評

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  • 元々は写真家で、現在は写真を主にした現代アートの作家が書く、さまざまな芸術ジャンルに関する評論集。

    やっぱりダメだ。
    芸術に対する感度が、壊滅的に低いことを痛感する。
    AIが、例えばゴッホの絵の、その周辺を違和感なく書き足せるようなことができるのは、センスではなく知識があるからだと思う。
    なので、とりあえず知識を蓄えようと手を出してみたのだけれど、いやもう全然だめだ。

    例えば、奈良時代の仏像の写真を見る。(本物を見るでもよい)
    素朴で温かみのある表情なのはわかる。
    けれど、宗教が精神のかなりの部分を支え、時代の社会生活を支えていた時代の人が捉える仏像と、歴史的遺物または芸術品として見る仏像では、同じものを見ても見えているものが違うのではないか。
    なんてことを考え出すと、もういけない。
    芸術よりも歴史だったり民俗学だったりの方に思考が行ってしまう。

    崇徳院と後白河院。
    兄弟で全く逆の人生が待っていたというその宿命(保元物語)を、大河ドラマで見たいなあ…なんていうのは、後白河院の好きな「今様」とは全く関係のない話。

    「俺のもとに集まって戦え~」と言って敗れた徳川慶喜(鳥羽・伏見の戦い)は、同じくそう言って敗れた後鳥羽上皇(承久の乱)に似ているなーと思っていたけれど、著者は、後鳥羽上皇の時から昭和天皇が人間宣言するまで、ずっと天皇は象徴であったのだ、と言う。
    そう言われればそうなのかも、と思うけれど、これもまた芸術とは関係ない話。

  • 「私にとって本当に美しいと思えるものは、時間に耐えてあるものである。時間、その容赦なく押し寄せてくる腐食の力、すべてを土に返そうとする意志。それに耐えて生き残った形と色」「私の中では最も古いものが、最も新しいものに変わるのだ」写美で開催中の杉本博司展にて、骨董と現実から未来への想念とが渾然一体となる空間に慄然とした。帰り際ショップで咄嗟に購入した評論集。作家の思惑を言葉で知りたく、そして何より本の佇まいが美しかった。古来連綿と引き継ぐ崇高なる魂、若い頃の私なら反発したろう。今はその美しさに馴染み始めている。

  • 自分の作品にも触れながら、日本文化や歴史など幅広く書かれている本。
    作品の良さって、やっぱり教養に裏打ちされてる部分もあるのかしら?

  • ニューヨークに住みながら、日本の美を再発見(もしくは再発表?)する様が伝わってきます。タイトルから、「ひょっとして右寄り?」と危惧してたんですが、そうではなくて、天皇という、世界に類を見ない程長く続く一族と、日本人の美的感覚とを絡ませた視点なのだと私は解釈しました。スピードや競争心・理性をよしとする世界ではなく、苔がむすまでの長い年月を眺めることができる日本人の大らかでありながら繊細な感覚。明るさをよしとする現代とは違い、陰影の中で生活と美を同居させていた心だとか。
    芸術ってよくわかんないって人にも読んでほしいかなりオススメな一冊です。カバーの裏には三十三間堂(びっくりした)。

  • 杉本博司が本も書いてるのを知って読んでみた。
    写真作品の解説かと思ったら、例えばワールドトレードセンターから話は方丈記、そしてアメリカのネイティブ・アメリカンの逸話へと思考は世界も歴史も駆け巡る。
    どの章もそんな感じでとても面白かった。

  • いまいち頭に残らなかった

  • 日経新聞の"私の履歴書"で知ったのですが、何点か気になる写真などがあり、図書館で借りて読みました。
    ちょうど私が大学生くらいの頃から日本でも活躍されてるようで、なんで知らなかったんやろ…と、今まで知らなかったのが損した気分になる作品が沢山
    作風は大判カメラで撮影した写真や古美術関係のもの、それらを経ていろんなジャンルに広がり、いろんなことをするアーティストです。まだ現役なので、まだまだ作品も見ることができるでしょう。

    表紙はテロに遭う前のツインタワー
    アメリカの映画館で長時間露光で撮影された写真、剥製や蝋人形を撮影したのに本物のように見えるシリーズ、海を撮り続けたものなど、特に写真は気になるものばかり。
    この本は雑誌に連載された、自分の作品を通して語られるエッセイのようなもの。興味の広がりのパワーが凄い。

  • 2022年3月1日読了。

    P11 鴨長明「方丈記」
    →多彩な文化人でその名作。
    1回聴いた琴の曲を暗記して、
    ある夜、披露し訴えられる。
    宮廷文化人サロンを追放される。


    P15
    20世紀初頭、ヨーロッパでは様々な
    アヴァンギャルド芸術の試みが花咲いた。
    ダダ、未来派、デ・スティール、構成主義…。
    建築もそれらの運動と連動していた。
    19世紀までの人間の住まい方は、
    基本的には信仰を中心に成り立っていたと
    言ってもよい。
    装飾も、神の荘厳を演出するために
    発達したとも言える。
    しかし20世紀になって宗教の影響力は
    格段に弱められ、最先端を求める建築家たちは、 
    神なき世にいかに住まうかを
    見出さなければならなかった。
    こうしてモダニズムの建築は生まれた。
    装飾がないことが装飾であるような、
    住みにくいことが住みやすいような…。
    ル・コルビュジエ、グロピウス、ミース、
    テラーニなど、第一次世界大戦が終わって、
    つかの間の平和が訪れたころ、
    新しい思想、新しい表現、新しい才能が 
    競い合っていた。

    1917年の手紙でル・コルビュジエは
    こう述べている。
    「明日の恐ろしくて避けられない生活」

    ★P46
    私が写真という装置を使って示そうと
    してきたものは、人間の記憶の古層である。
    それが個人の記憶であれ、一つの文明の
    記憶であれ、人類全体の記憶であれ、
    時間を過って我々はどこから来たのか、
    どのようにして生まれたのか
    思い出したいのである。
    私個人の記憶の場合はどうだろう。
    なにか暗くて長い時間の腺臓とした
    混池の記憶がある。そこから細い糸の様なものが
    のびている。手操って行くと深海の閣の中に
    ひきずり込まれていく、しかしその糸はどこかへ
    遠くつながっているという確信がある。
    糸の一方の端はこの「今」なのだが、
    そうこうしている間にも糸はするすると
    伸びて行き記憶の一方の端はどんどん
    遠ざかっていく。

    ★P46
    海の記憶、私がはっきりと確信を持てるのは
    海の記憶だ。
    雲一つない晴天、鋭い水平線、はてしない彼方から
    打寄せる波。その風景を見た時に私は
    子供心になにか長い夢から醒めるような気がした。
    私は自分の手や足を見廻してみた。
    そして私は自分を俯職する意識を感じた。
    自分も一体となってこの風景の中にいるのだという。
    私の人生はその時に始まった。

    P50
    能は単純な構成要素から成り立っている。
    旅の僧、橋、そして夢である。
    旅の僧は橋を渡るこ
    こで土地の昔話に思いをはせていると、
    どこからともなく人が現れその昔話をくわしく
    語り聞かせる。不思議に思って名をたずねると、
    意味ありげなことを言い残して消えてしまう。
    夜もふけて僧が眠りにつくとその夢に
    さきほどの者が現れ、実は自分こそが
    その悲劇の物語の主人公の亡霊であることを告げ、
    この世に残した未練の為に成仏できずに苦しんでいると話し、舞いはじめる。僧が祈りをささげるうちに
    夜は明けてゆき、いつしか亡霊も消えていく。
    これはび世紀に世阿弥という天才的な劇作家が
    創案した演劇形式である。
    能の物語に登場する主人公はみな歴史上の有名人で、
    源氏物語や平家物語、伊勢物語などの登場人物で
    ある。いわば日本人が全体で共有している様な記憶の
    古層だ。この記憶が夢幻能という形式で
    反復されることによって共同幻想の劇的空間が
    生れる。ここではいく種類もの時間帯が流れている。
    まず観客が舞台を見つめている時間、
    僧が舞台上で旅をしている中世の時間、 
    そしてその時間よりさらに数百年遊る亡霊の
    昔語りの時間。この3種類の時間が同一空間の中で
    同時進行していく。

    能面は同一空間内の異時間を自由に行き来する為の
    装置である。

    ★P54
    Q:写真家だと思われているあなたが、
     なぜ神社を建てることになったのですか。
    A:写真家といっても水と空気、
     それと光を扱ってきました。
     建築も似たようなものです。
    Q:アプロプリエート・プロポーションとは、
     日本語でどう訳したらよいのですか。
    A:神はある特殊な場に宿ります。
     そのような場には、独特の比率があります。
    Q:それは建築的な比率のことですか。柱とか梁の。
    A:比率とは場のたたずまいのことです。
    Q:ではアブロブリエートは、適切という意味ですね
    A:空間が適切であるとき、
     日本語では場をわきまえたと言います。
    Q:すると、場をわきまえた、
     たたずまいぐとなりますね
    A:そうですた、濃とした空気のことです。

    P58
    私は天折した旧友の三木富雄の言っていたことを
    思い出した。
    「僕が耳を選んだのではない、耳が僕を選んだのだ」三木は耳の彫刻家として一世を風靡した作家だった。

    P80
    瑠璃の浄土とは薬師瑠璃光如来の浄土のこと、
    千手の誓ひとは千手観音の誓願のことを指す。
    仏教は鎌倉時代に念仏宗が起こってから
    一般の民衆の間で盛んになったと言われているが、
    平安期末にはすでにこのような歌が広く
    口ずさまれていたのである。
    文字を読めない人々にとって
    耳で覚えて歌い継ぐのが一番の楽しみでもあり
    心の救いともなっていたのだ。

    P92
    戦雲棚引く昭和2年(1937)9月2日タ刻、
    興福寺の東金堂の解体修理の作業中に、
    本尊台座の中から木箱に載って正面に向かって
    安置されている銅造仏頭が発見された。
    また台座の鉄板内面に墨書が発見され、
    この像が応永B年(1411)類焼時に救出された
    旧本尊の仏頭であることが判明した。
    この像がどのような経緯をたどったかは
    定かではないのだが、
    文治2年(1186)興福寺の僧徒によって
    飛鳥の山田寺より奪取された。
    そして平重衡の南都焼打の後、
    再建された興福寺東金堂に安置された仏で 
    あるという。
    この像は、東大寺大仏を過ること6年の
    天武7年(678)に鋳造が始められたという記録が
    残されている。大きさは大仏に較べれば
    かなり小さいが、それでも丈六仏であるから
    かなりの大きさである。それよりもその像容の
    威厳と若々しさ、遠く彼岸を望むようなその眼差し。
    ここには宗教彫刻の持つべき尊厳が、
    見事なまでに表現しつくされている。
    この像は、天平期一歩手前の白風時代の傑作である。
    私はいつしか大仏の姿を想い浮かべる時に
    この白風の仏頭を「信貴山縁起」の大仏に
    重ね合わせて想い描くようになっていた。

    ★P162
    明治17年(1884)には文部省主催ではじめて京都、
    奈良の古社寺の調査が行われることになった。
    フェノロサは顧問として岡倉天心と共に
    秘仏となっていた法隆寺の夢殿の観音像の開扉に
    立会うのである。この像は鎌倉時代の学僧頭真得業も
    その形を見ることができなかったと
    記録があるように古代より秘仏として何人も
    拝することを得なかった仏像である。
    法隆寺側はもちろん反対したが政府の許可状を
    かざ拝観を強行したのだ。
    岡倉天心はその時の感激を次のように記している。

    ★P192
    私にとって、本当に美しいと思えるものは、
    時間に耐えてあるものである。

    時間、その容教なく押し寄せてくる腐食の力、
    すべてを土に返そうとする意志。
    それに耐えて生き残った形と色。
    創造されたものは弱いものから順次、
    時間によって処刑されていく。
    あるものは革命の戦火により、
    あるものは大地震により、あるものは風化し、
    あるものは水没し、あるものは捕らわれの身となり
    美術館の倉庫に幽閉されたりする。
    それらのあらゆる災難を生きのびながら、
    永遠の時間の海を渡っていくのだ。河原の石が、
    上流から流れ下る間に丸く美しい形になるように、
    時間に磨かれたものは当初持っていた媚や主張、
    極彩色や誇張をそぎとられ、
    まるで、あたかも昔からそこにそのように
    あったかのような美しいものになるのである。
    しかし、その美もつかの間に過ぎない。
    いつか色も形も消え失せる時がくる。
    この世とは、あはざまることからないことへと
    移り行く間だ。 時おりその間で、
    謎解きの符牒のようにものが美しく輝くのだ。
    古今集に「世の中は夢か現か現とも夢とも
    知らずありてなければ」とある。
    むろんよみ人知らずである。

    P202「菊の紋」の始まり
    後鳥羽院は歴代の天皇の中では異色の人であられた。ほとんどは公家文化の中で純粋培養された、
    たおやめぶりの天皇が多かった中で、
    後鳥羽院はきわめて男性的な性格であられた。
    院は武芸百般を好まれ、相撲、水泳、競馬、
    流舗馬、また特に刀剣を好まれ御所の中に
    御番鍛治をおいて自らも鍛刀されたという。
    この御所の刀には菊の紋がつけられたと言われ、
    これが皇室の菊の紋のはじまりであると
    伝えられている。このような性格の院にとっては
    自分の部下である。

  • 文章うまい

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著者プロフィール

1947年東京生まれ。1974年よりNY在住。活動分野は、写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理と多岐にわたる。2008年建築設 計事務所「新素材研究所」、2009年公益財団法人小田原文化財団を設立。1988年毎日芸術賞、2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。2010年秋の紫綬褒章受章。2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲、2017年文化功労者。

「2022年 『杉本博司 本歌取り』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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