- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105072711
感想・レビュー・書評
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題名に惑わされず、読んでほしい。ユダヤ社会も背景に含んでいる。日本社会では?
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母になる前に読んだ。
24歳 25歳になる2ヶ月前。
note に記録 -
タイトルが1番インパクトがあった。
実際産んでみないと母親になったらどういう感じかわからない。
産まなかったら産まなかったで
「子供を産んでみたかった」って言いそう。
子どもがいてもいなくてもどっちも
違った大変さがあるよね〜。
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何か自分の気持ちとリンクするものがあるだろうか、母親という役割は苦痛だろうか、考えながら読んでみたが、あまり共感はない。それは諦めたから、諦めの上で受けいれたからなのか。諦めたことはある、でもそれ以上に価値ある、今まで感じたことのない喜びがある。しかし喜びより苦痛が上回ることがあるのは否定しない。環境にもよるだろう、自分や子供の個性、関係性もあるだろう。もしかしたら子供が大きくなるにつれ感じることもあるかもしれない。
共感するのは、母親は例え子供が目のまえにいなくても、その存在は頭の中からいなくならないこと。父親は生活の中で子供抜きにした活動が可能なこと。自由時間があったとしても、何を食べさせようか、何時に寝かせようか、そのためには何時までに帰って、そうだ帰りに買い物もしなきゃ、そういう育児って父親はしていないことが多いように思う。それが当たり前の母親業と見做されるのは確かに息苦しい部分はある。嫌なのではない、ただずっと考えから無くなることがないのは事実。それは産まれるまで分からなかったことで、あえて選択しない、または後悔する人がいてもおかしくはないと思う。 -
母親になって後悔する理由はそれぞれなのかもしれないですが、大雑把に言うと、
自分ではなくなる感覚、「個」や「女性」?から「母親」へと分類が変わることに抵抗があると読みました。
社会が、〔母親たる者〕然が強力であることの違和感、不平等感を訴える内容であると思います。
母親であることは素晴らしいというのは社会的秩序を維持するために利用されていると。
アンビバレンスな感情について私も同感です。現在進行形です。それがこの先一生続くかもしれないのかと思うと…うんざりするような、こわいような。
子どもに対し、まさに愛憎の感情があります。
しかしまた、ここの母親と同じく今いる子ども達を否定するわけでは全くありません。
私の場合は自ら望んで、当然のごとく母親になったけども、母親になる前日は、もう後戻りできない責任に泣きました。
母親になるも、ならないも、どちらも良いし、どちらも大変である気はしますが。一度も出産を経験しない女性の苦悩は想像できますが、その苦悩は社会によって作られたイメージによる苦しみであるのは間違いなさそうです。それと同じく母親にも社会的な圧力があります。
ここの母親達が話している母親になるメリット、デメリットは誰もが感じていることではないでしょうか。
メリットの意見では、幸福感、子どもとの親密な関係以外に、帰属意識を上げる人がいて大いに頷けました。『社交的でない人にとっても、母親になることが社会への入場券であり、これがあると、とても簡単に仲間に入ることができる、子どもがいることで主流派の仲間入りができる』
なぜか子どもがいると周りから認められ、ステージが上がる気がする。これってなぜなんだろう?改めて考えてみるも価値観を揺さぶられるような感覚がありました。
『母になることで、何年も埋もれていたその人の過去の痛みが新たに掘り起こされる。母になることが、別の喪失を永続させる可能性があるーーつまり、忘れる能力の喪失を。』
子育ては追体験してしまうからです。私もいつも辛いことを思い出します。そのおかげで反面教師となれたり、自分を育て直すことができる面もありますが、我が子の年齢が上がるごとに辛さも増す気がします。
そして子どもが成人しても、その思いは消えないと経験者は語っています。子どもがいることで永遠に安らげない。
『女性の生きづらさ』に注目し、『正解のない疑問をひもとく』画期的な本だと思いました。
様々な思い込みや価値観をじっくり見直したいと思います。そして、イメージ(価値観)の押し付けをしないようにしたいです!
個人的に私は、他の母親が理想的な母親像を必死に追っている姿、演じている姿を見ることが非常に息苦しいです。見栄っ張りか、承認欲求なのか、社会からの圧力によるためなのか。。
母親ではあるけども、正直に生きたいと私は思いました。 -
「母親になって後悔してる」オルナ・ドーナト著・鹿田昌美訳、新潮社、2022.03.25
318p ¥2,200 C0098 (2022.12.27読了)(2022.12.16借入)(2022.04.20/2刷)
現代日本では、母親になって後悔する前に、結婚しない、子どもは生まない。結婚するけど、子どもはいらない。という人たちが沢山いるのではないでしょうか。
そういう人たちにとってこの本は、やっぱりそうだったんですね、と自分たちの選択を肯定してくれる本として、読めるのかと思います。
題名は、「母親になって後悔してる」であって、「子どもを産んで後悔している」ではありません。実に微妙な題名です。「母になったことは後悔していても、子どもたちについては後悔していません。得られた子供たちは愛しています。」ということです。
後悔している理由は様々です。責任の重さ、いろんな面での自由の束縛、といったところが主なところでしょうか。なぜ母親だけが、子どもの色んな事にかかわるのが当たり前とみなされなければならないのか? なぜ父親では不足なのか? といったところもあるかと思います。
国家や、家族よりは、個が大事な世の中の必然的な帰結なのだろうと思います。
【目次】
はじめに
1章 母になる道筋
2章 要求の多い母親業
3章 母になった後悔
4章 許されない感情を持って生きる
5章 でも、子どもたちはどうなる?
6章 主体としての母
エピローグ
謝辞
訳者あとがき
原注
☆関連図書(既読)
「ははがうまれる」宮地尚子著、福音館書店、2016.02.15
「女の一生」伊藤比呂美著、岩波新書、2014.09.26
(アマゾンより)
子どもを愛している。それでも母でない人生を想う。
社会に背負わされる重荷に苦しむ23人の切実な思い。世界中で共感を集めた注目の書!
内容紹介(出版社より)
子どものことは愛している。それでもーー。世界中で大反響を呼んだ一冊。もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか? この質問に「ノー」と答えた23人の女性にインタビューし、女性が母親になることで経験する多様な感情を明らかにする。女性は母親になるべきであり、母親は幸せなものであるという社会常識の中で見過ごされてきた切実な想いに丁寧に寄り添った画期的な書。 -
女性の選択肢は母になるかキャリアを持つかの2つしかないと考えることで、母になりたくない理由はキャリアの追求以外にないと仮定することは、女性のアイデンティティの多様性を消し去ってしまう(277頁)母の役割は、客体(子ども劇で演じられる母のように)としてではなく、主体、関係として語られることで、複雑で多様な女性の人生が織り込まれるとのこと。母が役割、義務で語られると、理想的な従業員(母)による製品(成長した子ども)が理想的なシナリオになるとも書かれており、成果主義で母が評価されては追い詰められるばかりでSF小説のストーリーに似てくるように思えます。
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テーマは好み。
けど翻訳文章が何か読みにくいので-1しました…。 -
母親だけ我慢して育児しなければならない、ということは他の国でもあることがわかった。
また、子どもが要らなかったという気持ち、自分の子どもが愛しい、という感情は別々で、どちらも自分として併存することを理解できたが、男女関係ないことかもしれない。 -
中々話題に上らないが、重要な問題。
母にならなければ、世の中からアウトサイダーとみなされる。しかし、母になると自分の人生が奪われる。しかし子供が愛しくないわけではない。もし、人生を巻き戻せるなら、ない人生を選ぶだろう。
子供を望むかどうかやその結果を考慮せずに母になることは自由選択とは言いがたい。
人生の軌道に沿って前進しなければ、社会のコミュニティから排除される。子を持つことはある程度の仲間入りができ、人生が楽になる利点がある。
母になることは私的ではなく公的なこと。常に良き女性、良き母とみなされるためにどのように子どもと関わるべきか常に示されている。
母になった瞬間から肉体と人生が、他者の人生に責任を負い、その人生の結果が不確実であることで複雑な感情と葛藤に揺れる。それが搾取されている感覚に連動する。
直線的な時間感覚が、各個人が誕生してからの人生経験を構成する。ほとんどの人は、はじめてのセックスや結婚、子供を持つことといった、満たさなければならない目標や節目となる出来事にはそれぞれ適切な時間があると深く信じている。
間違いは人間関係の不可欠な要素であり、後悔は個人が決定を下し感情を持つあらゆる領域で経験する可能性がある。